『カノン』は8つの音を28回くり返す——パッヘルベルと、J-POPまで続く「カノン進行」

パッヘルベル『カノン』の筆写譜(19世紀の写し)、ベルリン国立図書館
パッヘルベル『カノン』の筆写譜(19世紀の写し)、ベルリン国立図書館

結婚式で聴いた。卒業式でも、ドラマのBGMでも。

ゆっくりした低音の上で、ヴァイオリンが少しずつ重なっていく、あの曲です。一度も聴いたことがない人のほうが少ないはずです。

でも、曲名と作曲者の名前を聞かれると、少し詰まりませんか。正式には「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」。作曲したのは、17世紀ドイツのオルガン奏者、ヨハン・パッヘルベルです。

この曲には、もう一つ驚くことがあります。いま世界中で愛されているこの旋律は、20世紀になるまで、ほとんど誰にも知られていませんでした。

2小節、8つの音を28回——『カノン』の設計図

まず、低音だけに耳を澄ませてみてください。

チェロやチェンバロが、ドレミで言えば「ド・ソ・ラ・ミ・ファ・ド・ファ・ソ」にあたる8つの音を、ゆっくり弾いて、また最初に戻る。2小節で一周するこの低音が、曲の終わりまで28回くり返されます。最初から最後まで、一度も変わりません。

その上に、3つのヴァイオリンが乗ります。

ここが「カノン」と呼ばれる理由です。カノンとは、一つの旋律を、別のパートが少し遅れて同じように追いかけていく書き方のこと。子どものころに歌った『かえるの合唱』の輪唱と、しくみは同じです。第1ヴァイオリンが弾きはじめ、2小節遅れて第2ヴァイオリンが同じ旋律で追いかけ、さらに2小節遅れて第3ヴァイオリンが続く。

冒頭の楽譜を見ると、それがよくわかります。上の3段がヴァイオリン、いちばん下が低音です。ヴァイオリンの段は、下にいくほど最初の休みの小節が2つずつ多い。後から入るパートほど、出番を長く待っているわけです。

低音は同じことをくり返すだけ。ヴァイオリンは同じ旋律を追いかけるだけ。ルールだけ書き出すと、ずいぶん単調な曲になりそうです。

ところが、ヴァイオリンの旋律は、一周ごとに姿を変えていきます。最初は長い音でゆったりと。やがて音符が細かくなり、跳ねるリズムになり、細かい音で一気に駆け上がる。3つのパートがずれながら重なるので、ある瞬間には、ゆったりした旋律と細かい旋律が同時に鳴っています。

同じ8つの音の上で、景色だけがどんどん変わっていく。私はこの曲を、窓の外の風景が少しずつ移り変わる電車の旅のように聴いています。線路は同じ。見えるものだけが違う。

200年眠っていた楽譜と、1968年のレコード

パッヘルベルの鍵盤曲集『アポロンの六弦琴』の扉(1699年)。「ニュルンベルクの聖ゼーバルト教会のオルガン奏者」と記されている
パッヘルベルの鍵盤曲集『アポロンの六弦琴』の扉(1699年)。「ニュルンベルクの聖ゼーバルト教会のオルガン奏者」と記されている

パッヘルベルは1653年、ドイツ南部の商業都市ニュルンベルクに生まれました。ウィーン、アイゼナハ、エアフルトなど各地の教会でオルガン奏者を務め、教会で弾くオルガン曲や、礼拝のための声楽曲を数多く書きました。当時の彼は、何よりもオルガンの名手として知られた人でした。

エアフルトにいたころ、彼はヨハン・クリストフ・バッハという青年にオルガンを教えています。この青年の弟が、のちの大作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハです。両親を早くに亡くした弟は、兄に引き取られて音楽を学びました。パッヘルベルの教えは、兄を通じて、少年バッハにも届いていたことになります。

ニュルンベルクの聖ゼーバルト教会の壁にある記念板。パッヘルベルが1695年から1706年までここのオルガン奏者だったと刻まれている(Photo: Martin Brons / CC BY-SA 4.0)
ニュルンベルクの聖ゼーバルト教会の壁にある記念板。パッヘルベルが1695年から1706年までここのオルガン奏者だったと刻まれている(Photo: Martin Brons / CC BY-SA 4.0)

