『白鳥の湖』の初演は失敗だった——チャイコフスキーが見ることのなかった「本当の白鳥」

『白鳥の湖』と聞けば、多くの人がメロディを口ずさめます。
白いチュチュのバレリーナたち、オーボエが奏でるもの悲しい旋律、腕を組んで小刻みに踊る4羽の小さな白鳥。バレエを一度も観たことがない人でも、どこかで目にしている場面です。世界でいちばん有名なバレエと言って、反対する人はあまりいません。
ところが、この作品の初演は失敗でした。
数年で舞台から消え、作曲したチャイコフスキー自身も、生きているあいだに成功を見ることはありませんでした。いま私たちが観ている『白鳥の湖』は、彼の死後に作り直された「2度目の白鳥」です。
1877年、『白鳥の湖』初演のボリショイ劇場で何が起きたのか

依頼は1875年、モスクワのボリショイ劇場から来ました。
このころのチャイコフスキーは30代半ば。モスクワ音楽院で教えながら、交響曲やピアノ協奏曲で名前が知られはじめた作曲家です。バレエ音楽を書くのは、これが初めてでした。
物語は、悪魔の呪いで昼は白鳥、夜だけ人間に戻る王女オデットと、彼女に恋をする王子ジークフリートの話。王子の愛の誓いだけが呪いを解ける、という筋立てです。
台本を誰が書いたのか、もとになった物語が何なのかは、はっきりしていません。白鳥に姿を変えられた乙女の話は、ドイツやロシアの民話に古くから見られるもので、それらを下敷きにしたと考えられています。
1877年の春、初演の幕が上がります。
評判は散々でした。振付は平凡で、踊り手もオーケストラも、慣れない音楽に手こずった。批評家たちは「バレエにしては音楽がうるさい」「交響曲のようで踊りにくい」と書きました。
チャイコフスキー以前、バレエ音楽はここまで本気で書くものではなかった
失敗の原因は、音楽が悪かったからではありません。
当時のバレエ音楽は、踊りの伴奏でした。拍子がわかりやすく、ダンサーがステップを踏みやすいこと。音楽そのものが目立つ必要は、むしろありませんでした。専門のバレエ作曲家が、注文に合わせて手早く書く仕事だったのです。
チャイコフスキーは、そこに交響曲と同じ熱量を持ちこみました。
場面ごとにはっきりした主題を作り、それを物語に合わせて変化させる。第2幕で白鳥の主題がオーボエに現れるとき、その下ではハープと弦楽器が水面のように揺れています。踊りの伴奏というより、それだけで聴ける管弦楽曲です。
第3幕の舞踏会も同じです。スペイン、ナポリ、ハンガリー、ポーランドと、各国の踊りが次々に披露される場面で、チャイコフスキーはそれぞれの国の民族舞曲のリズムと楽器の色を書き分けました。カスタネットが鳴り、トランペットが歌い、弦楽器が急に速くなる。踊りを見なくても、どの国の客人が登場したのか耳でわかります。
その新しさが、初演の現場には重すぎました。上演が続くうちに、踊りやすい他の作曲家の曲に差し替えられた場面もあったといいます。
本人は、この作品に満足していなかったようです。数か月後、フランスの作曲家ドリーブのバレエ『シルヴィア』を聴いた彼は、それに比べれば『白鳥の湖』はつまらないものだ、と友人への手紙に書いたと伝えられています。
1893年、チャイコフスキーの死から始まった「2度目の白鳥」

チャイコフスキーがバレエの成功を手にするのは、十数年後のことです。
1890年、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で『眠れる森の美女』が初演されます。振付は、劇場の振付家マリウス・プティパ。作曲家と振付家が細かく打ち合わせて作ったこの作品は、高く評価されました。2年後には『くるみ割り人形』が続きます。
そして1893年の秋、チャイコフスキーは53歳で急死しました。
翌年、彼を追悼する公演で、プティパの助手レフ・イワノフが『白鳥の湖』の湖畔の場面だけを新しく振り付けて上演します。白鳥たちが一列に並び、同じ角度で首を傾け、同じ速さで腕を羽ばたかせる。群舞が一羽の鳥の群れのように動くこの場面が、大きな評判を呼びました。
1895年、作品全体がマリインスキー劇場で作り直されます。湖の場面はイワノフ、宮廷の場面はプティパ。音楽は、劇場の指揮者ドリゴが順番を入れ替えたり手を加えたりして整えました。台本も、作曲家の弟モデストが書き直しています。兄の残した楽譜を、弟と劇場の仲間たちが仕立て直した形です。
今日、世界中のバレエ団が踊る『白鳥の湖』の多くは、この1895年版が土台になっています。
『白鳥の湖』の黒鳥は、なぜ32回転するのか
1895年版でオデットを踊ったのは、イタリア出身のピエリーナ・レニャーニでした。冒頭の写真の女性です。
彼女には得意技がありました。片脚で立ち、もう片方の脚を鞭のように振って、その場で回り続ける「フェッテ」という回転です。レニャーニはこれを32回連続で回ることで知られていました。
第3幕、王子を誘惑する悪魔の娘・黒鳥オディールの見せ場に、この32回転が組みこまれます。
音楽はそのままに、踊り手の得意技に合わせて振付を組む。作曲家が亡くなったあとの作品が、劇場の現場でこうして育っていったことがよくわかる逸話です。
いまでも、黒鳥の踊りの最後で32回転を回るのが定番です。客席が手拍子を始めそうになるほど、劇場がいちばん沸く瞬間。白鳥オデットと黒鳥オディールを1人のバレリーナが踊り分けるのも、多くの上演で受け継がれています。清らかな白鳥と、妖しい黒鳥。同じダンサーが一晩で正反対の役を演じることが、この作品の大きな見どころになりました。
私は、この役の作りこそが『白鳥の湖』を不滅にしたと思っています。王子が黒鳥を白鳥と見間違える筋書きに、観客も半分だまされるからです。
よくある質問
Q. 『白鳥の湖』の結末は悲劇ですか?
上演するバレエ団や演出によって違います。オデットと王子が湖に身を投げてあの世で結ばれる悲劇の結末もあれば、王子が悪魔を倒して2人が結ばれる結末もあります。観に行く前に、その公演の演出を確認しておくと楽しめます。
Q. バレエを観なくても音楽だけで楽しめますか?
楽しめます。バレエ全曲から有名な曲を抜き出した組曲版の録音も多く出ています。第2幕の「情景」、「4羽の白鳥の踊り」、第3幕の各国の民族舞曲あたりから聴くと、場面が目に浮かびやすいです。
まとめ:失敗作は、作曲家の死後に生まれ変わった
- 『白鳥の湖』は1877年、モスクワのボリショイ劇場で初演されたが、評判は振るわなかった
- 原因は、伴奏にとどまらない交響曲のような音楽が、当時のバレエの常識から外れていたこと
- チャイコフスキーの死後、1895年にマリインスキー劇場でプティパとイワノフが作り直した
- 黒鳥の32回転は、1895年版のバレリーナ、レニャーニの得意技から始まった
- 白鳥と黒鳥を1人で踊り分けるのが、多くの上演の伝統になっている
今夜やることは一つです。第2幕の「情景」を、目を閉じて聴いてみてください。オーボエの主題の下で揺れているハープの音が、1877年の客席には「うるさい」と聞こえた音楽です。
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