上演に4晩、作曲に26年——ワーグナー『ニーベルングの指環』と、オーケストラを隠した劇場

バイロイト祝祭劇場。ワーグナーが『ニーベルングの指環』を上演するために建てた劇場で、1876年に開場した(Photo: Rico Neitzel / CC BY-SA 2.5)
バイロイト祝祭劇場。ワーグナーが『ニーベルングの指環』を上演するために建てた劇場で、1876年に開場した(Photo: Rico Neitzel / CC BY-SA 2.5)

およそ15時間。

リヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』を、序幕から結末まで聴き通すのにかかる時間です。1日では終わらないので、4つの晩に分けて上演されます。

作曲者はこれを一つの作品と呼びました。書き上げるまでにかかった年月は、台本の構想から数えて26年。そして、これを上演するためだけに、ドイツの小さな町に専用の劇場を建ててしまいました。

途方もない話に聞こえますが、入口はもっと身近なところにあります。映画やCMで耳にする『ワルキューレの騎行』は、この長大な物語の、2晩目の第3幕の冒頭で鳴る音楽です。

物語は結末から書かれた——4晩で一つの『指環』

『指環』は、次の4つのオペラでできています。

  • 序夜『ラインの黄金』
  • 第1日『ワルキューレ』
  • 第2日『ジークフリート』
  • 第3日『神々の黄昏』

筋を一言でまとめるなら、世界を支配する力をもつ指環をめぐって、神々と巨人と小人と人間が争い、最後に神々の世界が炎に包まれて終わる物語です。ライン川の底に眠る黄金を、愛をあきらめた小人アルベリヒが盗み、それを鍛えて指環をつくる。そこから、奪い合いと裏切りの連鎖が、親子三代にわたって続いていきます。

面白いのは、ワーグナーがこの物語を、終わりのほうから書いたことです。

1848年、彼が最初に書いたのは、英雄ジークフリートの死を描く台本だけでした。ところが書き進めるうちに、ジークフリートがなぜ死ななければならないのかを説明するには、その前の話が要ると感じるようになる。そこで、彼の少年時代を描く台本を書き、さらに両親の話を書き、最後に、すべての発端となる黄金の盗難を書き足しました。

最終話から書き始めて、前日譚を3つさかのぼった。今の連続ドラマで言えば、そういう作り方です。

音楽のほうも、ふつうのオペラとは仕組みが違います。登場人物や、指環、剣、炎、ライン川といったものに、それぞれ短い旋律が割り当てられている。これを「ライトモティーフ(示導動機)」と呼びます。ある人物が舞台に出ていなくても、その旋律がオーケストラに現れれば、聴き手はその人のことを思い出す。4晩をまたいで、旋律が名札のように何度も戻ってくるので、15時間の物語がばらばらにならずにつながります。

序夜『ラインの黄金』の前奏曲は、低い一つの和音だけで始まります。コントラバスが鳴らす持続音の上に、ホルンが一本ずつ重なり、少しずつ水が流れ出すように動き始める。ひとつの変ホ長調の和音が、136小節ものあいだ鳴り続けます。川の底から世界が生まれてくる音を、和音一つで描いたわけです。

26年のうち12年、ジークフリートは森の中で待たされた

リヒャルト・ワーグナー(1862年、ウィーンで撮影)。『ジークフリート』の作曲を中断していた時期にあたる
リヒャルト・ワーグナー(1862年、ウィーンで撮影)。『ジークフリート』の作曲を中断していた時期にあたる

台本が書き上がったのは1852年ごろ。作曲は翌年から始まりました。

『ラインの黄金』と『ワルキューレ』は、数年で書き上がります。ところが『ジークフリート』の第2幕、主人公が森の中で鳥の声に耳を澄ます場面まで来たところで、ワーグナーはペンを置いてしまいました。1857年のことです。

それから12年近く、ジークフリートは森の中で待たされることになります。

理由はいくつも重なっていました。こんな大作を上演してくれる劇場が見つからないこと。借金に追われ、各地を転々としていたこと。そして、別の作品を書きたくなったこと。この中断の間に、ワーグナーは『トリスタンとイゾルデ』と『ニュルンベルクのマイスタージンガー』という、それぞれ単独でも代表作と呼ばれるオペラを2つ書き上げています。

