『奇妙な果実』とは?ビリー・ホリデイが1939年に歌い、レコード会社が出さなかった1曲

マイクの前で歌うビリー・ホリデイ。ニューヨークのクラブ「ダウンビート」にて(1947年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)
マイクの前で歌うビリー・ホリデイ。ニューヨークのクラブ「ダウンビート」にて(1947年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)

その曲が始まる前に、店の給仕たちは動きを止めました。

1939年、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」。グラスの音も、注文の声も消える。客席の明かりが落とされ、真っ暗な中に、スポットライトが一つだけ灯る。照らされているのは、歌手の顔だけです。

歌が終わると、ライトが消える。もう一度明かりがついたとき、舞台に歌手の姿はありません。アンコールはなし。それが、この曲を歌うときの決まりでした。

歌手の名はビリー・ホリデイ。曲は『奇妙な果実』。

ジャズのレコードを長く聴いてきた私にとっても、この曲は、いまだに軽い気持ちで再生ボタンを押せない1曲です。なぜそうなのかを、書いてみます。

『奇妙な果実』とは何の歌か——南部の木に下がっていたもの

『奇妙な果実』は、アメリカ南部で行われていたリンチを歌った曲です。

リンチとは、裁判を経ずに、群衆が人を私的に処刑すること。19世紀の終わりから20世紀の前半にかけて、アメリカ南部では、多くの黒人が言いがかりのような理由で群衆に殺され、木に吊るされました。見物人が集まり、その様子を写した写真が絵はがきのように出回ることさえあった。

歌の中では、南部ののどかな風景が描かれます。木々、風、花の香り。そのやさしい言葉のあいだに、木に吊るされた黒人の遺体が「果実」としてぶら下がっている。美しい田園の描写と、むごたらしい光景が、同じ調子のまま並べられていきます。

叫ぶ歌ではありません。メロディーはゆっくりで、声は低く抑えられている。だからこそ、聴き終えたあと、何も言えなくなる。

ここで歌詞を引用することはしません。ただ、言葉の一つ一つが、聴く人に「目をそらすな」と求めてくる歌だ、ということだけは書いておきます。

書いたのはブロンクスの高校教師だった

作ったのは、ビリー・ホリデイではありません。

ニューヨークのブロンクスで高校の英語教師をしていた、エイベル・ミーロポルというユダヤ系の男性です。1930年代のある日、彼は1枚の写真を見ました。南部ではなく中西部のインディアナ州で、1930年に2人の黒人青年がリンチされたときの写真だったとされます。木に吊るされた2人の下に、白人の群衆が集まり、カメラのほうを見ている。

その写真が頭から離れなかったミーロポルは、一編の詩を書きます。「ルイス・アラン」というペンネームで発表し、やがて自分で曲もつけました。

ミーロポルという人の輪郭が見えるエピソードを、もう一つ。1953年、アメリカでスパイ罪に問われたローゼンバーグ夫妻が処刑されたとき、残された幼い2人の息子を引き取り、養子として育てたのが、ミーロポル夫妻でした。見て見ぬふりのできない人だったのだと思います。

曲は、労働組合の集会などで歌われるうちに、カフェ・ソサエティの経営者バーニー・ジョセフソンの耳に入ります。この店は、黒人と白人の客が同じ客席に座れる、当時のニューヨークでは珍しいクラブでした。そこで毎晩歌っていたのが、23歳のビリー・ホリデイです。

彼女は、最初はこの歌をどう歌えばいいのかわからなかったといわれます。けれど、何度か歌ううちに、自分の歌にしていきました。彼女の父親は、南部を巡業中に肺炎にかかり、黒人であることを理由に病院で治療を断られて亡くなった、と自伝に書いています。南部の差別は、彼女にとって他人事ではありませんでした。

ニューヨークのカーネギー・ホールの舞台に立つビリー・ホリデイ(1946〜48年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)
ニューヨークのカーネギー・ホールの舞台に立つビリー・ホリデイ(1946〜48年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)

