『ハレルヤ』でなぜ観客は立ち上がるのか?ヘンデル『メサイア』と、24日で書かれた楽譜

24日。
演奏に2時間半ほどかかるオラトリオ『メサイア』を、ヘンデルが書き上げるのにかかった日数です。1741年8月22日に書きはじめ、9月14日に書き終えた。自筆の楽譜に、その日付が残っています。
有名な『ハレルヤ・コーラス』は、その第2部の最後に置かれた4分ほどの合唱です。
そして今も、イギリスやアメリカのコンサートでは、この曲が始まると客席がいっせいに立ち上がることがあります。誰が決めたわけでもないのに。この習慣の出どころをたどると、ヘンデルという人の、どん底からの逆転劇が見えてきます。
ヘンデルはドイツ人。ロンドンでオペラに賭けて、負けかけていた
ヘンデルは1685年、ドイツのハレに生まれました。同じ年、100キロあまり離れた町でバッハが生まれています。二人は生涯、一度も会いませんでした。
イタリアで修業したあと、20代でロンドンへ。当時のロンドンではイタリア語のオペラが大流行していて、彼はその第一人者になります。自分で劇場の経営にも手を出し、豪華な歌手を高いギャラで呼び寄せました。
ところが流行は移ります。
英語のせりふと街の流行歌でオペラを皮肉った『乞食オペラ』が大当たりすると、客はわかりにくいイタリア語の舞台から離れていきました。借金がかさみ、1737年には脳卒中で右手が動かなくなります。温泉で療養して復帰したものの、1741年初めに上演した新作オペラは、わずかな回数で打ち切りに。
56歳。ロンドンを離れることさえ考えていたと伝えられます。
その夏、友人の台本作家チャールズ・ジェネンズから、一冊の台本が届きました。
『メサイア』の台本は、聖書の言葉だけでできている

ジェネンズの台本には、新しく書かれたせりふが一行もありませんでした。
旧約・新約の聖書から言葉を選び、並べ替えただけ。救い主(メサイア)の誕生を予言する言葉から始まり、受難と復活を経て、永遠の命で終わる。第1部が降誕、第2部が受難、第3部が復活、という3部構成です。
オペラのように役者が衣装を着て演じることはありません。独唱と合唱とオーケストラが、舞台に立ったまま歌う「オラトリオ」という形式でした。
ヘンデルはこれを24日で書きます。
作曲中、召使いが部屋に入ると、ヘンデルが涙を流しながら「天国と神そのものを見た」と語った。そんな逸話が残っていますが、確かな記録はありません。自分の旧作の旋律を流用した箇所もあり、当時の作曲家としては速いけれど、ありえない速さではない、というのが研究者の見方です。
それでも、この曲の中に一度も息切れするところがないのは、聴けばわかります。
初演はロンドンではなくダブリン。女性はスカートをふくらませずに来てほしい
完成した『メサイア』が最初に鳴ったのは、アイルランドの首都ダブリンでした。

1742年4月13日、フィッシャンブル通りの音楽堂。収益は、借金で牢に入れられた人々の救済と、病院の運営に充てられる慈善公演です。
チケットは売り切れました。主催者は新聞で、女性にはスカートを大きくふくらませる輪骨(フープ)を着けずに、男性には剣を下げずに来てほしいと呼びかけます。そうすれば、定員600人のホールに700人が入れる。
公演は大成功でした。集まったお金で、140人あまりの囚人が牢から出られたといいます。
アルトの独唱を歌ったのは、スキャンダルで舞台から遠ざかっていた女優スザンナ・シバーです。受難の場面の悲しいアリアを彼女が歌い終えたとき、客席の牧師が思わず立ち上がり、「女よ、これであなたの罪はすべて許される」と叫んだと伝えられます。
ダブリンでは、立ち上がったのは牧師一人でした。
国王が立ち上がった?「ハレルヤで起立」の伝説には証拠がない
翌1743年、『メサイア』はロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で上演されます。
反応は冷ややかでした。聖書の言葉を、劇場で、役者に歌わせるのは冒涜ではないか。そんな批判が新聞に載り、上演はわずか数回で終わります。
有名な伝説は、この公演に結びついています。国王ジョージ2世が『ハレルヤ・コーラス』に感動して立ち上がり、王が立てば臣下も座っていられないので、全員が起立した。それが今に続く習慣になった、というものです。
ところが、国王がその場にいたという記録がありません。
「王が立った」という話が文書に初めて出てくるのは、37年後の1780年、ある学者の手紙です。感動した説、足の痛風で座っていられなかった説、遅れて入ってきた説。理由も諸説ありますが、どれも裏付けがありません。
曲そのものは、立ち上がりたくなるように書かれています。合唱が短い一語を何度も打ちつけるように繰り返し、そこへトランペットとティンパニが輝かしく加わる。声部が追いかけ合い、また一つにそろう。4分ほどのあいだに、音楽が何度も天井へ向かって押し上げられていきます。
ただ、習慣のほうは本物です。いつの間にか「ハレルヤでは立つもの」になり、200年以上続いてきました。
孤児院のための『メサイア』が、ヘンデルの名前を国民の曲にした
『メサイア』を本当に人気曲にしたのは、ある孤児院でした。
1750年、ヘンデルはロンドンの捨て子養育院(ファウンドリング・ホスピタル)の礼拝堂で、『メサイア』の慈善公演を開きます。捨てられた赤ん坊を育てるための施設です。公演は大成功し、以後、彼は毎年のようにここで指揮をとりました。
聖書の言葉を劇場で歌うことへの反発は、孤児のための礼拝堂という場所で消えていきました。
晩年のヘンデルは、視力を失います。それでもオルガンの前に座り、『メサイア』の演奏に立ち会いつづけました。最後に客席にいたのは1759年4月6日。8日後に亡くなり、ウェストミンスター寺院に葬られます。墓の上の彫像は、『メサイア』第3部の楽譜を手にしています。
よくある質問
Q. 『ハレルヤ・コーラス』で、日本の演奏会でも立つべきですか?
決まりはありません。日本の演奏会では座って聴くのが一般的です。起立をうながす公演もあるので、その場合は周りに合わせれば十分です。
Q. 『メサイア』はクリスマスの曲ですか?
初演は4月で、もともとは復活祭(イースター)に近い時期の曲でした。第1部がキリストの降誕を扱うため、今はクリスマスの時期に演奏されることが多くなっています。
Q. 全部聴くと何分かかりますか?
版や演奏によって違いますが、おおむね2時間から2時間半ほどです。
まとめ:起立の伝説より、ダブリンの700人を
- 『メサイア』は1741年、24日で書かれた。台本は聖書の言葉だけでできている
- 作曲当時のヘンデルは、オペラ事業の失敗と病気でどん底にいた
- 初演は1742年のダブリン。慈善公演で、140人あまりの囚人が釈放された
- 「国王が立ったから全員起立」という伝説には証拠がない。記録に出るのは37年後
- 人気を決定づけたのは、孤児院のための毎年の慈善公演だった
『ハレルヤ』で立ち上がる理由は、誰にもわかりません。わかっているのは、この曲が最初から、牢の中の人や捨てられた子どものために鳴らされてきたことです。立っても座っても、その4分間は、誰かを助けるために書かれた音楽です。
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