スーザフォンを作ったのはスーザではない——『星条旗よ永遠なれ』の「マーチ王」と、録音を嫌った楽隊長

スーザフォンは、スーザが作った楽器ではありません。
マーチングバンドの最後列で、金色の大きなラッパを肩にかついで歩くあの楽器。名前の由来は、アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザです。けれど、実際に形にしたのは楽器を作る職人たちでした。スーザがしたのは、「こんな楽器がほしい」と頼んだことです。
では、なぜ注文主の名前が楽器に残ったのか。
答えは、19世紀末のアメリカで、スーザという名前がどれほど大きかったかにあります。
13歳でサーカスに入ろうとして、海兵隊の楽隊に入れられた
スーザは1854年、首都ワシントンに生まれました。父はポルトガル系の移民で、アメリカ海兵隊の楽隊でトロンボーンを吹いていました。
少年スーザは、ヴァイオリンが得意でした。13歳のとき、町にやって来たサーカスの楽団に誘われ、ついて行こうとします。それを知った父は、息子をサーカスに渡す代わりに、海兵隊の楽隊に見習いとして入れてしまいました。
家出を止めるための入隊が、スーザの人生を決めます。
いったん楽隊を離れ、劇場のオーケストラで指揮の経験を積んだのち、1880年、25歳で海兵隊バンドの楽長に任命されました。このバンドは、ホワイトハウスの公式行事で演奏する「大統領の楽隊」です。スーザは12年間で5人の大統領に仕え、バンドの腕前と人気を大きく引き上げました。
1892年、彼は軍を離れて、自分の楽団「スーザ・バンド」を作ります。全米を回り、ヨーロッパへ渡り、1911年には世界一周の演奏旅行もしました。ラジオもまだない時代に、町から町へ、生の吹奏楽を運び続けた楽団です。
『星条旗よ永遠なれ』は、大西洋の船の上で頭の中に鳴った
スーザが生涯に書いたマーチは、130曲を超えます。「マーチ王」と呼ばれる理由です。
なかでも有名なのが、1896年の『星条旗よ永遠なれ』。この曲は、紙の上ではなく、船の上で生まれました。
その年の暮れ、休暇でヨーロッパにいたスーザのもとに、楽団のマネージャーが急死したという知らせが届きます。急いで帰国する船の甲板を歩きながら、彼の頭の中では、ずっと一つのマーチが鳴り続けていたといいます。スーザはそれを船の上では書かず、アメリカに着いてから紙に書き起こしました。
曲の終わり近く、ピッコロが高い音でくるくると飛び回る部分があります。重い金管の行進の上を、小鳥が舞っているような旋律。私はこの曲を聴くとき、いつもここを待ってしまいます。勇ましいマーチの一番の聴かせどころが、いちばん小さな楽器に任されている。
この曲は1987年、アメリカ議会によって国の公式な行進曲に定められました。
ほかにも、海兵隊の公式マーチになった『忠誠(センパー・フィデリス)』、新聞社の催しのために書かれ、ダンスの大流行まで生んだ『ワシントン・ポスト』など、いまも演奏される曲がたくさんあります。『ワシントン・ポスト』に合わせて踊る軽快なステップは大西洋を渡り、イギリスではそのダンス自体が「ワシントン・ポスト」と呼ばれたほどでした。日本の吹奏楽部で、スーザのマーチを一度も吹かずに卒業する人は少ないはずです。
スーザフォンはスーザが作ったのではない

さて、冒頭の話に戻ります。
当時の吹奏楽団で、歩きながら低音を吹くのに使われていたのが、ヘリコンという金管楽器でした。管を大きな輪の形に巻き、体に通して肩にかついで吹きます。
ところがこの楽器は、ラッパの口が横や前を向いていて、音が一方向に飛んでいってしまいます。スーザは、低音がバンド全体を上から包むように響いてほしかった。そこで、ラッパの口を真上に向けた楽器を作れないか、と楽器業者に持ちかけました。
1893年、フィラデルフィアの楽器商J・W・ペッパーが、その注文に応えた最初の楽器を作ったとされます。数年後には、別のメーカーも同じ型の楽器を作りました。上を向いた大きなラッパは、雨が入るので「レイン・キャッチャー(雨受け)」とからかわれたそうです。
楽器は、注文主の名前をとって「スーザフォン」と呼ばれるようになりました。のちにラッパの口は前向きに改められ、いまの形になります。写真のように、パレードで観客に向かって金色の口を開けているのは、この改良後の姿です。いまでは、長い時間かついで歩けるように、金属ではなく軽いガラス繊維で作られたスーザフォンも広く使われています。学校のマーチングバンドで見かける白いスーザフォンは、たいていこのタイプです。
設計したのは職人、名前を残したのは注文主。それだけ、当時のアメリカで「スーザ」は誰もが知る名前でした。
「缶詰の音楽」——録音を嫌ったマーチ王

意外なことに、スーザは録音が嫌いでした。
1906年、彼は雑誌に「機械じかけの音楽の脅威」という文章を書いています。蓄音機が家庭に入りこめば、人々は自分で歌ったり楽器を弾いたりしなくなる。音楽は「缶詰」になってしまう。そういう主張でした。
スーザ・バンドはたくさんのレコードを残しましたが、録音のときにスーザ本人が指揮台に立つことは、ほとんどなかったといわれます。
皮肉なことに、彼のマーチがいま世界中で聴かれているのは、録音と放送のおかげです。それでも、スーザの心配が全部当たったわけではありません。学校の吹奏楽部や町のパレードで、自分の手で彼のマーチを吹く人が、いまもたくさんいる。スーザが守りたかったのは、きっとその光景です。
上の写真の制服は、海軍のものです。第一次世界大戦にアメリカが参戦すると、60歳を過ぎていたスーザは海軍の予備役に加わり、シカゴ近郊の訓練基地で、若い水兵たちの楽隊を指導しました。楽隊長は、最後まで楽隊長でした。
1932年、スーザは演奏旅行の途中で亡くなりました。77歳でした。最後の夜、楽団のリハーサルで指揮したのは『星条旗よ永遠なれ』だったと伝えられます。
よくある質問
Q. スーザフォンとチューバは何が違いますか?
音域はほぼ同じですが、形と構え方が違います。チューバは座ってひざの上に抱えて吹き、スーザフォンは体に巻きつけて肩にかつぐので、歩きながら演奏できます。
Q. 最初に聴くならどの曲ですか?
まずは『星条旗よ永遠なれ』を。続けて『ワシントン・ポスト』『忠誠』を聴くと、スーザのマーチの型がつかめます。
まとめ
- スーザは「マーチ王」と呼ばれたアメリカの作曲家・楽隊長。130曲を超えるマーチを書いた
- 13歳で海兵隊の楽隊に見習いとして入り、25歳で「大統領の楽隊」の楽長になった
- 『星条旗よ永遠なれ』は帰国の船上で頭の中に鳴った曲で、のちに国の公式行進曲になった
- スーザフォンは、スーザの注文で楽器業者が作った楽器。名前だけがスーザのもの
- 録音を「缶詰の音楽」と呼んで警戒した
今日聴くなら、『星条旗よ永遠なれ』を約3分半。終わり近くでピッコロが飛び回るところまで、音量を少し上げて聴いてください。次にパレードでスーザフォンの金色の口を見かけたら、それは注文主の名前を背負って歩いている楽器です。
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