ディスコは死ななかった——テクノとハウスの歴史はシカゴの爆破から

1979年7月、シカゴの野球場。
試合の合間に、グラウンドへディスコのレコードが山と積まれ、爆破されました。企画したのはロックのラジオDJ。観客はフィールドになだれ込み、「ディスコは死んだ」と叫びます。
ところが、ディスコは死にませんでした。
表通りを追われたレコードは、都市の地下のクラブへ潜ります。そこで組み替えられ、機械のビートを与えられ、別の名前で生まれ変わりました。ハウス、そしてテクノ。いま世界中のフェスを鳴らす四つ打ちは、あの爆破の夜の続きです。
ディスコが爆破された夜、シカゴの倉庫でハウスが生まれた
爆破イベントの背景には、ディスコの担い手だった黒人やラテン系、ゲイのコミュニティへの反感が混じっていたと指摘されています。行き場を失った音楽をかくまったのも、同じコミュニティのクラブでした。
その拠点のひとつが、シカゴの「Warehouse(ウェアハウス)」です。DJのフランキー・ナックルズは、古いディスコやソウルのレコードを切り貼りし、ドラムマシンを重ね、朝まで途切れない音楽に作り替えました。レコード店の棚で「ウェアハウスでかかる曲」が縮まって「ハウス」。広く語られる由来です。
やがてDJたちは、自分でトラックを作り始めます。安い機材で組んだ、骨と皮だけの四つ打ち。そこで事件が起きました。ベースライン用に売られていた小箱TB-303のつまみを回しすぎたら、ぐにゃりと歪んだ音が出た。冒頭の写真の機械です。この誤用から、アシッド・ハウスというジャンルが丸ごと生まれました。
同じ頃、湖の向こうの自動車の街でも、別の音が組み上がっていました。
車の街デトロイトは、なぜ「未来の音」を選んだのか

中心にいたのは三人の若者です。フアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソン。郊外の町ベルヴィルで出会った三人は、のちに「ベルヴィル・スリー」と呼ばれます。
その音はシカゴのハウスより冷たく、SF的でした。デリック・メイは自分たちの音楽を「クラフトワークとジョージ・クリントンがエレベーターに閉じ込められた音」と説明しています。ヨーロッパの電子音楽と黒人のファンクが、狭い箱の中で混ざり合う。
デトロイトは当時、工場のオートメーション化で人の仕事が機械に置き換わっていく街でした。三人はその機械の音で、荒れた現実ではなく、まだ来ない未来を鳴らします。1988年にイギリスで出たコンピレーション盤の題に「テクノ」の語が冠され、この名前が世界に定着しました。
では、彼らが夢中で聴いていたクラフトワークとは何者か。
デュッセルドルフからの電波——クラフトワークという設計図
ドイツ・デュッセルドルフのグループです。1970年代から、シンセサイザーと電子リズムだけで曲を作り、自分たちをロックスターではなく「音楽労働者」として提示しました。
歌う主題は、アウトバーンを走る車、ヨーロッパを横断する特急、電卓、ロボット。感情を消したように聞こえる反復が、海を越えてアメリカのラジオで流れ、デトロイトの若者の耳をつかみました。ニューヨークではヒップホップにも引用され、エレクトロという流れを生みます。
未来の音楽の設計図は、工業国ドイツから届きました。その設計図を動かす道具は、もうひとつの工業国から来ます。日本製でした。
失敗作と呼ばれた808と909——日本製の箱が心臓になる

ローランドのリズムマシン、TR-808とTR-909。もとは「生のドラマーの代わりに使える機械」として売られました。
出てくる音は、ドラムに似ていません。バスドラムは腹の底で唸る低音、スネアは乾いた電子音。プロの現場には受け入れられず、生産は短期間で終わり、中古市場に安く流れました。
そこで評価が反転します。金のない若者の手に渡ったとき、「本物に似ていない」ことが個性に変わりました。808の伸びる低音はヒップホップとハウスの心臓になり、909のキックとハイハットはテクノの標準装備になります。私は808のキックを初めてヘッドホンで聴いたとき、音というより振動だと思いました。あれは楽器の代用品ではなく、別の楽器です。
作り手の意図から外れた使い方が、そのままジャンルになる。TB-303と同じ転倒が、ここでも起きています。
機械の次は、人間の番でした。DJという仕事が、このころ楽器に変わります。
DJが楽器になった——クラブという空間ごと鳴る音楽

DJはもともと、曲をかける係でした。それが二枚のレコードの回転を合わせ、切れ目なくつなぎ、一晩の感情の起伏を設計する演奏者になります。
だから曲の形も変わりました。イントロとアウトロには、ドラムだけの部分が長く置かれます。単体で聴くと退屈に思える構造は、つなぐことを前提にした設計図です。暗い空間と大音量と踊る身体があって、はじめて完成します。
この文化はヨーロッパで爆発しました。イギリスではアシッド・ハウスを軸に屋外の大規模レイヴが社会現象になります。ベルリンでは壁の崩壊後、使われなくなった発電所や地下金庫がクラブに変わりました。廃墟と余った空間が、そのまま音楽の器になったわけです。
その熱は、東の島国にも届いていました。
日本のテクノ——YMOから電気グルーヴ、ケン・イシイへ
日本には先行者がいました。YMOです。テクノの語が広まる前から、シンセサイザーとシーケンサーの音楽を世界に届け、海外の作り手たちにも意識される存在でした。
90年代に入ると、電気グルーヴやケン・イシイが国内外で評価され、東京や大阪に本格的なクラブが次々と生まれます。ケン・イシイの映像作品が海外で高い評価を受けた出来事は、日本のテクノが「輸出品」になった例としてよく語られます。近年は深夜営業をめぐる法制度の見直しもあり、クラブは以前より開かれた場所になりました。
よくある質問
Q. テクノとハウス、聴き分けるコツはありますか?
大まかには、ハウスはディスコやソウルの子孫で、四つ打ちに歌やピアノが乗る温かい音楽。テクノはより硬質で、反復と音色の変化そのものを聴かせます。まず「温かいか、冷たいか」で仕分けると迷いません。
Q. EDMもテクノやハウスの仲間ですか?
ルーツは共通ですが、EDMは2010年前後にフェス向けへ大型化したダンスミュージックの総称です。盛り上がりの山を大きく作る点が、反復を積み上げる従来のテクノやハウスと異なります。
Q. クラブに行かないと楽しめませんか?
自宅でも楽しめます。ただし低音が骨格なので、スマホのスピーカーではなくヘッドホンで聴いてください。それだけで別の音楽に聞こえます。
まとめ:機械の音は、街から生まれた
- ハウスはシカゴのクラブで、ディスコを作り替えるDJたちの手から生まれた
- テクノはデトロイトの三人組が、機械化される街で未来を想像して作った
- クラフトワークが、両者に共通する電子音楽の設計図を渡した
- TR-808や909は失敗作扱いから中古で出回り、ジャンルの心臓になった
- DJはつなぐ演奏者になり、クラブという空間ごと音楽が設計された
まずはヘッドホンで、好きな一曲のバスドラム以外の音をひとつ選び、10分だけ追いかけてください。単調に見えた反復が、少しずつ形を変え続けていることに気づきます。1979年の夜に爆破されたはずの音楽は、そうやって今も鳴り続けています。
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