1940年、犬を連れた少年たちが降りた穴——ラスコー洞窟壁画、1万7000年前の動物たちの見方

ラスコー洞窟「牡牛の広間」の壁画。大きな黒い牛の角と、赤い鹿が重なる
ラスコー洞窟「牡牛の広間」の壁画。大きな黒い牛の角と、赤い鹿が重なる

1940年9月、フランス南西部の小さな町モンティニャック。

18歳の少年マルセルは、丘の森で見つけた穴のことが気になっていました。倒れた木の根元にぽっかり開いた、石を落とすと深く響く穴です。数日後、彼は仲間たちと一緒に戻り、入口を広げて、明かりを手に中へ降りていきました。

足もとが平らになったところで、明かりを壁に向ける。

そこに、牛がいました。

黒い輪郭の巨大な牛、赤い馬、角を広げた鹿。1万7000年ほど前の人々が描いた動物たちが、ゆれる灯りの中に浮かび上がりました。

少年たちと犬のロボ——ラスコー発見の数日間

少年の名前はマルセル・ラヴィダ。一緒に洞窟に入ったのは、ジャック、ジョルジュ、シモンの3人です。そして、ロボという名前の犬がいました。

ロボが穴に落ちたのが発見のきっかけだった、という話がよく知られています。ただし、本人たちの証言は年月とともに少しずつ変わっていて、犬の役割がどこまで本当なのかははっきりしません。確かなのは、少年たちが見たものを地元の先生に知らせ、まもなく先史時代の研究者たちが駆けつけたことです。

研究者の一人、アンリ・ブルイユ神父は、この洞窟を「先史時代のシスティーナ礼拝堂」と呼んだと伝えられます。ミケランジェロの天井画と並べたくなるほどの絵が、地下で眠っていました。

発見した少年たちのうち何人かは、その後も洞窟とかかわり続け、見学者を案内する役目を務めたといわれます。森で穴を見つけた10代の少年が、人生の長い時間をその穴のそばで過ごしたことになります。

「牡牛の広間」——長さ5メートルの牛が天井を走る

洞窟の入口に近い大きな空間は、「牡牛の広間」と呼ばれています。

冒頭の写真がその一部です。黒い線で描かれた牛は、オーロックスという、いまは絶滅した大型の野生の牛。いちばん大きなものは、長さが5メートルを超えます。大人が両腕を広げても、3人分以上。その牛たちが、壁から天井へ向かって、群れになって駆けています。

あいだを埋めるのは、赤や黒の馬、細い脚の鹿。よく見ると、動物同士が重なり、前の絵の上に次の絵が描かれています。一度にまとめて描かれたのか、長い時間をかけて描き足されたのか、研究者のあいだでも見方は分かれています。

ラスコー全体では、色を塗った絵が約600、線で刻んだ絵が約1500あるとされます。

絵の具は土と炭。吹きつけて描いた

ラスコーの壁画を再現した複製展示。赤い牛と馬、点の列(Photo: JoJan / CC BY 4.0)
ラスコーの壁画を再現した複製展示。赤い牛と馬、点の列(Photo: JoJan / CC BY 4.0)

色は、赤、黄、黒、茶。ほとんどが身近な鉱物から作られました。赤や黄色は鉄分を含んだ土、黒はマンガンを含む鉱物や木炭です。

描き方も一つではありません。指や獣の毛で塗ったところもあれば、粉にした顔料を、管や口から壁に吹きつけたと考えられるところもある。輪郭がふわっとぼけている部分は、この吹きつけの跡だといわれます。

天井の高い通路の壁には、木の足場を差し込んだらしい穴が残っています。暗い地下で足場を組み、灯りを掲げ、天井に向かって色を吹きつける。私はこの話を知ってから、壁画が気まぐれな落書きではなく、準備と分担のいる共同作業に見えるようになりました。

明かりは、動物の脂を燃やすランプでした。洞窟の中から、石を削って作ったランプが見つかっています。ゆらめく小さな炎の中で、動物の脚や背中が動いて見えたはずです。

黄色い「中国の馬」と、謎の記号

「中国の馬」と呼ばれる黄色い馬。周りに赤い線と格子形の記号がある(複製)
「中国の馬」と呼ばれる黄色い馬。周りに赤い線と格子形の記号がある(複製)

