ウィリアム・モリスはなぜ壁紙に人生を賭けたのか——『いちご泥棒』と、ツグミが来る庭

この柄、どこかで見たことがあるはずです。
濃い藍色の地に、向かい合う茶色い小鳥。足元には赤い苺と、白や桃色の花。ハンカチ、傘、手帳の表紙、トートバッグ。雑貨店の棚で、一度は目にしているかもしれません。
ウィリアム・モリスの『いちご泥棒』です。
ただ、この柄を作った人が、詩人で、社会運動家で、本の印刷まで手がけた19世紀イギリスの人物だとまで知っている人は、多くありません。モリスは、なぜ壁紙や布の柄に、これほど本気になったのか。答えは、彼が住んでいた家の庭と、彼が嫌いだったものの中にあります。
いちごを盗むツグミは、モリスの家庭菜園にいた
題名の「泥棒」は、小鳥のことです。
モリスは1871年から、ロンドンの西、オックスフォードシャーの田舎にある古い石造りの館「ケルムスコット・マナー」を借りて、家族と過ごしていました。その庭には家庭菜園があり、夏になると、ツグミが苺を盗みにやって来る。
モリスは鳥を追い払わず、庭師にも追い払わせなかったといわれます。そのかわりに、苺をくわえて得意げなツグミを、柄にしてしまった。
あらためて柄を見ると、鳥のくちばしの先に、小さな赤い実があります。上の段のツグミは胸を張り、下の段のツグミは身をかがめて、こっそり実をついばんでいる。
装飾の模様に見えて、中身は、ある夏の庭の観察記録なのです。
気に入る家具がない。だから友だちと作った——「赤い家」

モリスがものづくりを始めたきっかけは、自分の家でした。
1859年に結婚したモリスは、友人の建築家フィリップ・ウェッブに新居の設計を頼みます。赤レンガむき出しの外観から「レッド・ハウス」と呼ばれた家です。
ところが、家具や壁紙を探しに出かけると、気に入るものが一つもない。当時のイギリスは産業革命のまっただ中で、工場で大量に作られた、安くて飾りばかりの家具があふれていました。
それなら自分たちで作ればいい。画家のバーン=ジョーンズやロセッティら友人たちと、家具に絵を描き、刺繍をし、ステンドグラスを組んだ。この経験から、1861年、モリスは仲間と室内装飾の会社を立ち上げます。のちの「モリス商会」です。
鳥を描くのは苦手だった
意外なことに、モリスは鳥や動物を描くのが得意ではありませんでした。
1862年にデザインした最初の壁紙『トレリス』は、レッド・ハウスの庭のバラの垣根がもとになっています。その柄に入った小鳥を描いたのは、モリスではなく、建築家のウェッブでした。
草花のうねる線なら、いくらでも描ける。けれど鳥はウェッブに任せる。そこから20年かけて、『いちご泥棒』のツグミを自分で描けるところまで来たわけです。
藍で染めて、抜いて、また染める——『いちご泥棒』が高価だった理由
『いちご泥棒』は、モリスが手がけた布の中でも、とくに手間のかかる一枚でした。
使われたのは、藍染めの布の色を部分的に抜いて柄を出し、そこに赤や黄を重ねていく方法です。一度に刷るのではなく、染めては洗い、抜いては染め直す。一枚の布ができるまでに、何日もかかりました。
モリスは、化学染料の派手で褪せやすい色を嫌い、昔ながらの植物の染料にこだわりました。自分で染色の工房に入り、腕を藍で青く染めながら実験を重ねたと伝えられます。
その結果、色は深く、長持ちする。かわりに値段は高くなりました。
「役に立つか、美しいか」——モリスの暮らしのルール

モリスの言葉で、いちばんよく知られているのがこれです。役に立つとわかっているもの、あるいは美しいと信じているもの以外を、家に置いてはいけない。1880年の講演での言葉です。
モリス商会が手がけたものを並べると、その考えがよくわかります。
- 壁紙とカーテン用の布
- 椅子やテーブルなどの家具
- 教会や住宅のステンドグラス
- タイル、刺繍、絨毯
どれも、毎日の暮らしで目に触れ、手に触れるものです。絵画のように壁に掛けて眺める芸術ではなく、生活そのものを美しくすること。モリスの関心は、最初から最後までそこにありました。
美しいものは、金持ちしか買えなかった
ところが、ここに大きな矛盾がありました。
手仕事で、時間をかけて、良い材料で作る。そうして生まれた品物は、どうしても高くなる。モリス商会の客は、結局、裕福な人々ばかりでした。
働く人が、自分の手で作る喜びを取り戻し、誰もが美しいものに囲まれて暮らす。それがモリスの理想でした。けれど現実には、金持ちの屋敷を飾っている。モリスはこの矛盾に深く悩み、やがて社会のしくみそのものを変えようと、社会主義の運動に身を投じていきます。
デザイナーが、自分の商品の値段に悩んで政治運動を始めた。そんな人は、ほかにあまりいません。
それでも、モリスの考え方は海を越えて広がりました。日本では大正から昭和にかけて、柳宗悦(やなぎ・むねよし)らが、名もない職人が作った日用の器や布に美を見いだす「民藝運動」を始めます。暮らしの道具にこそ美がある、という出発点がよく似ているため、二つはしばしば並べて語られます。茶碗と壁紙。形はまったく違っても、見ているものは同じでした。
最後の仕事は、本だった——ケルムスコット・プレス

晩年のモリスが情熱を注いだのは、本でした。
1891年、自分の印刷所「ケルムスコット・プレス」を開き、紙、インク、活字まで自分で選び、作り直して、中世の写本のような美しい本を刷り始めます。その集大成が、1896年に完成した『チョーサー作品集』。親友バーン=ジョーンズの挿絵と、モリスの草花の縁飾りが、ページいっぱいに組まれています。
完成から数か月後、モリスは62歳で亡くなりました。主治医は、死因は「ウィリアム・モリスであったこと」、つまり普通の人の10人分働いたことだ、と語ったと伝えられます。
よくある質問
Q. モリスの作品は日本で見られますか?
国内の美術館で、モリスやアーツ・アンド・クラフツ運動を紹介する展覧会がたびたび開かれています。開催情報は各美術館の公式サイトで確認してください。また、モリスの柄は今も壁紙や布として作られていて、インテリアの店で手に取ることができます。
Q. 「アーツ・アンド・クラフツ運動」とは何ですか?
モリスの考えに共鳴したデザイナーや職人たちが、19世紀後半のイギリスで広げた運動です。機械による大量生産に対して、手仕事の良さと、暮らしの道具の美しさを見直そうとしました。
まとめ
- 『いちご泥棒』は、モリスの館ケルムスコット・マナーの庭で、苺を盗むツグミを柄にしたもの
- 気に入る家具がなかった新居「レッド・ハウス」から、モリス商会が生まれた
- 植物染料と手間のかかる染めにこだわったため、品物は高価になった
- 誰もが美しく暮らせる社会を求め、晩年は社会運動と本づくりに力を注いだ
手元に『いちご泥棒』の柄の小物があったら、一度、ツグミのくちばしの先を探してみてください。小さな赤い苺が見つかったら、それが140年前の夏、オックスフォードシャーの菜園で起きた、ささやかな盗みの現場です。
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