ショパン入門〜ピアノだけを書き続けた作曲家の生涯と、最初に聴きたい名曲

銀の杯に、故郷の土が詰めてある。
1830年の秋、ワルシャワ。20歳のフレデリック・ショパンは、音楽で身を立てるため西へ発とうとしていました。見送りの友人たちが手渡したのが、ポーランドの土を入れた銀の杯です。いつか帰って、この土の上に立つように。
その土が次に開けられるのは、19年後。場所は故郷ではなく、パリの墓穴の上でした。
名前なら誰でも知っています。発表会でもストリートピアノでも、ショパンは弾かれ続けている。では、どんな人だったかと聞かれて答えられますか。交響曲もオペラも書かず、39年の生涯をほぼピアノ独奏曲だけに注いだ作曲家。クラシックの歴史でも、かなり変わった人です。
「第二のモーツァルト」と呼ばれた少年は、なぜ帰れなくなったのか
1810年、ワルシャワ近郊の村に生まれました。父はフランスからポーランドへ移り住んだ教師、母はポーランドの人。7歳で最初の作品が出版され、8歳で人前で弾いています。社交界はこの少年を「第二のモーツァルト」と呼びました。
順風のまま、20歳で旅立ちます。ところが出発の直後、ワルシャワでロシア支配への蜂起が起こりました。蜂起は鎮圧され、ポーランドは独立を失ったまま。ショパンは、政治的に「帰れない人」になりました。
以後はパリに住み、1849年に39歳で亡くなるまで、二度と故郷の土を踏んでいません。
遺言がひとつ、際立っています。心臓だけを故郷へ。姉の手でワルシャワに運ばれた心臓は、聖十字架教会の柱の中に納められました。体はパリのペール・ラシェーズ墓地に。人ひとりが、二つの街に分かれて眠っている。
では、帰れないパリでどんな音楽家だったのか。同時代のスターと並べると、その独特さがはっきりします。
リストが大ホールを沸かせた時代に、演奏会は生涯30回ほど
同じころのパリには、フランツ・リストがいました。超絶技巧で客席を熱狂させた、当時のスーパースターです。ショパンは正反対の道を選びます。
生涯に開いた公開演奏会は、30回ほどと言われています。プロの演奏家として、極端に少ない数字です。好んだのは貴族の邸宅の客間——サロンで、数十人だけを前にした演奏でした。大勢の視線の中では力が出ない、という趣旨をリストに語ったと伝えられます。
音も小さかった。聴衆が身を乗り出して、やっと届くほどの弱音だったという証言がいくつも残っています。ホールの隅々まで鳴らす音楽ではなく、すぐ隣で歌う音楽。ピアノ一台に絞った選択は、この体質と切り離せません。
生活費は、上流階級の子女へのレッスンで稼ぎました。舞台のスターではなく、教える人。
その静かな暮らしを大きく揺らしたのが、一人の作家との出会いです。
ジョルジュ・サンドと雨のマヨルカ島——『雨だれ』が生まれた冬

相手は、男装で社交界に現れたことで知られる女性作家、ジョルジュ・サンド。二人は1838年から10年近くを共に過ごしました。ドラクロワは二人を一枚のカンヴァスに描いています。その絵は画家の死後に切り分けられ、いまはショパン側がルーヴルに、サンド側はコペンハーゲンにあります。
最初の冬、療養を兼ねて地中海のマヨルカ島へ渡りました。当てはすぐ外れます。雨は降り続き、宿は貸してもらえず、行き着いた先は山あいの村バルデモッサの、廃墟同然の元修道院。ショパンの体調は悪化し、島の人々は病人を恐れて近寄りませんでした。

その最悪の冬に、24の前奏曲集が仕上がります。長くて数分、短いものは30秒ほど。喜びも不安も断片のまま24個並べたような曲集です。同じ音が雨音のように打ち続ける一曲は、のちに「雨だれ」と呼ばれるようになりました。
島を出てからは、サンドの田舎の家ノアン(フランス中部の村)で夏を過ごすのが習慣になります。バラードやソナタなど、規模の大きな傑作の多くはこの夏の間に書かれました。病身の作曲家に、静かな仕事場と看病する人がいた10年。1847年に関係が終わると、その2年後にショパンは息を引き取ります。

