パンク・ロックの歴史入門〜ニューヨークとロンドン、3コードから始まった音楽

演奏はうまくない。曲は短い。それでも当時の若者は、あの音を聴いて楽器を買いに走りました。パンク・ロックが残したいちばん大きなものは、名盤ではなく「自分にもできる」という感覚だったのかもしれません。
パンクは1970年代半ば、ニューヨークとロンドンでほぼ同時に噴き出しました。片方は場末のライブハウスから、もう片方は洋服屋の店先から。海を隔てた二つの都市で、まったく違う顔つきの音楽が同じ時期に立ち上がったのが、このジャンルの面白いところです。
この記事では、パンクが生まれた背景、二つの都市の主役たち、3コードとDIYの思想、その後の枝分かれまでを順にたどります。
1970年代半ば、ロックは巨大になりすぎていた
当時のロックの主役は、大会場を埋めるスターでした。何十分もある組曲、複雑な変拍子、豪華な照明とセット。音楽としては見事ですが、ギターを買ったばかりの十代には遠い世界です。
一方、荒っぽく単純な音を鳴らし続けたバンドが地下にいました。デトロイトのザ・ストゥージズやMC5、ニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドやニューヨーク・ドールズ。商業的な成功とは無縁でしたが、その音は次の世代に届いていました。パンクは無から生まれたのではなく、忘れられかけた「うるさくて短い」ロックの再発見です。
ニューヨーク編〜CBGBという小さな酒場
ニューヨークのパンクは、マンハッタンの治安の良くない一角にあった小さなライブバー、CBGBから広がりました。オリジナル曲を演奏するバンドなら出演できる。その方針が行き場のない若者を引き寄せます。
ここで生まれた最大のバンドがラモーンズです。全員がステージ上の姓を「ラモーン」で統一し、革ジャンにジーンズ、破れたスニーカーで登場する。曲はほぼ二分前後、コードは少なく、「ワン、ツー、スリー、フォー」のカウント直後に猛烈な速度で始まって、あっという間に終わる。装飾を全部そぎ落としたら何が残るのか、その答えのような音楽でした。
同じ場所から、まったく違う表現も出てきます。パティ・スミスです。もともと詩人だった彼女は、朗読とロックを地続きにしたアルバム『ホーセス』を発表しました。パンクが乱暴なだけの音楽ではなく、言葉と態度の表現でもあると示した一枚です。女性が自分の言葉でロックの中心に立つ姿も、後の世代に長く影響を残しました。
CBGBからはほかにも、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ブロンディと個性の違うバンドが同時期に育ちました。ニューヨークのパンクは、様式というより「何をやってもいい場所」です。
ロンドン編〜セックス・ピストルズが投げた石
一方のロンドンでは、パンクはもっと騒々しく、社会的な事件として始まります。
きっかけを作ったのは、若者向けの服を売る店を営むマルコム・マクラーレンでした。彼が仕掛けたバンドがセックス・ピストルズです。ジョン・ライドンの吐き捨てるような歌い方、破いた服と安全ピン、体制を正面から罵倒する歌詞。不況と失業に苦しむ英国で、若者の不満は行き場を失っていました。ピストルズはその空気に火をつけます。
決定打はテレビでした。生放送で挑発的な言葉を連発した一件が翌日の新聞を騒がせ、彼らは一夜で国民的な問題児になります。契約したレコード会社から短期間で切られ、別の会社へ移る騒動も起きました。王室の記念行事にぶつけた曲は放送局に敬遠されましたが、その扱いがかえって彼らを大きくします。
残した正規のスタジオ・アルバムはたった一枚。活動期間もごく短いものでした。同じ時期、英国各地で無数のバンドが結成されます。数か月前まで観客だった人間が、翌月にはステージにいる。その連鎖が実際に起きていました。
クラッシュ〜怒りを外へ広げたバンド
ロンドン・パンクのもう一方の主役がザ・クラッシュです。ピストルズが破壊のバンドなら、クラッシュは建設のバンドでした。
