平和を望む心。祖父に聞いた第二次世界大戦の話

/ 6月 15, 2018/ Interview, 河北さん

河北さん
こんにちは!Doing ARTライター兼花粉症の河北です

先日、小さい頃からちょちょい聞いていた戦争の話を改めて聞きました。
お相手はもうすぐ90で今だに元気なカメラ好きおじいちゃんです。(タイマー撮影ができない)

小さいころから何度となく聞いた事はありましたが正直実感がなかったというか興味なかったというか意味わからなかったというかあまり聞いてなかったという感じでした。今回興味ある状態で聞いたらさらに興味が湧いたのでネットサーフィンして調べたこと含めシェアしようと思います。

学校卒業してから歴史に興味でる人って多いですよね。

太平洋戦争(大東亜戦争)について

では、授業を始めます。
まずこの太平洋戦争(大東亜戦争)開戦の1941年から終戦の1945年までを見て丸暗記しましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki

無理ですね。もはや抜粋できないくらい色んなところで海戦しております。これを見てると どんな時代だよと他人事のように思ってしまうくらいすごいことになってますが、、、

この年表見て私が最初に思ったのは、日本軍もめちゃくちゃやってるというのと 終戦間際日本が弱ってる時(原爆落とされて降伏する直前)にソ連軍にだだだっと島を占領されたんだなということです。

1945年

1945年4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。

 

1945/8/6 広島に原爆落とされる
1945/8/9 長崎に原爆落とされる

↓ あ、チャンス。日本完全に弱ってる。 仲良し条約(日ソ中立条約/5年満期)あと1年残ってるけどまあいいや。

8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。

 

↓ 8/14 ポツダム宣言受諾(降伏)日本では終戦

↓ 8/16〜 いや、ちゃんと調印するまでまだ終わってないよ。北方領土占領。

↓ 9/2 ポツダム宣言に調印、終戦。

みたいな感じです。まあこんな年表だけでわかるものではないと思いますが。

他国(アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシア、中国)は終戦日が9月2日や3日。日本は終戦日が8月15日でずれがあるのも興味深いです。

テストにでます。なのでこの年表におじいちゃんから聞いた話をあてはめると

 

学徒動員

学徒動員というのは、労働力不足を補うために学生が強制的に工場なんかではたらかせることです。 1943年に発動したこの力によって駆り出されたおじいちゃんは三菱電機名古屋製作所にある軍の工場でエンジンとかの部品を作っていたらしいです。

 

大竹海兵団入団

その後1945年、18の時に志願して大竹海兵団に入団。

大竹海兵団というのは全国各地から志願した人や徴兵された人を広島で訓練していたらしく砲弾、無線通信、陸兵など何種類かのコースから選び 研修3ヶ月、実技3ヶ月で戦争へというものだったらしいです。もうみんな志願するような空気感だったんでしょう。

ちょうど名古屋城が爆撃されたころだなーなんて言ってたので 確認したところ1945年3月12日から5月まで名古屋大空襲があったらしく5月14日に名古屋城が焼失してました。

写真を見してもらうと海軍特別幹部練習生 大竹海兵団5.18入団と写真の下にメモで書いてあったので 5月14日くらいに名古屋を出発して広島ついたのが18日くらいなのかなと推測されます。 写真を見るとまだ少年達という感じで学級写真のようでした。こんな子供たちが志願して戦争にでる時代です。

 

広島で砲術トレーニングスタート

広島について大竹海兵団に入った後は砲術のコースを選択。砲術を学び始めたそうです。

おじいちゃん「研修中はひどくてよ〜俺もだいぶしぼられたがや」

「なんで?」

おじいちゃん「団に班長?ってのがおってよ、なにかヘマしたりだとか、テストの点がわるかったりとかするとそいつが木の棒でおもっきし3発なぐるんだがや。尻を」

「マジで?」

おじいちゃん「そのあとは痛うて椅子にも座れん。わしの班は比較的ものわかりのいい班長だったけどとなりの班なんかひどうてよ〜紐で縛って天井から吊るしてぼこぼこに殴るんだわ。
気絶したら水をぶっかけてまた殴る。戦争行く前に半殺しだわ。生きとるかもわからん。

