マグリット入門|「これはパイプではない」の意味と、山高帽の男が絵の中だけで起こした反乱

夕方、ブリュッセル郊外の住宅街。
背広にネクタイ、頭には山高帽。小さな犬を連れた男が、決まった時間に散歩へ出ます。帰れば食堂の隅に立てたイーゼルの前に座り、夜はカフェで友人とチェス。近所の人が見れば、どこにでもいる勤め人です。
この男が食堂で描いていたのが、「これはパイプではない」の絵でした。
ルネ・マグリットの絵は、一度見たら忘れられません。顔を隠す青リンゴ、真昼の空の下にある真夜中の家。ところが描いた本人は、見た目も暮らしもどこまでも平凡でした。
平凡な男が、なぜ世界でいちばん奇妙な絵を描けたのか。答えは、その平凡さの中にあります。
アトリエすら持たなかった、背広と山高帽のマグリット

マグリットは、画家らしく振る舞うことを拒んだ画家でした。
1898年、ベルギー生まれ。絵で食べていけるようになるまでの時間は長く、壁紙工場の図案係や広告ポスターの仕事で生計を立てていた時期があります。同じシュルレアリスムの画家でも、サルバドール・ダリは奇抜な口ひげと突飛な言動で自分自身を作品にしました。マグリットは正反対です。専用のアトリエを持たず、自宅の食堂の隅で描いていたと伝えられます。
広告の仕事は、無駄ではありませんでした。
マグリットの絵は、遠くからでも一瞬で伝わります。パイプ、リンゴ、山高帽、雲、カーテン。使うモチーフは驚くほど少なく、どれもありふれた日用品です。奇怪な生き物も、溶ける金属も出てきません。ごく普通のものを、ありえない場所・大きさ・組み合わせに置く。それだけで足を止めさせる仕掛けは、ポスター描きの経験そのものです。
この手法は「デペイズマン」と呼ばれます。フランス語で「異なる環境に移すこと」。
背広の男が食堂で発明したこの仕掛けは、たった一行の文字から始まりました。
「これはパイプではない」——では、何がパイプではないのか

パイプの絵の下に、「これはパイプではない」と書いてある。
1929年の『イメージの裏切り』は、そういう絵です。パイプは丁寧に、写実的に描かれています。その下に手書きの文字で「Ceci n’est pas une pipe」。初めて見た人は、たいてい混乱します。どう見てもパイプなのに、パイプではないと言い張るのですから。
種明かしは、拍子抜けするほど単純です。
画面にあるのはパイプの「絵」であって、パイプそのものではない。煙草を詰めることも、火をつけることもできません。マグリット自身がそう説明したと伝えられています。
当たり前すぎる話。ところが、言われるまで誰も気づきません。私たちは絵や写真を見た瞬間、それを「そのもの」として受け取ってしまう。その反射を、たった一行の文字で断ち切ったのがこの絵です。
あなたは今日、何枚の画像を見ましたか。
100年近く前の絵が今も引用され続けるのは、「見えているものは本物か」という疑いが、画面越しの映像を浴び続ける私たちにこそ効くからです。哲学者ミシェル・フーコーが、この一枚を題材に本を一冊書いたことでも知られています。
次の絵では、文字の代わりにリンゴが同じ仕事をします。
『人の子』のリンゴは、なぜ顔の前に浮いているのか

