『シャロットの女』は鏡しか見てはいけなかった——ウォーターハウスが3度描いた、呪われた乙女の物語

秋の川を、一艘の小舟が流れていく。
白い衣の若い女性が、舟の上に座っています。片手で岸につないだ鎖をほどき、唇を薄く開いて、どこか遠くを見ている。舟の先には3本のろうそく。そのうち2本は、すでに火が消えています。
ロンドンのテート・ブリテンが所蔵する作品のなかでも、とりわけよく知られた1枚です。
描いたのは、イギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス。この女性は、これから川を下って、ある城の町へ向かいます。そして、たどり着く前に死んでしまう。
なぜ彼女は舟に乗ったのか。答えは、この絵より前の場面にあります。ウォーターハウスは、その「前」の場面も、別の絵に描いていました。
塔の中で、鏡だけを見て暮らす——テニスンの詩『シャロットの女』
物語の出どころは、19世紀イギリスの詩人アルフレッド・テニスンの詩『シャロットの女』です。
舞台は、アーサー王伝説の時代。川の中の小島シャロットに、灰色の塔が建っている。そこに一人の女性が閉じこもって暮らしています。
彼女には、呪いがかけられていました。
窓から外の世界を、直接見てはいけない。もし見れば、何かが起こる。何が起こるのかは、本人も知りません。
そこで彼女は、部屋に大きな鏡を置き、窓の外の景色を鏡に映して眺めています。川の向こうの道を行き交う人々、市場へ向かう娘たち、馬に乗った騎士、王の都キャメロットの城。鏡に映ったそれらの姿を、昼も夜も、機(はた)で織物に織り込んでいく。
世界は、鏡ごしにしか見えない。
彼女が見ているのは、本物の景色ではなく、その影です。
1915年の1枚——「影には、もううんざり」

物語の順番でいちばん最初の場面を描いたのは、ウォーターハウスの最晩年の作品でした。
1915年の1枚。題は、詩の一節から取られています。「影には、もううんざり」とシャロットの女は言った。
赤い衣の女性が、織りかけの布の前で椅子にもたれ、両手を頭の後ろで組んでいる。背後の丸い鏡には、川に架かる橋と、城の町、そして寄りそう若い2人の姿が映っています。
詩の中で、彼女がこの言葉をつぶやくのは、結婚したばかりの恋人たちが月の光の下を歩くのを、鏡の中に見たときでした。
自分には、あの世界に入る日は来ない。
手を止めて天井を見上げる姿は、退屈とも、あきらめとも、何かを決めかけている顔とも読めます。私はこの絵の女性がいちばん人間らしく見えて、3枚のなかでは一番好きです。
この絵を描いた2年後、ウォーターハウスは世を去ります。
1894年の1枚——騎士ランスロットを見た瞬間、鏡が割れる

ある日、鏡の中に、まぶしい騎士が映りました。
円卓の騎士ランスロット。輝く鎧に身を包み、歌を口ずさみながら、川沿いの道を馬で通り過ぎていく。
その姿に、彼女は思わず織物から立ち上がり、窓の外を直接見てしまいます。
1894年の絵は、その直後の一瞬です。
女性は身を乗り出し、窓のほうを振り返っている。足もとには毛糸の玉が転がり、織りかけの糸が膝にからみついています。そして背後の丸い鏡に、斜めのひびが走っている。
呪いが、始まった。
詩では、鏡は端から端まで割れ、織物は糸をほどいて宙に舞います。彼女は、呪いが自分に降りかかったことを悟ります。
正面をにらむような目つきには、後悔より、もう引き返せないという覚悟が見えます。3枚のなかで、いちばん動きのある1枚です。
1888年の1枚——ろうそくは、なぜ2本消えているのか

塔を出た彼女は、川岸で一艘の小舟を見つけます。
舟の先に自分の名前を書き、身を横たえて、流れに任せてキャメロットへ下っていく。歌を口ずさみながら、少しずつ体が冷え、目が暗くなっていく。
冒頭の1888年の絵は、この旅立ちの場面です。
改めて細部を見てみます。
- 女性が握っているのは、舟を岸につないでいた鎖。いま、それをほどこうとしている
- 舟に掛けられているのは、塔の中で織り続けていた織物。鏡ごしに見た騎士や城の姿が織り込まれている
- 舟の先の3本のろうそくのうち、2本はもう消えている
- 舟の先には十字架と、小さなランプが置かれている
ろうそくは、残された命の長さだと読むのが一般的です。3本のうち1本しか残っていない。彼女の唇が開いているのは、詩のとおり、歌いながら川を下っているからです。
舟がキャメロットに着いたとき、彼女はもう息をしていませんでした。
町の人々が舟を取り囲み、名前を読んで恐れおののく。そこへ現れたランスロットは、何も知らないまま、その顔を見て「美しい顔だ」と言うだけでした。
3枚を、物語の順に並べ直す
ウォーターハウスは、同じ女性を27年かけて3度描きました。
制作の順番と、物語の順番は逆になっています。最初に描いたのが物語の結末の小舟で、最後に描いたのが物語の始まりの塔の部屋。画家は、終わりから始まりへと、時間をさかのぼるように描き進めたことになります。
ウォーターハウスは、同じイギリスのラファエル前派の画家たちから多くを学んだ人でした。中世の物語や詩を題材に、細部まで描き込んだ画面。ミレイが『オフィーリア』で川に浮かぶ乙女を描いてから、およそ35年後のことです。ウォーターハウス自身も、オフィーリアを3度描いています。
シャロットの女は、ラファエル前派の画家たちが好んだ題材でもありました。テニスンの詩集に挿絵がつけられたとき、ロセッティは、舟の中で息絶えた彼女をランスロットがのぞき込む結末の場面を描いています。ハントは、ほどけた糸に体を巻かれ、髪を逆立てて立つ姿を描きました。
画家ごとに、どの瞬間を選ぶかが違う。ウォーターハウスは、一つの瞬間を選ぶ代わりに、3つの瞬間を一生かけて描き分けました。
ウォーターハウスは1849年、画家の両親のもとにローマで生まれ、ロンドンの王立美術院で学んだ画家です。ラファエル前派の運動が始まったころに生まれ、その最盛期を知らない世代でした。それでも晩年まで、中世の物語と、水辺の女性たちを描き続けています。
よくある質問
Q. 3枚の『シャロットの女』は、それぞれどこにありますか?
1888年の作品はロンドンのテート・ブリテン、1894年の作品はイギリスのリーズ美術館、1915年の作品はカナダのオンタリオ美術館が所蔵しています。展示状況は各館の公式サイトで確認してください。
Q. テニスンの詩は日本語で読めますか?
『テニスン詩集』などの翻訳書に収められています。物語の流れを知ってから絵を見ると、細部の意味がつかみやすくなります。
まとめ
- 『シャロットの女』は、テニスンの詩をもとにした、呪われた乙女の物語
- 彼女は外の世界を鏡ごしにしか見てはいけず、騎士ランスロットを直接見て呪いが始まる
- ウォーターハウスは1888年、1894年、1915年の3度、この物語を描いた
- 制作の順と物語の順は逆。3枚を並べ直すと、一つの物語として読める
1888年の小舟の女性は、ようやく鏡ではなく、本物の空と川を見ています。それが彼女にとって、最初で最後の景色でした。
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