『きよしこの夜』はギターで初演された——1818年、オーストリアの村の教会と、作曲者が忘れられた30年

『きよしこの夜』は、パイプオルガンの曲ではありません。
教会の静かな聖堂に、オルガンの和音が満ちていく。そんな場面を思い浮かべる人が多いはずです。ところが1818年のクリスマスイブ、この歌が初めて歌われたとき、伴奏していたのはギター1本でした。
当時、ギターは酒場や家庭で弾く楽器で、教会のミサに持ち込むものではありませんでした。それなのに、なぜギターだったのか。
答えを探すと、小さな村の2人の男と、200年語り継がれてきた「ネズミの伝説」にたどり着きます。
12月24日の午後、司祭は詩を持って隣村の教師を訪ねた
舞台は、オーストリアのザルツブルクから北へ20キロほど、ザルツァッハ川のほとりにある村オーベルンドルフです。
1818年12月24日。村の聖ニコラウス教会で助任司祭をしていたヨーゼフ・モールは、隣村で学校の先生をしていたフランツ・クサーヴァー・グルーバーのもとを訪ねます。モールは26歳、グルーバーは31歳。グルーバーは教師のかたわら、教会のオルガン弾きも務めていました。
モールが手にしていたのは、2年前に書いた一編の詩でした。前の任地だった、ザルツブルクの南の山あいの村マリアプファルで書いたものです。戦争が続いたナポレオンの時代がようやく終わり、人々が静かな冬を取り戻しつつあった頃でした。この詩に、2人の独唱と合唱、そしてギターの伴奏で歌える旋律をつけてほしい。
グルーバーは、その日のうちに曲を書き上げます。
夜、クリスマスのミサが終わったあと、2人は祭壇の前に並びました。モールがギターを弾きながら高い声を、グルーバーが低い声を歌い、村の聖歌隊が最後の2行をくり返す。聴いていたのは、川で働く船乗りや船大工の家族たちでした。
これが、『きよしこの夜』の最初の演奏です。

ネズミがオルガンをかじった?——美しい伝説と、わからないこと
では、なぜギターだったのか。
よく語られるのが、教会のオルガンが壊れていた、という話です。ネズミがオルガンのふいごをかじって穴をあけ、音が出なくなった。困った司祭が、ギターで歌える歌を急いで作らせた。物語としてはよくできています。
ただ、この話を裏づける記録は見つかっていません。
グルーバー自身が、のちにこの歌の成り立ちを書き残しています。そこにはモールがギター伴奏の曲を頼んできたことは書かれていても、オルガンが壊れていたとは書かれていない。ネズミの話は、のちの時代に付け加えられた伝説だと考えられています。
なぜモールがギターを選んだのか、本当の理由はわかっていません。ギターを弾くのが好きだった若い司祭が、自分の楽器で歌える歌を作りたかっただけなのかもしれない。
ちなみに、初演の旋律は、今の私たちが知っているものと細部が少し違います。ゆりかごを揺らすような拍子は同じでも、今のゆったりした歌い方よりも軽く弾む、素朴な民謡のような歌でした。
作者の名前が消えたまま、歌だけが世界へ

一夜かぎりで終わるはずだった歌を、村の外へ運んだのは、一人のオルガン職人でした。
チロル地方から教会のオルガンの修理にやって来た職人が、この歌の楽譜を故郷へ持ち帰ったと伝えられます。チロルには、家族で各地を回って民謡を歌う歌い手の一家がいくつもありました。彼らが市や演奏旅行で歌うたびに、歌はドイツ各地へ、さらに海を越えてアメリカへと広がっていきます。
ところが、広がる途中で、作者の名前が抜け落ちてしまいました。
「チロル民謡」として歌われ、やがてハイドンの作品ではないか、いやモーツァルトかベートーヴェンでは、とまで噂されるようになります。1854年、プロイセンの宮廷が作者を問い合わせてきたとき、グルーバーは成り立ちを説明する文章を書き、自分とモールが作った歌だと証言しました。初演から、30年以上がたっていました。
そのとき、作詞者のモールはもういません。各地の村の司祭を務めたのち、1848年に、ほとんど財産を残さずに亡くなっていました。自分の詩が国境を越えて歌われていることを、彼がどこまで知っていたかはわかりません。
グルーバーのほうは、晩年をザルツブルク近郊の町ハラインで、教会の合唱指揮者として過ごしました。この町には今も彼の家と墓が残り、初演の夜にモールが弾いたと伝えられるギターも保存されています。何の変哲もない、小ぶりな木のギターです。
2011年、この歌はオーストリアの無形文化遺産の国内リストに加えられました。村の教会で一晩だけ歌われるはずだった歌が、国の宝になったわけです。
1914年、塹壕をはさんで敵同士が歌った
この歌が、もっとも思いがけない場所で歌われた夜があります。
第一次世界大戦が始まった1914年の12月。ベルギーからフランスにかけての西部戦線では、イギリス軍とドイツ軍が、わずかな距離をはさんで塹壕を掘り、にらみ合っていました。
クリスマスイブの夜、ドイツ軍の塹壕から歌声が聞こえてきます。「シュティレ・ナハト」。『きよしこの夜』のドイツ語の歌い出しです。イギリス兵たちは、英語の歌で応えました。
翌朝、一部の前線では、両軍の兵士が塹壕から出て、中間地帯で握手を交わし、たばこを交換し、一緒に写真を撮りました。「クリスマス休戦」と呼ばれる出来事です。上官の命令によるものではなく、多くの場所で、兵士たちが自然に始めたものでした。

休戦は長くは続かず、戦争はさらに4年近く続きます。それでも、敵同士が同じ旋律を知っていたという事実は、この歌がすでに国境を持たない歌になっていたことを示していました。
よくある質問
Q. 日本語の『きよしこの夜』は、誰が訳したのですか?
いま広く歌われている日本語の歌詞は、牧師で讃美歌の作詞・翻訳者だった由木康(ゆうき・こう)によるものが知られています。原詩を逐語的に訳したものではなく、日本語で歌いやすいように言葉が選ばれています。
Q. 初演された教会は、今もありますか?
聖ニコラウス教会は、川の洪水で何度も被害を受け、20世紀の初めに取り壊されました。跡地には小さな八角形の「きよしこの夜記念礼拝堂」が建てられ、毎年クリスマスイブには記念の式典が開かれています。
まとめ
- 『きよしこの夜』は、1818年12月24日、オーストリアの村オーベルンドルフの教会で初演された
- 作詞は助任司祭ヨーゼフ・モール、作曲は教師でオルガン弾きのフランツ・クサーヴァー・グルーバー
- 伴奏はギター。「ネズミがオルガンをかじった」という話は、記録の裏づけのない伝説
- 作者の名は一度忘れられ、「チロル民謡」として世界に広まった
- 1914年のクリスマス休戦では、塹壕の両側でこの歌が歌われた
200年前の夜、祭壇の前で鳴っていたのは、若い司祭が抱えた1本のギターでした。今年のクリスマスに聞こえてくるのが大きなパイプオルガンでも、聖歌隊の合唱でも、その奥には、川沿いの小さな村の、あの素朴な弦の音が鳴っています。
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