1695年、パッヘルベルは故郷に戻り、聖ゼーバルト教会のオルガン奏者になります。1706年に亡くなるまで、その職にありました。

では、『カノン』はいつ書かれたのか。

これが、わかっていません。パッヘルベル自身の手で書かれた楽譜は残っておらず、知られている古い資料は、19世紀に書き写された楽譜です。冒頭の写真がそれで、ベルリンの図書館に保管されています。

楽譜が初めて印刷されたのは1919年。作曲者が亡くなってから、200年以上たってからでした。それでも、すぐに有名になったわけではありません。

転機は1968年です。フランスの指揮者ジャン=フランソワ・パイヤールが率いる室内管弦楽団が、この曲を録音しました。テンポをぐっと遅くし、弦の響きをたっぷり重ねた、ロマンチックな演奏です。このレコードが評判になり、1970年代にかけて、アメリカやヨーロッパのラジオで流れ続けました。1980年の映画『普通の人々』で使われたことも、人気を後押ししました。花嫁の入場曲として結婚式で定番になっていったのも、このころのアメリカからだといわれます。300年前の教会音楽家が、200年後のバージンロードの音楽になったわけです。

もともと『カノン』は、軽快な舞曲「ジーグ」と組になった曲で、もっと速めのテンポで弾かれることもあります。いま私たちが思い浮かべる、あのゆったりした響きは、20世紀に生まれた聴き方でもあります。

「カノン進行」——山下達郎『クリスマス・イブ』の間奏まで

『カノン』の8つの低音の上には、決まった和音が乗っています。この和音の並びは、日本では「カノン進行」と呼ばれています。

ニ長調でいえば、D、A、Bm、F#m、G、D、G、A。コードの名前がわからなくても大丈夫です。安定した和音から始まり、少しずつ下がって、少し陰り、また明るく戻ってくる。8つの和音で、小さな起承転結が一周します。

ギターやピアノで弾くと、低い音が階段を一段ずつ降りていくように聞こえる弾き方もよく使われます。降りきったところで、また上へ戻る。この「降りて、戻る」動きが、くり返しても飽きない心地よさを生んでいます。

この流れは、聴く人を安心させながら、少しだけ切なくさせます。だから、ポップスの作曲家たちがくり返し使ってきました。日本のヒット曲にも、この進行を土台にした曲は数え切れないほどあります。

なかでも有名なのが、1983年に発表された山下達郎の『クリスマス・イブ』です。曲の間奏で、山下達郎が一人で何重にも重ねた声のアカペラが、パッヘルベルの『カノン』を歌います。冬の街に毎年流れるあの曲の真ん中に、17世紀ドイツのオルガン奏者の旋律が埋め込まれている。

300年以上前に書かれた8つの音は、200年眠り、1枚のレコードで目を覚まし、いまも新しい歌の下で鳴り続けています。

よくある質問

Q. 『カノン』の演奏時間はどれくらいですか?
演奏によって違いますが、4分から6分ほどです。ゆったりしたテンポの録音ほど長くなります。

Q. 「ジーグ」も一緒に聴けますか?
はい。「カノンとジーグ」として両方を収めた録音もあります。カノンのあとに続けて聴くと、曲の印象がかなり変わります。

まとめ

  • 正式名は「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」。作曲者はヨハン・パッヘルベル
  • 2小節・8つの音の低音が28回くり返され、3つのヴァイオリンが2小節ずつ遅れて同じ旋律を追いかける
  • 作曲年は不明。楽譜の初出版は1919年で、1968年のパイヤールの録音から世界的に広まった
  • 低音の上の和音の並びは「カノン進行」と呼ばれ、多くのポップスの土台になっている

次に『カノン』を聴くときは、ヴァイオリンを追わずに、低音だけを数えてみてください。1、2、3……28。最後の一周にたどり着いたとき、同じ8つの音の上で、どれだけ遠くまで来たかがわかります。

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