テクノとハウスの歴史入門|デトロイトとシカゴから始まったダンスミュージック

テクノとハウスの歴史入門|デトロイトとシカゴから始まったダンスミュージック

クラブから聞こえてくる、地面を叩くような四つ打ちのビート。テクノ、ハウス、EDM——名前は聞くけれど区別がつかない、という声はよく耳にします。歌もほとんどなく、同じフレーズが延々と続く音楽が、なぜ世界中の人を朝まで踊らせるのか。

答えの入り口は、1980年代のアメリカ中西部にあります。デトロイトとシカゴ。どちらも当時、産業が傾き、若者の仕事が消えていった街です。その荒れた街で、レコードを二枚つなぐ機械と、生ドラムの代わりにと売られて売れ残った日本製の箱から、まったく新しい音楽が組み上がりました。

この記事では、テクノとハウスがどこで、誰の手で生まれたのかを歴史としてたどります。機材の話とクラブの話が半分ずつ。そこが分かると、四つ打ちの聞こえ方が変わります。

シカゴ、ディスコが葬られたあとの倉庫で

1970年代末のアメリカで、ディスコは激しいバッシングを受けて商業的に葬られました。しかしフロアそのものは消えませんでした。行き場をなくしたディスコのレコードは、黒人やラテン系、ゲイ・コミュニティが集まる都市のクラブで生き延びます。

その拠点のひとつがシカゴの「Warehouse」というクラブでした。ここでプレイしていたDJのフランキー・ナックルズは、ディスコやソウルのレコードを継ぎ足しながら、ドラムマシンを重ねて延々と踊れる形に作り替えていきました。レコード店で「ウェアハウスでかかっている曲」を指す言葉が縮まって「ハウス」になった、というのが広く語られる由来です。

やがてDJたちは、他人のレコードを加工するだけでは足りなくなり、自分で作り始めます。安価な機材で組んだ骨だけのトラック。ゴスペル由来の力強い歌声を乗せたもの、機械の反復だけで押し切るもの。銀色の小箱TB-303のつまみをひねって出た、ぐにゃりと歪む音から生まれたアシッド・ハウスも、この街から出ました。誤用から生まれたジャンルです。

デトロイト、工場の街が想像した未来

同じ頃、車の街デトロイトでも別の動きが起きていました。中心にいたのがフアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンの三人。郊外のベルヴィルで出会った彼らは「ベルヴィル・スリー」と呼ばれます。

彼らの音楽は、シカゴのハウスよりも冷たく、機械的で、SF的でした。デリック・メイがテクノを「クラフトワークとジョージ・クリントンがエレベーターに閉じ込められた音」と表現した言葉は有名です。ヨーロッパの電子音楽と、黒人音楽のファンクが同じ箱に押し込まれた——うまい表現だと思います。

自動車工場のオートメーション化で人の仕事が機械に置き換わっていく街で、彼らはあえて機械の音を選びました。荒廃した現実ではなく、まだ来ていない未来を鳴らすために。1988年にイギリスで出たコンピレーション盤にデトロイトの「テクノ」という言葉が冠され、この名前が世界に定着します。

ドイツからの信号——クラフトワーク

デトロイトの若者たちが夢中で聴いていたのが、ドイツ・デュッセルドルフのクラフトワークでした。

彼らは1970年代から、シンセサイザーと電子リズムだけで音楽を作り、自分たちをロックバンドではなく「音楽労働者」として提示しました。アウトバーンを走る車、ヨーロッパを横断する列車、人間と機械の境目。ギターもドラムセットもない、感情を排したように聞こえる音楽。それが海を越えてアメリカのラジオで流れ、黒人の若者たちの耳をつかんだのは、皮肉というより必然でした。彼らの曲はニューヨークのヒップホップにも引用され、そこからエレクトロという流れも生まれています。

