「ドレミ」は誰が作ったのか?1000年前の修道士グイードと、賛美歌の歌い出し

修道士グイード(左)と、アレッツォの司教テオダルドゥス(右)を描いた中世の写本
修道士グイード(左)と、アレッツォの司教テオダルドゥス(右)を描いた中世の写本

ドレミファソラシド。

日本の子どもは、小学校に上がる前からこの8つの音を歌えます。音楽の授業でも、カラオケの音程の話でも、当たり前のように使う言葉です。

では、この「ドレミ」を考えたのは誰か。答えられる人は、ほとんどいません。

答えは、およそ1000年前のイタリアにいた一人の修道士です。名前はグイード・ダレッツォ。しかも彼の時代には、「ド」も「シ」もまだありませんでした。

楽譜がなかった時代、聖歌は耳で何年もかけて覚えた

中世ヨーロッパの修道院では、毎日、決まった時刻に聖歌を歌いました。グレゴリオ聖歌と呼ばれる、伴奏のない一本の旋律です。

名前は、6世紀末の教皇グレゴリウス1世に由来します。教皇の耳元で鳩が旋律をささやいた、という伝説まであります。ただ、いまの研究では、聖歌の多くは8〜9世紀ごろ、いまのフランスやドイツにあたる地域で形を整えられたと考えられています。

問題は、その数でした。祝日ごとに違う聖歌があり、修道士は何百曲もの旋律を覚えなければなりません。

当時も、歌詞の上に記号を書く方法はありました。ネウマと呼ばれる、点やかぎ形の印です。ただしネウマは「ここで上がる」「ここで下がる」を示すだけで、どの高さの音かまではわからない。結局、若い修道士は先輩の歌を耳で聞いて、一曲ずつ体で覚えるしかありませんでした。

一人前になるまで、10年かかったといわれます。

線を引いた修道士——グイードの楽譜

グイードは、990年ごろに生まれたベネディクト会の修道士です。北イタリアの修道院で、少年たちに聖歌を教えていました。

彼がやったことは、羊皮紙の上に線を引くことでした。

横線を何本か引き、線の上と、線と線のあいだに音符を置く。そうすれば、記号の位置がそのまま音の高さになります。さらに線に色をつけ、どの線がどの音かをひと目でわかるようにしました。いまの五線譜のもとになった考え方です。

この線の数は、やがて4本に落ち着きました。グレゴリオ聖歌の楽譜は、いまでも4本線で書かれ、四角い音符が並びます。ピアノの楽譜でおなじみの5本線は、音域の広い音楽を書くために、その後の時代に1本増えたものです。教会の古い聖歌集を開くと、グイードの時代にかなり近い姿の楽譜に、いまでも出会えます。

線が1本引かれただけで、何が変わったのか。先輩の声がなくても、羊皮紙さえあれば、初めての旋律を自分で歌えるようになりました。音楽が、人から人へ口で伝えるものから、書いて残し、離れた場所へ運べるものに変わりはじめた瞬間です。

新しいやり方は、仲間の修道士たちのねたみを買ったようです。グイードは修道院を離れ、トスカーナの町アレッツォに移ります。そこで司教テオダルドゥスの後ろ盾を得て、教えを続けました。冒頭の写本で、グイードと並んでいるのがこの司教です。二人のあいだに広げられた帯には、アルファベットの音名が並んでいます。

評判はローマまで届き、グイードは教皇に招かれます。教皇は彼の方法で、知らない聖歌をその場で歌えるようになったと伝えられます。グイード自身も、10年かけても身につかなかったものが1〜2年で身につく、という意味のことを書き残しています。

「ドレミ」は聖ヨハネの賛美歌の、6つの歌い出し

グイードの方法を伝える写本。上段に音名と「ut re mi fa sol la」、下段に聖ヨハネの賛美歌が書かれている
グイードの方法を伝える写本。上段に音名と「ut re mi fa sol la」、下段に聖ヨハネの賛美歌が書かれている

線の次に、グイードは音に「名前」をつけました。

使ったのは、修道士なら誰でも知っていた、洗礼者聖ヨハネの祝日の賛美歌です。この歌は、区切りごとの最初の音が、一段ずつ高くなっていくように歌われていました。グイードは、その区切りの最初の音節を取り出しました。