「出せない」と言った大手、引き受けた小さなレコード店

評判は、すぐに広まりました。ビリーはこの曲を録音したいと考えます。

ところが、彼女が契約していた大手レコード会社は、録音を断りました。南部のレコード店や客の反発を恐れたためといわれます。

引き受けたのは、ニューヨークのレコード店「コモドア」でした。店主のミルト・ゲイブラーは、自分の店のレーベルでジャズのレコードを出していた人物です。大手が出さないなら、うちで出そう。1939年4月、『奇妙な果実』は録音されました。

レコードはよく売れました。ラジオでかけるのを避ける局もありましたが、黒人の新聞や、差別に反対する人々のあいだで、この曲は広く知られていきます。

それから60年後の1999年、アメリカの雑誌『タイム』は、この曲を「世紀の歌」に選びました。ロックンロールでもポップスでもなく、3分あまりの、暗い、抗議の歌が選ばれたのです。

一方で、アメリカの連邦法で、リンチがはっきりと犯罪として定められたのは2022年のことでした。この曲が録音されてから、80年以上あとです。

アンコールはなし——ビリー・ホリデイがこの曲に払ったもの

愛犬ミスターと一緒のビリー・ホリデイ(1947年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)
愛犬ミスターと一緒のビリー・ホリデイ(1947年ごろ、Photo: William P. Gottlieb)

ビリー・ホリデイは、1915年に生まれ、貧しい少女時代を過ごし、10代でニューヨークのクラブで歌い始めました。サックス奏者レスター・ヤングがつけた「レディ・デイ」というあだ名で、仲間からは呼ばれています。

彼女の歌の特徴は、声量ではなく、言葉の置き方にあります。メロディーを少し遅らせたり、言葉の端を引きずったりして、歌詞を自分の話し言葉のように聴かせる。『奇妙な果実』では、その歌い方が極端なところまで行っています。一語ずつ、確かめるように置いていく。

この曲を歌い続けることは、楽なことではありませんでした。客席から反発を受けることもあり、店によっては歌うなと言われることもあったといわれます。それでも彼女は、晩年までこの曲を歌い続けました。

ビリー・ホリデイが亡くなったのは1959年、44歳のときです。のちには、ニーナ・シモンをはじめ多くの歌手がこの曲を取り上げていますが、いまでも最初に名前が挙がるのは、1939年の彼女の録音です。

よくある質問

Q. 初めて聴くなら、どの録音がよいですか?
1939年にコモドアで録音したものが基本です。音は古いのですが、20代のビリーの声で聴けます。晩年のライブ録音では声は荒れていますが、そのぶん重みが増しています。2つを聴き比べると、同じ歌手が20年かけて同じ曲をどう歌い変えたかがわかります。

Q. ジャズの入門として最初に聴いてよい曲ですか?
ジャズの楽しさを知る最初の1曲としては、重すぎるかもしれません。ビリーの明るい曲から入るなら、1930年代にピアニストのテディ・ウィルソンと録音した軽快な曲がおすすめです。『奇妙な果実』は、そのあとで、時間をとって聴いてください。

まとめ

  • 『奇妙な果実』は、アメリカ南部で行われたリンチを、のどかな風景の言葉で歌った抗議の歌
  • 作ったのはブロンクスの高校教師エイベル・ミーロポル。リンチの写真を見て詩を書いた
  • 1939年、カフェ・ソサエティで歌われ、大手が断った録音をレコード店のレーベル「コモドア」が引き受けた
  • 1999年、雑誌『タイム』が「世紀の歌」に選んだ

正直に書くと、私はいまでも、この曲を「名曲」という言葉で人にすすめられずにいます。美しい曲だと言ってしまうと、歌われている中身から目をそらしてしまう気がする。ただ、一度は、部屋を暗くして、3分だけ黙って聴いてほしい。カフェ・ソサエティの給仕たちが手を止めた理由は、それでわかります。

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