カントリー音楽入門|ハンク・ウィリアムズと音楽の都ナッシュビル

カントリーの型を作った歌手ハンク・ウィリアムズ。カウボーイハットにギターという、その後の定番スタイル
カントリーの型を作った歌手ハンク・ウィリアムズ。カウボーイハットにギターという、その後の定番スタイル

1953年の元日、アメリカの田舎道を走るキャデラックの後部座席で、一人の歌手が息を引き取っていました。

29歳。名前はハンク・ウィリアムズ。カントリーミュージックという音楽の「型」を、ほとんど一人で完成させた男です。

カントリーと聞いて、日本ではピンとこない人が多いと思います。カウボーイハット、酒場、なんとなく古そうな音楽。ところがアメリカでは、今もラジオの主役級のジャンルです。テイラー・スウィフトがカントリー歌手としてデビューしたことは、よく知られています。

中身は、意外なほどシンプルです。失恋、酒、故郷、信仰。普通の人の、うまくいかない人生を三分で歌う。アメリカの演歌と呼ばれることがあるのは、そのせいです。

ではこの音楽、どこから来たのか。出発点は、海を渡った民謡でした。

カントリーはどこから来たのか——山に残った民謡と、バンジョーの意外な出自

源流のひとつは、アイルランドやスコットランドからの移民です。18世紀ごろ、新天地を求めた人々がアパラチア山脈の山あいに住みつき、故郷のバラッド(物語歌)やフィドル(バイオリン)の踊りの曲を持ち込みました。山の暮らしは孤立していて、古い歌がそのまま保存される冷蔵庫のような役割を果たします。この移民たちの音楽については、当ブログのアイリッシュ音楽入門で詳しく書きました。

もうひとつの源流は、あまり知られていません。

バンジョーです。カントリーの象徴のようなあの楽器は、ヨーロッパ生まれではありません。アフリカから奴隷として連れてこられた人々が持っていた、ひょうたん胴の弦楽器がルーツです。白人の民謡と、アフリカ由来の楽器とリズム。カントリーは最初から混血の音楽でした。

山の中で娯楽といえば、家の前庭で歌い、弾くこと。この「マウンテンミュージック」が1920年代にラジオとレコードに乗り、商売になります。

そこに現れたのが、あのキャデラックの男でした。

29歳で死んだハンク・ウィリアムズが、なぜ「型」なのか

痩せた体にカウボーイハット。ハンク・ウィリアムズはアラバマ州の貧しい家に生まれ、教会で歌を覚え、路上で黒人のブルース歌手から演奏を習ったと伝えられます。

書いた曲は、驚くほど率直です。

「Your Cheatin’ Heart(浮気なお前の心)」「I’m So Lonesome I Could Cry(泣きたいほど寂しい)」。タイトルだけで内容がわかります。飾った比喩ではなく、誰もが夜中に思うことをそのまま歌う。これがカントリーの歌詞の型になりました。

売れ方も、壊れ方も速かった。20代で国民的スターになり、酒と鎮痛剤で体を壊し、ステージをすっぽかして解雇され、29歳の元日に移動中の車内で亡くなります。短い活動期間に残した曲は、今もカントリー歌手全員の教科書です。

悲劇の天才が型を作り、次の男がその型を「外」へ運びます。

刑務所で歓声を録音した男——ジョニー・キャッシュ

1969年のジョニー・キャッシュ。黒ずくめの衣装から「マン・イン・ブラック」と呼ばれた
1969年のジョニー・キャッシュ。黒ずくめの衣装から「マン・イン・ブラック」と呼ばれた

1968年、カリフォルニアのフォルサム刑務所。囚人たちを前に、黒ずくめの男が「ハロー、アイム・ジョニー・キャッシュ」と名乗り、ライブが始まります。

この録音『At Folsom Prison』は、カントリー史に残るライブ盤になりました。翌年にはサン・クエンティン刑務所でも録音しています。底に響く低い声、貨物列車のように一定のリズムを刻むギター。キャッシュの音は一度聴けば忘れません。

黒い服を着る理由を、彼は「虐げられた人たちのためだ」と説明しました。囚人、貧しい人、報われない人の側に立つ歌手。「マン・イン・ブラック」の名前は、そこから来ています。

キャッシュの面白さは、晩年にもうひと山あることです。70歳になった2002年、ロックバンド、ナイン・インチ・ネイルズの「Hurt」をカバーし、若い世代を驚かせました。私はこのカバーからキャッシュに入った口で、枯れた声が原曲を上回る瞬間があると初めて知りました。