ジョー・ストラマーらが書く歌詞は、失業、人種、警察、戦争を扱いました。しかも彼らは音楽的にパンクの枠に留まりません。移民の多いロンドンで身近だったレゲエを取り込み、さらにスカ、ロカビリー、後にはヒップホップまで飲み込みます。二枚組の『ロンドン・コーリング』は、その雑食ぶりが結実した作品です。
パンクは三年で燃え尽きたと語られることがあります。クラッシュがやったのは、その火を別のジャンルへ移し替える作業でした。
3コードとDIY〜誰でも始めていいという思想
パンクの中核にあるのは、音そのものよりも考え方です。
当時のファンジンに載った有名な図があります。ギターのコードを三つ並べ、「これがコード、これも、これも。さあバンドを組め」と書き添えたものです。上手くなってから始めるのではなく、始めてから覚えればいい。
DIY——Do It Yourself——が合言葉になりました。大手が相手にしないなら自分でレーベルを作る。雑誌が取り上げないならコピー機でファンジンを作って手売りする。会場がないならパブの一室でやる。自主制作でシングルを出したバンドが道を示し、英国中に小さなレーベルが誕生しました。この流通の仕組みが、後のインディーズ音楽の骨格になります。
個人が宅録した曲をネットで公開できる今の環境も、発想の起源は半世紀前の手作業にあります。
その後〜ポストパンクとハードコアへの分岐
パンクは十年経たずに、大きく二つの方向へ分かれます。
ひとつはポストパンクです。3コードの型に早々と飽きた人たちが、態度だけ持ったまま音楽を別方向へ拡張しました。冷たく硬質なジョイ・ディヴィジョン、リズムを解体したギャング・オブ・フォー、ピストルズ解散後にジョン・ライドンが始めたパブリック・イメージ・リミテッド。速く大きく叫ぶのをやめ、レゲエやダブや電子音を取り込んだこの流れが、その後のオルタナティヴ・ロックへつながります。
もうひとつはハードコアです。主にアメリカで、パンクをさらに速く短く硬くしていきました。各地に密度の高いシーンが生まれ、バンドが自分でレーベルを運営し、全米のライブハウスを車で回るネットワークを作ります。酒や薬物を断つストレート・エッジという生き方もこの周辺から出ました。1990年代に人気を得たオルタナティヴ・ロックやメロディックなパンクの多くは、この地下ネットワークの出身です。
日本でも1980年代以降、独自のシーンが育ちました。日本語詞でお茶の間まで届いたバンドから、自主企画の大型フェスを成功させた世代まで、DIYの発想は生きています。
よくある質問
Q. 演奏が下手でもいいというのは本当ですか。
「下手でいい」より「上手くなるのを待たなくていい」に近い考え方です。ラモーンズもクラッシュも、活動を続ける中で演奏はしっかり鍛えられました。
Q. ニューヨークとロンドン、どちらが先ですか。
シーンとして先に動いたのはニューヨークです。ただしロンドン側にも独自の下地があり、単純な模倣ではありません。ラモーンズの英国公演が現地の若者を刺激した話はよく語られます。
Q. 何から聴くのがおすすめですか。
ラモーンズの1作目、セックス・ピストルズの唯一のアルバム、クラッシュの『ロンドン・コーリング』。この三枚で、速さ、怒り、広がりという三つの側面がつかめます。
まとめ:始めるための音楽
- 1970年代半ば、ニューヨークとロンドンで同時期に噴き出した
- CBGBからはラモーンズやパティ・スミスら多様な表現が育った
- ロンドンではセックス・ピストルズが事件となり、クラッシュが火を広げた
- 3コードとDIYの思想が、インディーズ音楽の仕組みそのものを作った
- 流れはポストパンクとハードコアに分岐し、現在のロックの土台になった
ラモーンズの1作目は三十分もかかりません。今日それを通して聴いて、それから部屋の隅のギターを取り出してみてください。
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