『G線上のアリア』はなぜ「G線」なのか?バッハの死から120年後に書き換えたヴァイオリニスト

『G線上のアリア』の原曲、管弦楽組曲第3番「エア」の第1ヴァイオリンの筆写譜
『G線上のアリア』の原曲、管弦楽組曲第3番「エア」の第1ヴァイオリンの筆写譜

『G線上のアリア』。曲名は知っている。旋律も、たぶん頭の中で鳴らせる。

ゆっくり歩くような低音の上で、長くのびた一つの音が、少しずつほどけていく。卒業式、追悼の番組、ホテルのロビー。静かな場面で何度も耳にしてきた、あの曲です。

では、「G線」とは何のことか。

ここで止まる人は多いはずです。そして答えをたどると、この曲を書いたのはバッハだけではなかった、という話にたどり着きます。

『G線上のアリア』の「G線」は、ヴァイオリンのいちばん低い弦

ヴァイオリンの4本の弦。いちばん太く、いちばん低い音を出すのがG線
ヴァイオリンの4本の弦。いちばん太く、いちばん低い音を出すのがG線

ヴァイオリンには、弦が4本張られています。

低いほうから順に、G、D、A、E。ドレミで言えば、ソ、レ、ラ、ミの音に合わせてあります。G線は、そのうちいちばん太く、いちばん低い音を出す弦です。

ふつう、ヴァイオリン奏者は4本の弦を行き来しながら旋律を弾きます。高い音はE線で、低い音はG線で。そのほうが指の移動が少なく、楽に弾けるからです。

『G線上のアリア』は、それをわざとしません。

最初の音から最後の音まで、旋律をすべてG線1本の上で弾く。曲名は、この弾き方の指示そのものです。「G線の上で弾くアリア」。ただそれだけの、技術的な名前でした。

1本の弦だけで旋律を弾くと、何が起きるか。

高い音に行くほど、左手はG線の上を胴のほうへ、どんどん下りていかなければなりません。弦の振動する部分は短くなり、張りつめた、少しくぐもった声のような音になる。4本を使い分けたときの明るい響きとは、色がまるで違います。

太い1本の弦で、高いところまで粘り強く歌わせる。その音色こそが、この編曲のねらいでした。

では、バッハはなぜそんな面倒な指示を書いたのか。

書いていません。G線の指示を書いたのは、バッハが亡くなってから120年ほどたった19世紀の、別の人です。

管弦楽組曲第3番の「エア」と、1871年のヴァイオリニスト

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの肖像(エリアス・ゴットロープ・ハウスマン画、1746年)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの肖像(エリアス・ゴットロープ・ハウスマン画、1746年)

もとの曲は、バッハの『管弦楽組曲第3番 ニ長調』の第2曲です。

組曲とは、舞曲などの短い曲をいくつも並べた作品のこと。第3番は、華やかな序曲で始まり、トランペットとティンパニが鳴り響く、祝祭的な曲集です。そのなかで第2曲だけは、トランペットもティンパニも休み、弦楽器と通奏低音(チェンバロなどが受け持つ伴奏の低音)だけが静かに奏でます。

題は「エア(Air)」。フランス語やイタリア語系の言葉で「歌」「旋律」を意味します。日本語の「アリア」も、ここから来ています。

いつ作曲されたのか、正確な年はわかっていません。

原曲は、ニ長調。第1ヴァイオリンが旋律を受け持ち、4本の弦を自由に行き来して弾きます。G線だけ、という制約はどこにもありません。

時代が飛びます。

1871年、ドイツのヴァイオリニスト、アウグスト・ヴィルヘルミが、この「エア」をヴァイオリンとピアノのために編曲しました。

アウグスト・ヴィルヘルミ(1879年、ナポレオン・サロニー撮影)
アウグスト・ヴィルヘルミ(1879年、ナポレオン・サロニー撮影)

彼が変えたのは、主に2つです。

  • 調をニ長調からハ長調に下げた
  • 旋律全体を、さらに1オクターブ低くした

こうすると、旋律がちょうどG線1本の音域に収まります。そこで楽譜に「G線で弾くこと」と書き込んだ。これが『G線上のアリア』の誕生です。

ヴィルヘルミは、当時ヨーロッパで指折りの名手でした。1876年、ワーグナーが自分の作品のためだけに建てたバイロイト祝祭劇場で、大作『ニーベルングの指環』が初めて全曲上演されたとき、オーケストラのコンサートマスターを務めたのが彼です。世界各地を演奏旅行で回り、アメリカでも演奏しています。上の写真は、そのころニューヨークで撮られたものです。