808と909、日本製の箱が変えたもの

テクノとハウスの土台には、日本のローランドが作ったリズムマシンがあります。TR-808とTR-909。もともとは「生のドラマーの代わりに使える機械」として売られたものでした。

ところが、出てくる音は本物のドラムに似ていませんでした。バスドラムは腹に響くだけの低い唸り、スネアは乾いた電子音。売り上げは伸びず、比較的短期間で生産が終わります。そして中古市場に安く流れました。

金のない若者が手を出せる価格になったとき、評価は逆転します。「本物に似ていない」ことが個性になったのです。808の伸びる低音はヒップホップとハウスの心臓になり、909のバスドラムとハイハットはテクノの標準装備になりました。ベースラインを作るために売られたTB-303も、狙いどおりに使えなかった結果、フィルターを絞って叫ばせる別の楽器として再発明されました。

設計者の意図から外れた使われ方が、そのままジャンルになる。この転倒がダンスミュージックの面白さです。

DJとクラブが「もうひとつの楽器」になった

もうひとつ決定的だったのが、DJという役割の変化です。曲をかけるだけの人ではなく、二枚のレコードのテンポを合わせて途切れなくつなぎ、一晩かけて感情の起伏を設計する演奏者になりました。

だから曲の作り方も変わります。イントロとアウトロにドラムだけの部分を長く置き、歌のサビよりも「抜き差し」を重視する。単体で聴くと退屈に思える構造は、つなぐことを前提にした設計図です。踊る人の身体と、暗くて音の大きい空間があって初めて完成します。

この文化はヨーロッパで爆発しました。イギリスではアシッド・ハウスを軸にした熱狂が広がり、屋外の大規模なレイヴが社会現象になります。ベルリンでは壁の崩壊後、使われなくなった発電所や地下金庫がクラブに変わりました。廃墟と余った空間が、そのまま音楽の器になったのです。

日本のシーンはどうだったか

日本には、テクノの語が広まる前からYMOという先行例がありました。シンセサイザーとシーケンサーで作った音楽を世界に届けた彼らの存在は、海外のアーティストにも意識されています。

90年代に入ると、電気グルーヴやケン・イシイといった作り手が国内外で評価され、東京や大阪に本格的なクラブが次々と生まれました。ケン・イシイの映像作品が海外で高く評価された出来事は、日本のテクノが輸出品になった象徴としてよく語られます。近年は深夜営業に関する法制度の見直しもあり、クラブの位置づけは以前より落ち着いています。

よくある質問

Q. テクノとハウス、聴き分けるコツはありますか?
大まかには、ハウスはソウルやディスコの流れをくむため人間味があり、四つ打ちに歌やピアノが乗ることが多い音楽。テクノはより硬質で無機質、反復と音色の変化そのものを聴かせます。まずは「温かいか冷たいか」で仕分けると迷いません。

Q. EDMもテクノやハウスの仲間ですか?
ルーツは共通していますが、EDMは2010年前後にフェス向けに大型化したダンスミュージックの総称です。盛り上がりの山を大きく作る点が、地味な反復を積み上げる従来のテクノやハウスとは異なります。

Q. クラブに行かないと楽しめませんか?
自宅でも十分楽しめます。ただし低音が音楽の骨格なので、スマホのスピーカーではなくヘッドホンで聴いてください。それだけで別の音楽に聞こえます。

まとめ:機械の音が街から生まれた

  • ハウスはシカゴのクラブで、ディスコを作り替えるDJたちの手から生まれた
  • テクノはデトロイトの三人組が、機械化された街で未来を想像して作った
  • ドイツのクラフトワークが、両者に共通する電子音楽の設計図を渡した
  • TR-808や909は失敗作扱いから中古で安く出回り、ジャンルの土台になった
  • DJがつなぐことを前提に曲が設計され、クラブという空間ごと音楽になった

まずはヘッドホンで、バスドラム以外の音を一つだけ追いかけながら10分聴いてみてください。単調に思えた反復の中で、何かが少しずつ変わり続けていることに気づきます。

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