流れを変えたのは、一人の若い王でした。

1864年、18歳でバイエルン王になったルートヴィヒ2世は、少年時代からワーグナーの音楽に心酔していました。即位するとすぐに作曲家を探し出させ、借金を肩代わりし、生活の面倒を見ます。王の後ろ盾を得て、ワーグナーは1869年ごろ『ジークフリート』の作曲を再開しました。

最後の『神々の黄昏』の楽譜が完成したのは、1874年の秋です。1848年に英雄の死の台本を書いてから、26年が過ぎていました。

オーケストラが見えない劇場——1876年8月、バイロイト

1876年の初演で使われた装置を描いた図。ライン川の底を泳ぐ乙女たちの歌手を台車の上の支柱に乗せ、裏方が押して動かした
1876年の初演で使われた装置を描いた図。ライン川の底を泳ぐ乙女たちの歌手を台車の上の支柱に乗せ、裏方が押して動かした

作品はできた。問題は、どこで上演するかです。

ワーグナーは、既存の歌劇場ではこの作品は無理だと考えました。4晩を連続で、自分の思うとおりの音と舞台で上演したい。そこで選んだのが、ドイツ南部の小さな町バイロイトです。ここに、ルートヴィヒ2世の援助と、全国から集めた寄付を元手に、自分の作品のためだけの劇場を建てました。

この劇場には、当時の歌劇場の常識を破る工夫がいくつもあります。

客席は、古代ギリシャの劇場のように扇形に広がり、貴族のための豪華な桟敷席はほとんどありません。どの席からも、舞台を正面に近い角度で見られるようにするためです。上演中は客席の照明を落としました。今では当たり前ですが、当時の歌劇場では、明るい客席で観客同士が互いの顔を眺め合うのが普通でした。

いちばん大きな工夫は、オーケストラを客席から見えなくしたことです。

バイロイト祝祭劇場のオーケストラピット。舞台の下にもぐり込むように深く掘られ、客席側には覆いがかかっている(Photo: Friera / CC BY-SA 3.0)
バイロイト祝祭劇場のオーケストラピット。舞台の下にもぐり込むように深く掘られ、客席側には覆いがかかっている(Photo: Friera / CC BY-SA 3.0)

オーケストラピットは舞台の下へ階段状に深く掘り下げられ、客席側には覆いがかけられています。客席から見えるのは舞台だけで、指揮者も楽員も視界に入りません。音は覆いに当たってから舞台のほうへ回り込み、歌手の声と溶け合って客席に届く。ワーグナーはこの空間を「神秘の奈落」と呼びました。

1876年8月、この劇場で『指環』全4作の初めての通し上演が行われます。

客席には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世をはじめ、作曲家のリストやチャイコフスキーらの姿もありました。ライン川の底を泳ぐ乙女たちは、上の図のような台車の上の装置に歌手を乗せ、裏方が押して動かしたといいます。初演は話題を呼びましたが、多額の赤字を出し、2回目の上演までには長い年月がかかりました。

それでもワーグナーの劇場は、今もほぼ当時のままの姿で残っています。毎年夏、ここでワーグナーの作品だけを上演するバイロイト音楽祭が開かれています。

よくある質問

Q. 4作すべてを聴かないと楽しめませんか?
いいえ。4作のうち1作だけを上演することもよくあります。最初の1作なら、上演時間が比較的短く、物語の発端がわかる『ラインの黄金』か、親子の情愛が描かれ、『ワルキューレの騎行』も聴ける『ワルキューレ』から入るのがおすすめです。

Q. バイロイト音楽祭のチケットは取れますか?
長年、入手が難しいことで知られてきました。販売方法は年によって変わることがあるので、音楽祭の公式サイトで最新の情報を確認してください。

Q. ワーグナーの評価が分かれるのはなぜですか?
音楽上の功績が大きい一方で、ユダヤ人を攻撃する文章を書いたことでも知られ、その死後、ナチス政権に利用されたためです。作品をどう聴くかは、今も議論が続いています。

まとめ

  • 『ニーベルングの指環』は4つのオペラからなり、全部で約15時間かかる
  • 台本は結末の『神々の黄昏』から書かれ、前日譚へさかのぼってつくられた
  • 作曲は『ジークフリート』の途中で約12年中断し、ルートヴィヒ2世の援助で完成した
  • 1876年、オーケストラを客席から隠したバイロイト祝祭劇場で、初めて全曲が上演された

今夜1曲だけ聴くなら、『ラインの黄金』の前奏曲を選んでください。4分ほどの短い曲です。たった一つの和音から、15時間の物語が流れ出していく最初の数分を、できればヘッドホンで。

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