ソウルミュージック入門|モータウンとスタックス——正反対の二つの部屋が名曲を作った

デトロイトの住宅街に立つモータウン旧社屋「ヒッツヴィルU.S.A.」。現在はモータウン博物館として公開されている
デトロイトの住宅街に立つモータウン旧社屋「ヒッツヴィルU.S.A.」。現在はモータウン博物館として公開されている

デトロイトの住宅街に、白い小さな一軒家があります。

看板の文字は「ヒッツヴィルU.S.A.」。直訳すれば「ヒット曲の街、アメリカ」。この家では毎週金曜の朝、できたての曲を全員で審査する会議が開かれていました。合格しなければ、世に出ない。

工場みたいなやり方だと思いましたか。その通りです。作った男は、自動車工場の組立ラインで働いていました。

一方、南のメンフィスには、床が傾いたままの元映画館があった。こちらは会議なし。その場で音を出し合い、歌も演奏も一気に録る。

1960年代のソウルミュージックの名曲は、ほぼこの正反対の二つの部屋から生まれました。

日曜の歌を、土曜の夜に歌ったら——ソウルの生まれ方

ソウルの土台は、黒人教会のゴスペルです。

牧師が一節を投げかけ、会衆が歌で返す。「コール・アンド・レスポンス」と呼ばれる掛け合いです。ひとつの母音を何音にも揺らして伸ばす歌い回しも、手拍子もタンバリンも、すべて教会の中で磨かれていました。

つまり、あの歌い方はもともと神様のためのものでした。

だから、それを恋の歌に使えば「冒涜」と呼ばれた。ゴスペルのスターだったサム・クックがポップスに転じたとき、教会からは激しい非難が飛びました。讃美歌の旋律に世俗の歌詞をのせたレイ・チャールズも同じです。

それでも流れは止まりません。祈りのために鍛えた声が、恋や別れや貧しさを歌い始める。神ではなく、隣にいる誰かへ向けた歌。ソウルの正体はこれです。

その声を「工場」に載せようと考えた男が、デトロイトにいました。

家族に借りた800ドル——モータウンという名のヒット工場

1959年、ベリー・ゴーディは家族の互助会から800ドルを借りて、レコード会社を始めます。のちのモータウン・レコード。社名の由来は、自動車の街を意味するデトロイトの愛称「モーター・タウン」です。

ゴーディにはフォードの組立ラインで働いた経験がありました。その発想を、そのまま音楽に持ち込みます。専属の作詞作曲チーム。専属のスタジオバンド。振付師にマナー講師。歌手は立ち居振る舞いから教育され、曲は毎週の品質管理会議で「シングルとして出せるか」を審査されました。

掲げた売り文句は「ヤング・アメリカのサウンド」。黒人向けの音楽としてではなく、人種を問わずアメリカの若者全員に売る、という宣言です。

スプリームス、テンプテーションズ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5。この一軒家のスタジオから出た名前を並べると、そのまま名曲集になります。あなたが知らないつもりでいる曲も、必ず混じっています。演奏の大半はファンク・ブラザーズという裏方バンドの仕事でした。彼らの名前が世に知られるのは、ずっと後のことです。

モータウンの音は明るく、跳ねていて、イントロが短い。ゴーディは完成した曲を安いカーラジオで鳴らして確かめたと伝えられます。基準は、走る車の中で数秒以内に耳をつかめるかどうか。

同じ頃、南のメンフィスでは、正反対の部屋が動いていました。

傾いた床の元映画館——スタックスの一発録り

スタックス・レコード跡地に建つスタックス博物館(メンフィス)。手前の標識にはオーティス・レディングらの名前が刻まれている(Photo: Thomas R Machnitzki / CC BY-SA 3.0)
スタックス・レコード跡地に建つスタックス博物館(メンフィス)。手前の標識にはオーティス・レディングらの名前が刻まれている(Photo: Thomas R Machnitzki / CC BY-SA 3.0)

スタックス・レコードのスタジオは、廃業した映画館でした。

客席の傾斜が残ったままの床が、独特の響きを生んだといわれます。社名は創業者ジム・スチュワートと姉エステル・アクストンの姓を組み合わせたもの。姉弟の会社です。

ここに審査会議はありません。ハウスバンドのブッカー・T&ザ・MG’sがその場でリフを出し合い、ホーン隊が乗り、歌手も同じ部屋で一気に録る。荒くて、生々しい。モータウンが磨き上げた工業製品なら、スタックスは手仕事の一点物です。

もうひとつ、決定的な違いがありました。このハウスバンドは、白人と黒人の混成だったのです。人種隔離が法律として残る南部で、同じ部屋で対等に音を出す集団がヒットを出し続けた。この事実だけで、当時のアメリカへの返答になっています。