奥へ続く細い通路には、ラスコーでいちばん人気のある一頭がいます。

ふっくらした黄色い体に、黒いたてがみ。輪郭線はのびやかで、筆で描いたように見えます。中国の絵画に似ていることから、「中国の馬」と呼ばれるようになりました。

馬の周りには、矢のような、羽根のような赤い線。左上には、はしごを横に倒したような格子の形。こうした記号は洞窟のあちこちにあり、何を意味するのかはわかっていません。狩りの道具、季節の記録、仲間内の印。説はいくつもありますが、決め手はありません。

描かれた動物の顔ぶれも、少し不思議です。ラスコーでいちばん多いのは馬ですが、当時の人々がおもに食べていたのはトナカイだったと考えられています。それなのに、トナカイはほとんど描かれていない。食べるものと、描くものは違った。何のために描いたのかという問いは、ここでも宙に浮いたままです。

いちばん奥の「井戸」に描かれた、ただ一人の人間

洞窟の深いところに、縦穴になった空間があります。「井戸」と呼ばれる場所で、降りるには綱やはしごが必要です。

そこに、ラスコーではほとんど唯一の人間の姿があります。棒のような体に、鳥のような頭。その前には、腹から内臓を垂らした野牛が、角を低く構えている。人間は、仰向けに倒れているようにも見えます。

動物はあれほど生き生きと描いたのに、人間は線を数本引いただけ。この差が何を意味するのかも、まだわかっていません。

1日1000人以上の息が、壁画を傷つけた

戦争が終わると、ラスコーは1948年に一般公開されました。

人気は大変なもので、多い日には1日1000人以上が見学に訪れたといわれます。ところが、人が吐く息の二酸化炭素や湿気、照明の熱が、洞窟の中の空気を変えてしまいました。壁に緑色の藻が広がり、白い結晶が浮き出してくる。

1963年、洞窟は閉鎖されます。公開から、わずか15年でした。

1万7000年もちこたえた絵が、人に見られはじめて十数年で傷みはじめた。いまも本物の洞窟には、研究や保存のための限られた人しか入れません。

本物の近くに作られた「もう一つのラスコー」

複製の洞窟に再現された馬の群れ(複製)
複製の洞窟に再現された馬の群れ(複製)

見られなくなった洞窟を見せるために、フランスは複製を作りました。

1983年、本物のすぐ近くに、洞窟の一部を原寸で再現した「ラスコーII」が開かれます。2016年には、洞窟のほぼ全体を再現した施設、通称「ラスコーIV」もできました。岩肌の凹凸まで写し取り、同じような顔料で描き直しています。

1979年には、周辺の谷に点在する先史時代の遺跡とあわせて、世界遺産に登録されました。

よくある質問

Q. 本物のラスコー洞窟には入れますか?
一般の見学はできません。現地では、複製の「ラスコーII」や「ラスコーIV」を見学できます。開館時間や予約の方法は、公式サイトで確認してください。

Q. どうしてこんなに長いあいだ絵が残ったのですか?
入口が崩れた土砂でふさがれ、洞窟の中の温度と湿度がほぼ一定に保たれていたためと考えられています。人が出入りするようになって、そのバランスが崩れました。

まとめ

  • ラスコー洞窟は1940年、地元の少年たちによって見つかった
  • 「牡牛の広間」には長さ5メートルを超える牛が描かれ、全体で約600の絵と約1500の刻線がある
  • 絵の具は土や鉱物、炭。吹きつけや足場を使った、手間のかかる仕事だった
  • 公開後の見学者の増加で壁画が傷み、1963年に閉鎖。いまは複製で見る

1940年の秋、明かりを壁に向けた少年たちは、1万7000年ぶりにあの牛たちと目を合わせた人間でした。そしていま、本物の洞窟には誰もふつうには入れません。写真の中の黒い牛の角を、灯りを向けるつもりでゆっくり目でたどってみてください。あの夜の少年たちの驚きに、少しだけ近づけます。

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