赤いネクタイに黒いコートの男が、海を背にして立っている。顔は、宙に浮かんだ青リンゴにさえぎられて見えません。
1964年の『人の子』。マグリットの絵で最も有名な一枚です。
なぜ、顔を隠すのか。マグリットはこの作品について、見えているものが別の何かを隠している状態そのものへの関心を語ったといわれています。人は隠れているものを見たがる。ところがリンゴをどけたところで、下にあるのはまた別の「見えているもの」にすぎません。
私はこの絵を、答えを隠したなぞなぞではなく、「見たがる気持ち」そのものを描いた絵だと思っています。リンゴが邪魔なのではなく、リンゴが主役。そう見ると、落ち着かなさが少し面白さに変わります。
もう一つ、仕掛けがあります。
男の左腕をよく見てください。肘のところで、不自然に反対向きに曲がっています。気づかずに通り過ぎてもいいし、気づけば急に落ち着かなくなる。マグリットの絵には、この手の小さな違和感がしばしば紛れ込んでいます。
この男は特定の誰かではなく、マグリット自身の分身とも受け取られてきました。山高帽の男は、空から紳士が雨のように降る『ゴルコンダ』など、複数の作品に繰り返し登場する彼のトレードマークです。
リンゴも腕も、絵の中の「事件」でした。ところが次の絵には、事件が一つもありません。
『光の帝国』——昼と夜、どちらが嘘をついているのか
一枚の絵の中で、昼と夜が同居しています。
『光の帝国』の上半分は、青空に白い雲が浮かぶ真昼。下半分は、街灯がぽつんと灯る夜の家並み。歪んだ形も、奇妙な生き物も、どこにもありません。
空だけを見れば、完全に自然です。家だけを見ても、完全に自然。ただ二つが同じ画面にあるというだけで、見る人はうまく説明できない不安を覚えます。ダリの絵が一撃で驚かせる絵だとすれば、こちらはじわじわと足元を崩してくる絵です。
マグリットはこの主題を気に入り、生涯にわたって同じ構図のバリエーションを何点も描きました。世界各地の美術館が所蔵しており、細部の異なる複数のバージョンが存在します。画集で見比べると、街灯の位置や窓の明かりが少しずつ違います。
ここまでの3点、絵の内容を思い出せますか。では、タイトルは。
マグリットのタイトルは「解説」ではなく、もう一枚の絵
『イメージの裏切り』『人の子』『光の帝国』。どれも、絵の内容を説明していません。
パイプの絵なら「パイプ」、リンゴの男なら「リンゴの男」と呼べばいい。ところがマグリットは、絵とタイトルをわざとずらしました。ずれることで、もう一段の謎が生まれます。
マグリットはタイトルを、絵の解説ではなく作品の一部として扱いました。友人たちと相談して決めることもあったと伝えられています。「この絵は何を意味するのか」と正解を探すより、絵とタイトルの間に生まれるすき間を面白がるほうが、この画家には合っています。
意味を当てるゲームではありません。すき間を見るゲームです。
よくある質問
Q. マグリットとダリはどう違うのですか?
ダリは溶ける時計のように、現実にありえない形そのものを描きました。生活も言動も派手です。マグリットは日常のものをそのままの姿で描き、置き場所や組み合わせだけをずらします。作風も生き方も、正反対です。
Q. マグリットの作品はどこで見られますか?
ベルギー・ブリュッセルの王立美術館内にマグリット美術館があり、まとまった数の作品を所蔵しています。海外の主要美術館にも代表作が分散しており、日本でも回顧展が開かれることがあります。会期や料金は公式サイトで最新情報を確認してください。
Q. 音楽やデザインへの影響はありますか?
ビートルズがアップル・レコードを設立した際のリンゴのマークは、マグリットの作品から着想を得たといわれています。広告やアルバムジャケットへの引用は、今も絶えません。
まとめ:今日、最初に見る一点
- マグリットは背広と山高帽で暮らす市民として生活し、絵の中だけで常識を裏返した
- 『イメージの裏切り』は「絵はそのものではない」という当たり前を、一行の文字で突きつける
- 『人の子』は「隠すことで見たくさせる」仕掛けと、曲がった腕のような小さな違和感が同居する
- 『光の帝国』は昼と夜という自然なもの同士を並べるだけで、不安を生む
- タイトルは絵の説明ではなく作品の一部。ずれを味わうのが、この画家の見方
今日やることは一つ。画集でもネットでもいいので『人の子』を開き、リンゴではなく左腕を探してください。見つかった瞬間、あの平凡な散歩姿の男が、食堂の隅で何をたくらんでいたのかがわかります。
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