その部屋の真ん中に立っていたのが、オーティス・レディングでした。

オーティス・レディング——遺作は波止場をただ眺める歌だった

オーティス・レディング(1967年、スタックス・レコードの宣材写真)
オーティス・レディング(1967年、スタックス・レコードの宣材写真)

絞り出すような声。リズムをほんの少し後ろに引っ張る歌い方。オーティス・レディングはスタックスの看板であり、ソウルという言葉の見本のような歌手です。

1967年12月、彼を乗せた小型機が湖に墜落します。26歳でした。

その数日前に録音していたのが「ドック・オブ・ベイ」。波止場に座って、ただ潮の満ち引きを眺めている歌です。叫びも汗もない、静かな曲。最後は歌詞ではなく、口笛で終わります。

初めてあの口笛を聴いたとき、私はそこだけ何度も聴き返しました。26歳の人が残した最後の録音が、こんなに軽やかでいいのかと。

彼の曲はもうひとつ、思わぬ形で歴史に残ります。書いた本人ではなく、歌い直した女性の声で。

アレサ・フランクリンは「リスペクト」をどうひっくり返したのか

アレサ・フランクリン(1968年、アトランティック・レコードの宣材写真)
アレサ・フランクリン(1968年、アトランティック・レコードの宣材写真)

「リスペクト」を書いたのは、オーティス・レディング本人です。

元の歌は、外で稼ぐ男が「家に帰ったら敬意を示してくれ」と求める内容でした。デトロイトの牧師の家に生まれ、教会で歌い育ったアレサ・フランクリンは1967年、これを女性の側から歌い返します。敬意を払いなさい。綴りまで一文字ずつ叩きつけて。R-E-S-P-E-C-T。

同じ言葉が、立場を変えるだけで別の歌になる。この一曲は公民権運動と女性解放運動の両方で歌われ、彼女は「クイーン・オブ・ソウル」と呼ばれるようになりました。

サム・クックが残した「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」も同じ時代の歌です。変化は必ず来る、と静かに繰り返すこの曲は、公民権運動の集会で歌い継がれました。歌詞だけの話ではありません。黒人が経営する会社の作った音楽が全米で売れた。その事実そのものが、運動の一部でした。

そしてこの時代の終わりに、ヒット工場の内側から造反者が現れます。

『ホワッツ・ゴーイン・オン』——工場で育った職人が、工場を出た

マーヴィン・ゲイは、モータウンが育てた甘い声のスターでした。

そのゲイが、ベトナム戦争から帰った弟の話を聞き、社会を正面から見つめるアルバムを作ると言い出します。題名は『ホワッツ・ゴーイン・オン』。「一体どうなってるんだ」という意味です。踊れるヒットを求めるゴーディは「政治的すぎて売れない」と反対したと伝えられます。

結果は逆でした。1971年に世に出たこのアルバムは、ソウルを3分のシングルから「ひと続きの長い作品」へ進める転換点になります。スティーヴィー・ワンダーが全楽器をほぼ一人で演奏する作家として独立していくのも、この後の話です。

品質管理会議が育てた職人が、会議の外で傑作を作った。モータウンの物語の結末として、これ以上のものはありません。

よくある質問

Q. ソウルとR&B、ファンクはどう違う?
ざっくり言えば、R&Bが土台、そこにゴスペル由来の歌唱が乗るとソウル、さらにリズムを前面に出すとファンクです。境目は曖昧で、同じ歌手が三つとも歌います。厳密に分けるより「呼び方の違う親戚」と考えて聴くほうが楽しめます。

Q. 英語がわからなくても楽しめますか?
問題ありません。ソウルは声の質感と間の取り方で伝える音楽です。気に入った曲だけ後から歌詞を調べると、この記事に書いたような背景が見えて二度おいしくなります。

Q. 60年代の録音は音が古くないですか?
モノラル録音は多いものの、リマスター盤なら今のイヤホンで十分聴けます。狭い音像の真ん中に声がぎゅっと詰まった感じは、むしろこの時代の持ち味です。

まとめ

  • ソウルは教会のゴスペルとR&Bが合流して生まれた音楽
  • デトロイトのモータウンは「工場」型。800ドルから始まり、分業と審査でヒットを量産した
  • メンフィスのスタックスは「一発録り」型。白人と黒人の混成バンドが音を支えた
  • アレサ・フランクリンの「リスペクト」は、男の歌を女性の尊厳の歌へ反転させた
  • 『ホワッツ・ゴーイン・オン』がソウルをアルバム表現へ押し上げた

今日はまず「リスペクト」を、オーティス版、アレサ版の順で1回ずつ聴いてください。同じ歌詞が別の歌に変わる瞬間に、デトロイトの一軒家とメンフィスの映画館、二つの部屋の距離がそのまま鳴っています。

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