太い弦で歌いあげる、ロマン派らしい濃い音色。19世紀の聴衆が好んだ響きに合わせて、ヴィルヘルミは18世紀の曲を仕立て直しました。

私は、この編曲を「名曲の改ざん」とは思いません。

バッハの音楽は、彼の死後しばらく、限られた人にしか演奏されない時代がありました。19世紀に入ってから、メンデルスゾーンたちの手で少しずつ演奏会に戻ってきます。ヴィルヘルミの編曲は、その流れのなかで、ヴァイオリン1本とピアノさえあればどこでも弾ける「持ち運べるバッハ」を作った仕事でした。オーケストラを集めなくても、サロンでも家庭でも鳴らせる。

その身軽さが、この曲を世界中に連れ出しました。

いま聴いているのは、どちらの『G線上のアリア』か

ややこしいのは、ここからです。

現在「G線上のアリア」の名で流れている演奏の多くは、ヴィルヘルミの編曲ではありません。弦楽合奏によるバッハの原曲、つまり管弦楽組曲第3番の「エア」をそのまま演奏したものに、通称として『G線上のアリア』の名がつけられています。

原曲では、第1ヴァイオリンはG線にこだわらずに弾きます。だから厳密に言えば、それは「G線上」ではありません。

名前だけが、編曲から原曲へと逆流したわけです。

聴き分けるのは、それほど難しくありません。

ヴァイオリン1本とピアノで、低く、太い声で歌っていれば、ヴィルヘルミの編曲。弦楽器の合奏で、少し高い位置から明るく、柔らかく響いていれば、バッハの原曲です。原曲のほうでは、旋律の下で、チェロやコントラバスの低音が一歩ずつ歩くように進むのもはっきり聞こえます。

同じ旋律でも、音の高さと楽器が変わると、ずいぶん表情が変わります。原曲は、窓から光が差す部屋のような静けさ。ヴィルヘルミ版は、もっと夜に近い、ひとりの人の告白のような声です。

この曲が追悼や式典の場面でよく選ばれる理由も、原曲の低音にあると私は思っています。

低音は、ほとんど同じ速さの音符で、一歩ずつ下りていきます。急に止まったり、走り出したりしない。その上で、旋律は長い音をのばしてから、細かくほどけていきます。盛り上がって大きな山を作る場面が、ほぼありません。

足取りは一定で、声は静か。聴く人の気持ちを引っぱらず、横に並んで歩いてくれる音楽です。

どちらが正しい、という話ではありません。18世紀のバッハと、19世紀のヴィルヘルミ。2人の手が重なって、いま私たちの知っている「あの曲」ができています。

よくある質問

Q. 『G線上のアリア』の演奏時間はどれくらいですか?
演奏によって違いますが、4分から6分ほどです。くり返しを省くかどうか、テンポをどれだけ遅くするかで長さが変わります。

Q. 管弦楽組曲第3番は、ほかにどんな曲が入っていますか?
「序曲」「エア」のあとに、「ガヴォット」「ブーレ」「ジーグ」という舞曲が続きます。「エア」以外はトランペットとティンパニが加わる、にぎやかな曲です。

まとめ

  • 「G線」はヴァイオリンのいちばん低い弦。旋律をすべてG線1本で弾くので『G線上のアリア』と呼ばれる
  • 原曲はバッハの管弦楽組曲第3番ニ長調の第2曲「エア」。G線の指示はない
  • 1871年、ヴァイオリニストのヴィルヘルミが、調とオクターブを下げてG線だけで弾けるように編曲した
  • 現在この名で流れる演奏の多くは、バッハの原曲の弦楽合奏版

今日、2つの録音を続けて聴いてみてください。ヴィルヘルミ版のヴァイオリン独奏と、管弦楽組曲第3番の「エア」。同じ旋律が、1本の太い弦の上と、弦楽合奏の上で、まったく違う声で歌います。

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