レゲエ入門〜スカからボブ・マーリーまで、ジャマイカ音楽の歴史と最初に聴く一枚

夏になるとどこかで流れている、あの横に揺れるリズム。レゲエと聞いて思い浮かぶのは、南国、ヤシの木、赤・黄・緑の三色といったところでしょうか。イメージだけは誰でも持っている音楽です。
ところがその下には、カリブ海の島で起きた急激な音楽の変化が詰まっています。人口三百万人に満たない小さな国の音楽が、半世紀で世界中に届いた。しかもその過程で、のちのヒップホップやクラブミュージックの土台になる技術まで発明されています。
スカからロックステディ、そしてレゲエへ。この記事では成立の流れ、リズムの正体、ボブ・マーリーとラスタファリ運動、ダブとサウンドシステム文化までを一本の線でたどります。
レゲエのリズムは「裏拍」でできている
レゲエがほかの音楽と決定的に違うのは、リズムの重心の置き方です。
「1、2、3、4」と数えてみてください。ロックやポップスの多くは、この数字のところで音が鳴ります。レゲエは違う。ギターやキーボードが刻むのは、数字と数字のあいだ、「1と、2と、3と、4と」の「と」の部分です。この裏拍の刻みが「スキャンク」で、レゲエの顔になっている音です。
ドラムも独特です。多くのポップスが1拍目を強く打って前へ進むのに対し、レゲエでは1拍目を叩かず3拍目にアクセントを置く「ワンドロップ」が定番になりました。前へ進む推進力ではなく、その場で体が左右に揺れる感覚。あの気だるさはここから生まれます。
そしてベースが太い。レゲエのベースはメロディを担う主役級の楽器で、歌よりベースラインのほうが記憶に残る曲も珍しくありません。
十年のあいだに三度変わったジャマイカの音
レゲエは突然生まれたわけではなく、短期間で三段階の変化を経ています。
まずスカ。1950年代のジャマイカでは、夜になるとアメリカ南部のラジオ電波が海を越えて届き、R&Bが若者を熱狂させていました。それを自分たちの手で演奏した結果、リズムの取り方がずれて裏拍が強調され、ホーンが賑やかに鳴る独自の音楽ができあがります。1960年代前半、英国からの独立へ向かう高揚した空気の中で、スカは国民的な音楽になりました。
次にロックステディ。1960年代半ば、テンポが目に見えて遅くなります。ホーンが減り、代わりにベースラインが前に出て、甘いコーラスのラブソングが増えました。「夏が暑すぎて速い曲では踊れなかった」という逸話がよく語られます。真相はともかく、この減速がレゲエの土台になりました。
そして1960年代末、リズムの刻みがさらに細かくなり、歌詞に社会や信仰が入り込みます。これがレゲエです。名前の由来は、当時のグループが曲名に使った言葉が広まったという説がよく知られています。スカから数えて十年足らずの変化でした。
サウンドシステムという路上の音楽産業
レゲエを語るうえで外せないのが、サウンドシステム文化です。
1950年代のジャマイカでは、生バンドを雇える会場が限られていました。そこで登場したのが、ターンテーブルとアンプと巨大なスピーカーをトラックに積み、空き地や広場で大音量のダンスパーティーを開く商売です。安く、大勢が踊れて、どこにでも行ける。街の娯楽はここに集まりました。
オペレーターたちは、ライバルが持っていない曲を求めて競い合います。やがて「他所にないなら自分で作ればいい」と考え、レコードを自分で制作しはじめました。スタジオを構えたプロデューサーが次々と現れ、制作から再生までが一つの街の中で回りはじめます。真似されないよう、たった一枚だけカットした特注盤を切る習慣も生まれました。
さらに、演奏の上でマイクを握って観客を煽る役が人気を集めます。この語りの芸は「トースティング」と呼ばれ、のちのラップにつながる表現のひとつになりました。
ボブ・マーリーとラスタファリ運動
レゲエを世界の音楽にしたのはボブ・マーリーです。1945年生まれ、育ったのは首都キングストンの貧困地区でした。ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーとザ・ウェイラーズを結成し、地元でヒットを重ねたのち、英国のレーベルと契約して国際市場へ出ます。島の民族音楽としてではなく、ロックのアルバムとして世界に売る。この戦略が当たりました。