ハンクもキャッシュも、目指した場所は同じです。ナッシュビルという街の、あるステージでした。

ナッシュビルはなぜ「音楽の都」なのか——教会から始まったステージ

ナッシュビルのライマン公会堂。教会として建てられ、「カントリー音楽の母教会」と呼ばれる(Photo: Daniel Schwen / CC BY-SA 4.0)
ナッシュビルのライマン公会堂。教会として建てられ、「カントリー音楽の母教会」と呼ばれる(Photo: Daniel Schwen / CC BY-SA 4.0)

テネシー州ナッシュビルに、教会にしか見えない古い建物があります。

ライマン公会堂。もともと本物の教会として建てられ、のちに「グランド・オール・オプリ」というラジオ公開番組の会場になりました。1925年に始まったこの番組は、アメリカで最も長く続くラジオ番組のひとつとして今も放送されています。

オプリのステージに立つことは、カントリー歌手にとって甲子園出場のようなものでした。ハンク・ウィリアムズもここで喝采を浴び、素行が原因で出演を打ち切られています。栄光と追放の両方がある場所です。

番組が人を呼び、人がレコード会社を呼び、ナッシュビルには音楽産業の一角「ミュージック・ロウ」が育ちました。今では街の通り沿いに生演奏の酒場ホンキートンクが並び、昼から音が漏れています。ライマン公会堂が「カントリー音楽の母教会」と呼ばれるのは、比喩でも何でもありません。

このナッシュビルのすぐ隣で、もっと速くて、もっと山の匂いのする音楽が生まれます。

ブルーグラス——ドラムなしで疾走する高速アンサンブル

ブルーグラスで使われる5弦バンジョー。金属的な連打音がこのジャンルの心臓部(Photo: Arent / CC BY-SA 4.0)
ブルーグラスで使われる5弦バンジョー。金属的な連打音がこのジャンルの心臓部(Photo: Arent / CC BY-SA 4.0)

ブルーグラスは、カントリーの中の一ジャンルです。名付け親は、ケンタッキー州出身のビル・モンロー。自分のバンド「ブルー・グラス・ボーイズ」の名前が、そのままジャンル名になりました。

編成は基本的にアコースティックのみ。バンジョー、フィドル、マンドリン、ギター、ウッドベース。ドラムはいません。

ドラムがいないのに、速い。

これがブルーグラス最大の驚きです。バンジョー奏者アール・スクラッグスが広めた、指3本で弦を高速に転がす奏法「スリーフィンガー」が、機関銃のような連打でリズムを埋めます。全員が交代でソロを回す様子は、山の音楽というよりジャズに近い競技性があります。

甲高い声で張り上げるコーラスは「ハイ・ロンサム・サウンド(高くて孤独な音)」と呼ばれます。アパラチアの古い民謡の歌い方が、ここに生き残っています。冒頭の「山の冷蔵庫」は、いちばん速い音楽の中に保存されていたわけです。

よくある質問

Q. カントリーとブルーグラスは何が違うのですか?
ブルーグラスはカントリーの一分野です。電気楽器とドラムを使う主流カントリーに対し、ブルーグラスはアコースティック編成と高速の楽器ソロが特徴。まず音量と速度が違うので、聴き比べるとすぐ区別がつきます。

Q. 最初に聴くならどのアルバムがいいですか?
ジョニー・キャッシュ『At Folsom Prison』をすすめます。歓声込みのライブ盤なので、音楽と一緒に「誰に向けて歌う音楽か」まで伝わります。ブルーグラスは映画『オー・ブラザー!』のサウンドトラックが定番の入口です。

Q. カントリーは今も現役のジャンルですか?
現役です。アメリカではカントリー専門のラジオ局やチャートが維持され、テイラー・スウィフトのようにカントリー出身でポップスに進むスターも続いています。新譜は配信サービスのカントリーのプレイリストで聴けます。

まとめ:三分の曲を一つだけ

  • カントリーの源流は、アパラチア山脈に持ち込まれたアイルランド・スコットランド民謡と、アフリカ由来のバンジョー
  • ハンク・ウィリアムズが「普通の人の失恋と孤独を三分で歌う」型を完成させ、29歳で死んだ
  • ジョニー・キャッシュは刑務所ライブと黒い服で、報われない人の側に立ち続けた
  • ナッシュビルはラジオ番組グランド・オール・オプリを核に音楽の都になった
  • ブルーグラスはドラムなし・アコースティックで疾走する。バンジョーの連打が心臓部

今日やることは一つ。「I’m So Lonesome I Could Cry」を検索して、三分だけ聴いてください。歌詞がわからなくても、キャデラックの後部座席の男が何を歌っていた人なのかは、声だけで伝わります。

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