残された作品は、およそ230曲。どこから聴くか。扉は四つあります。
最初の1曲はどれか——ノクターン・ワルツ・バラード・エチュードの四つの扉
ノクターン(夜想曲)
夜の情景を思わせる小品です。左手が静かに和音を刻み、右手がその上で歌う。この形式はアイルランドの作曲家ジョン・フィールドが始め、ショパンが受け継いで完成させました。有名な作品9-2では、ため息のような装飾音が旋律の輪郭をぼかしていきます。最初の1曲に最適。
ワルツ
踊るためのウィーンのワルツと違い、ショパンのワルツは聴くための音楽です。1分あまりで駆け抜ける「小犬のワルツ」と、翳りを帯びた作品64-2。続けて聴くと、同じワルツの名でここまで表情が変わるのかと驚きます。
バラード
ピアノ一台で長い物語を語る大曲で、全部で4曲。第1番ト短調は、静かな語り出しから何度も表情を変え、最後は嵐のように駆け抜けて終わります。映画でたびたび使われる一曲です。
エチュード(練習曲)
本来は、指を鍛えるための地味な教材です。ショパンはそれを、演奏会で弾ける作品に変えてしまいました。日本で「別れの曲」と呼ばれる作品10-3と、左手が荒れ狂う作品10-12「革命」。指の課題と感情の表現が、一つの曲の中で同居しています。
このほか、故郷の舞曲から生まれたマズルカとポロネーズも柱です。ポロネーズなら「英雄」の愛称を持つ作品53。帰れない国への思いを、堂々たる行進に変えたような音楽です。
扉を決めたら、次は「誰の演奏で聴くか」。ここにショパン特有の楽しみがあります。
同じ曲が別の曲に聞こえる——演奏家で聴き比べるショパン
順番の目安は簡単です。まずノクターン全集を流して、気に入った番号を覚える。次にワルツ集へ。最後にバラード4曲へ挑む。短い曲から長い曲へ、耳が自然に慣れていきます。
ショパンの楽譜には「ルバート」——テンポを揺らして歌う奏法が前提にあります。揺らし方は演奏家ごとに違い、同じ曲が別の曲に聞こえることさえある。試しに、同じノクターンを2人分だけ聴き比べてみてください。違いは3分でわかります。
ルービンシュタイン、アシュケナージ、ポリーニといった定番の全集を軸に、気になった演奏家を足していくのが王道です。私自身、バラード第1番を3人の演奏で続けて聴いた夜に、これは一生付き合える音楽だと観念しました。
5年に一度ワルシャワで開かれるショパン国際ピアノコンクールも、格好の入り口です。若い演奏家が同じ曲を弾き継いでいく舞台で、演奏が配信されることも多い。開催や配信の詳細は公式サイトで確認できます。
よくある質問
Q. クラシックの知識がなくても楽しめますか?
問題ありません。ショパンの曲はほとんどが5分前後の独奏曲で、楽章の構成や楽器編成の知識がいりません。歌の旋律を追う感覚で足ります。
Q. 大人からピアノを始めても、ショパンは弾けますか?
曲によります。ノクターン作品9-2やワルツの何曲かは、数年続けた人が発表会で弾く定番です。エチュードやバラードはプロが挑む難曲。弾ける曲から入り、憧れの1曲を目標に置くのが現実的です。
Q. 「ピアノの詩人」と呼ばれるのはなぜ?
ピアノ独奏曲に生涯を注いだことに加え、大音量の技巧ではなく、歌うような旋律と弱音の陰影で聴かせたからです。サロンで数十人に語りかけた音楽のあり方が、そのまま呼び名になりました。
まとめ:今夜、ノクターン作品9-2から
- ショパンは交響曲もオペラも書かず、39年の生涯をピアノ曲に注いだ
- 20歳で故郷を出たまま帰れず、死後、心臓だけがワルシャワへ戻った
- 大ホールより、数十人のサロンで弱音を聴かせる演奏家だった
- 入り口はノクターン→ワルツ→バラードの順。エチュードとポロネーズも柱
- 「ルバート」の揺れ方で、同じ曲が演奏家ごとに別の顔になる
最初の一歩は、今夜ノクターン作品9-2を1曲だけ再生すること。4分半で足ります。
そして、あの銀の杯。ワルシャワから持たされた故郷の土は、1849年、ペール・ラシェーズ墓地で棺の上に撒かれました。帰れなかった人のもとへ、土のほうが旅をしてきた。それを知ってから聴くショパンは、昨日までとは少し違って響きます。
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