  • ウト(ut)
  • レ(re)
  • ミ(mi)
  • ファ(fa)
  • ソル(sol)
  • ラ(la)

6つです。初めて見る聖歌でも、「この音は、あの歌の『ミ』の高さ」と思い出せれば歌える。音の高さに、誰もが知っている歌の手がかりを結びつけたわけです。

この6つの音のまとまりは「ヘクサコード(6音音階)」と呼ばれ、中世の音楽教育の土台になりました。

ドレミは、もともと6つしかありませんでした。

「ウト」が「ド」に、そして「シ」が足された

では、「ド」と「シ」はどこから来たのか。

「ウト」は口を閉じて終わる音なので、声を長く伸ばして歌うには向いていませんでした。17世紀のイタリアで、これを口の開いた「ド」に替える使い方が広まります。由来は「主」を意味するラテン語の頭文字という説や、言い換えを広めた学者の名前から取ったという説があり、はっきりしていません。

フランスでは、いまでも「ウト」が残っています。ハ長調をフランス語で「ウト・マジュール」と言うのはそのためです。

7番目の「シ」は、さらに後になって加えられました。同じ賛美歌の最後に出てくる聖ヨハネへの呼びかけ、ラテン語のSancte Iohannesの頭文字、SとIを組み合わせたものとされます。

つまり、私たちが歌う「ドレミファソラシ」は、7つのうち5つがグイードの時代のまま。2つが、後の時代の手直しと付け足しです。映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、家庭教師のマリアが子どもたちに歌って教えるのも、この7つの音。修道院の少年たちのための工夫が、900年以上たって、オーストリアの屋敷の庭でも教材になっていたわけです。

手のひらに音を書く——「グイードの手」

「グイードの手」を描いた写本。指の関節ごとに音名が書き込まれている
「グイードの手」を描いた写本。指の関節ごとに音名が書き込まれている

中世の音楽の授業には、もう一つ有名な道具がありました。

左手の指の関節や指先に、音の名前を一つずつ割り当てる。先生は自分の手のひらの一点を指さして、生徒にどの音を歌うかを示します。楽譜がなくても、手さえあれば授業ができる仕組みです。

これは「グイードの手」と呼ばれてきましたが、グイード本人が考えたものかどうかは、はっきりしていません。おそらく後の時代の先生たちが、彼の教え方をもとに作り上げたものです。それでもグイードの名前がつけられたのは、彼が音楽を「目で読めるもの」にした人として記憶されていたからでしょう。

フィレンツェのウフィツィ美術館の回廊に立つグイードの像。手に楽譜を持っている
フィレンツェのウフィツィ美術館の回廊に立つグイードの像。手に楽譜を持っている

私はこの像の、楽譜を持つ手と、何かを差し出すように開いたもう一方の手が好きです。片手に書かれた音、片手に歌う声。1000年前の先生の授業が、そのまま石になったように見えます。

よくある質問

Q. グレゴリオ聖歌は、いまでも聴けますか?
はい。修道院の聖歌隊などによる録音がたくさん出ています。伴奏のない一本の旋律なので、最初は静かな夜に、音量を少し下げて聴くのがおすすめです。

Q. 日本の「ハニホヘトイロ」はドレミと関係がありますか?
同じ音を別の呼び方で表したもので、ハがド、ニがレにあたります。西洋のアルファベットの音名を、日本語のいろは順に置き換えたものです。

まとめ

  • 中世の聖歌は耳で聞いて覚えるしかなく、一人前まで10年かかったといわれた
  • 修道士グイード・ダレッツォは、線の上に音を置く楽譜で、音の高さを目で読めるようにした
  • 聖ヨハネの賛美歌の歌い出しから「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」の6音の名前を作った
  • 「ウト」は17世紀ごろ「ド」に替わり、「シ」は後から加えられた

次に「ドレミ」と口にするとき、その一音一音が、1000年前の修道院で歌われていた賛美歌の切れ端だと思い出してください。聞き慣れた8つの音が、少しだけ古い声で響きはじめます。

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