歌の背骨にあるのがラスタファリ運動です。1930年代のジャマイカで広がった思想・信仰で、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世を特別な存在とみなし、アフリカへの精神的な帰還を説きます。抑圧的な社会の仕組みを「バビロン」と呼んで批判し、髪を伸ばして編んだドレッドロックスや、加工食品を避ける食生活も実践の一部でした。おなじみの赤・黄・緑はエチオピア国旗に由来します。
当時のジャマイカでラスタは差別される少数派です。その少数派の思想を、マーリーは世界のスタジアムまで運びました。政治対立で緊張した時期のコンサートで、敵対する二人の政治指導者を舞台に上げて手を握らせた場面は、いまも語り継がれています。1981年、36歳で亡くなりました。
ダブ〜「音を抜く」ことから生まれた発明
もうひとつ、レゲエが世界に残した大きな発明がダブです。
きっかけは実務的なものでした。シングル盤の裏面に、歌を抜いた演奏だけのバージョンを入れる習慣があったのです。それをミキシング卓の前で加工する技術者が現れます。ヴォーカルを消し、ドラムとベースだけを残し、残響を突然かけて音を宙に飛ばし、また戻す。演奏ではなく卓の操作が表現になった瞬間でした。
録音物を素材として作り替えるリミックスの源流のひとつが、ここにあります。ヒップホップ、ハウス、テクノ、英国のクラブミュージックまで、その影響は現在も生きています。
何から聴けばいいか
最初の一枚は、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベスト盤か『エクソダス』が確実です。快さと言葉の重さが同居していて、入り口として無理がありません。
そこから枝を伸ばすなら、ジミー・クリフ主演の映画『ハーダー・ゼイ・カム』のサウンドトラック。当時のジャマイカの空気がそのまま入っています。跳ねるリズムが好みならザ・スカタライツでスカへ、甘い歌ものが好みならロックステディ期の編集盤へ。トゥーツ&ザ・メイタルズの熱い歌声、信仰と歴史を歌うバーニング・スピアも待っています。
ダブに興味が湧いたら、キング・タビーやオーガスタス・パブロの名前で探してみてください。1980年代以降は機材の電子化とともにダンスホールという速く鋭いスタイルへ発展し、日本にも独自のシーンができています。
よくある質問
Q. スカとレゲエは何が違うのですか。
おおまかにはテンポとリズムの細かさです。スカは速く跳ねてホーンが賑やか、レゲエは遅く粘ってベースとドラムが主役になります。ロックステディがその橋渡しです。
Q. ダンスホールやレゲトンもレゲエの仲間ですか。
ダンスホールはレゲエから直接発展したスタイルです。レゲトンはラテンアメリカでジャマイカ音楽の影響を受けて育った別ジャンルで、親戚のような関係にあたります。
Q. ラスタファリの信仰を知らないと楽しめませんか。
そんなことはありません。ラスタではない演奏者も大勢います。ただ背景を少し知っておくと、明るい曲調の裏にある切実さが見えてきます。
まとめ:南国のBGMで終わらせないために
- 正体は、裏拍を刻むスキャンクと1拍目を抜くワンドロップ
- スカ、ロックステディ、レゲエと、十年足らずで三度リズムが変わった
- 街のサウンドシステム文化が、レコード産業とラップの原型を生んだ
- ボブ・マーリーはラスタファリ運動の思想を世界へ運んだ
- ダブというミキシングの発明が、その後のクラブミュージックを支えている
まずは『エクソダス』を通して聴いて、ギターが「と」の位置で鳴っているのを確かめてみてください。それが聴こえた瞬間から、この音楽は景色が変わります。
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