いとこ「それ部活でもやってるよ」

「え?うそ?笑 それの名残かたしかにケツバットとかはあったけど」

おじいちゃん「あんな事しとるようじゃあかん思ったよ。あんなことしても意味ないからな。」

なんてサディスティックな訓練をしている最中に、、、

 

新型爆弾(核)投下

太平洋戦争 第二次世界大戦 広島 終戦後 核 新型爆弾

日本が扱ってる砲弾の飛距離は8000m、アメリカのB-29の高度は10000m。その頃は本来乗るはずだった戦車やらも破壊され、乗るものがなかったという今考えるとラッキーな研修期間中の8月6日午前8時15分?ヒロシマに核が投下。

飛行機から落とされた爆弾は45秒後地上から約600m上空で爆発。

山かどっかで訓練中だったというおじいちゃんは距離にして20キロくらいのとこだったらしくものすごい閃光にその直後にみえたキノコ雲。 遅れて届く爆音からの熱風。

最初は、え?20kmて大丈夫なの? 放射能は?と思いましたが色々と被害状況がのっていたのは半径5kmくらいまででした。20km離れてるとどうやら大丈夫みたいです。

おじいちゃんは90を超えて今だに元気ですが、適度な放射能は若返らせるというのも説得力があります。

当時日本の戦況が悪いことは一切教えてくれなかったらしいですが、それからしばらくして終戦したことを知りおじいちゃんは戦争にでることなく大竹海兵団は解散。ほんとに戦車とか乗るものがなくてラッキーだったと思います。乗っていたら私多分生まれてないしこれ書いてなと思います。

 

爆撃後の広島

スクリーンショット 2017-01-12 4.23.27

おじいちゃんはその後広島から名古屋へ貨物列車で帰宅。

「そのころの電車は石炭が悪くて トンネルに入ると煙が充満してほんとに死にそうになってよー。
帰ったら名古屋は空襲で焼け野原だったけどよー。でもみんな生きとったがや。 それからは食うもんなくて草食ったりしてた。」とのことで色々写真をみせてもらいましたがなんか現実離れしすぎててよくわかりませんでした。

これを機にエノラ・ゲイに乗って原爆を落としたセオドア・パンカーク氏のインタビューやら対談、ゼロ戦のパイロットのインタビューやら、偶然話を聞く前日にテレビでやってた硫黄島の戦いのドキュメントなんかをいろいろ観てみました。

「原爆の投下は長期的に見れば多くの命を救った。そのほとんどが日本人の命だ」

「戦争や原爆はいかなる問題も解決しない」

「真珠湾を忘れるな、あれで友達を失ったんだ。私は謝らない」

「彼は命令されてやっただけさ」

「ルーズベルト氏は真珠湾攻撃を知っていたけど大統領になるときに戦争しないって誓ったから日本が戦争を仕掛けてくるようにした」

などなど、今は知識が浅すぎてなんとも言えないですが当時の色々な思いを知れたので単純にこういう事の上に成り立ってるんだということをもっとさかのぼって知りたいなと思いました。

そのうちこの戦争経験者ってのはこの世からいなくなってしまいますが、聞ける人はリアルな体験を聞いてWebに残してみるってのもいいかもしれないです。もちろん思い出したくない人、話したくない人もいるかもしれませんが。

「あんなばかなことは絶対やっちゃあかんよ。」

と、最後に言っていたのが響きました。
長い歴史のなかで今だけ戦争がないんということを考えるとほんとラッキーすぎる平和な時代に生まれたと思います。今は今で色々な悩みもあるかもしれが、せっかくいただいた命なのでもっともっと人生楽しみたいと思います。

では、また。

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