『見返り美人図』の帯を見る——菱川師宣が「浮世絵の祖」になった、版画ではない一枚

菱川師宣『見返り美人図』江戸時代(17世紀)、東京国立博物館
菱川師宣『見返り美人図』江戸時代(17世紀)、東京国立博物館

切手の絵でしょう? と思った人。正解です。

赤い着物の女性が、歩きながらふと後ろを振り返っている。1948年の「切手趣味週間」の記念切手に使われ、切手収集の世界ではいまも特別な一枚として知られています。教科書の「江戸時代の文化」のページで見た、という人も多いはずです。

ただ、この絵について、意外と知られていないことが二つあります。

一つは、これが版画ではなく、絵師が筆で一点だけ描いた「肉筆画」だということ。もう一つは、振り返る理由が、顔を見せるためではなかったかもしれない、ということです。

『見返り美人図』は歩いているのに振り返る。その一瞬に何が描かれているか

絵の前に立ったら、まず視線を顔から外してみてほしい。

女性の体は、画面の右へ向かって歩いています。着物の裾が、足の運びに合わせて後ろへ流れ、白い裏地がのぞいている。前に進む勢いがあるのに、首だけが左へ、肩越しに後ろを向いています。前と後ろ、二つの方向が一人の体の中でねじれている。この「ねじれ」が、何もない背景の中で、絵に動きを生んでいます。

背景には、何も描かれていません。

道も、木も、家もない。茶色い絹の地の上に、女性がぽつんと立っているだけです。どこを歩いているのか、誰に呼ばれて振り返ったのかも、わかりません。見る人の目は、行き場をなくして女性の体に集まります。茶色い余白が広いぶん、着物の緋色がいっそう強く目に飛び込んでくる。何も描かないことが、そのまま主役を際立たせる仕掛けになっています。

そこで目に入ってくるのが、着物の柄です。燃えるような緋色の地に、菊と桜を丸くまとめた花の文様が散らされている。その中央、ちょうど腰のあたりで、緑の帯が大きく結ばれています。

この帯の結び方は「吉弥(きちや)結び」と呼ばれます。上村吉弥という、女性の役を演じる歌舞伎役者が舞台で結んで評判になり、江戸の女性たちのあいだで流行した結び方だと伝えられています。両端を垂らした形が、歩くたびに揺れる。髪も、当時流行の「玉結び」という結い方で、櫛と簪が添えられています。

振り返る姿勢を選ぶと、何が見えるか。

顔と、背中の帯と、着物の後ろ姿が、一度に見えます。正面向きでは帯の結び目は隠れ、真後ろ向きでは顔が見えない。この絵は、流行の着物と帯と髪型を、いちばんよく見える角度で見せるための構図でもありました。いまで言えば、ファッション雑誌のモデルが肩越しにカメラを振り返るポーズに近い。そう考えると、緋色の着物を着た彼女は、江戸の最新の装いを見せる「看板」にも見えてきます。

刺繍職人の息子・菱川師宣が、挿絵から「一枚の絵」を独立させた

菱川師宣の木版画(1680年ごろ)。格子の向こうに遊女が並ぶ吉原の店先
菱川師宣の木版画(1680年ごろ)。格子の向こうに遊女が並ぶ吉原の店先

描いた菱川師宣は、安房国(いまの千葉県南部)の保田という海辺の村の出身です。家は縫箔屋(ぬいはくや)。着物に刺繍をほどこし、金や銀の箔を置く職人の家でした。

着物の柄の描き込みが細かいのは、この生まれと無縁ではないはずです。花の文様の一つひとつ、帯の地紋まで手を抜かない筆は、布を知り尽くした職人の目を思わせます。

師宣は若いころ江戸に出て、絵を学びました。最初に名前を上げた仕事は、本の挿絵です。江戸の町では木版印刷の本がたくさん出回るようになり、物語や案内書に絵を添える絵師が求められていました。

彼の大きな仕事は、その挿絵を本から切り離したことにあります。

文章の添えものだった絵を、一枚の紙に刷って、それだけで売る。題材は、吉原の遊郭の様子や、芝居、花見、町の人々の暮らし。当時の言葉で「浮世」と呼ばれた、いま流行の世の中そのものです。

「うきよ」は、もともと「憂き世」と書きました。つらく、はかない世の中という意味です。それが江戸時代になると「浮世」の字が当てられ、どうせはかない世なら浮かれて楽しもう、という明るい響きに変わっていきます。浮世絵とは、つまり「当世風の絵」。いまの暮らしと流行を描く絵、ということです。

師宣が活躍したのは、1657年の明暦の大火で焼けた江戸の町が再建され、商人や職人の暮らしが豊かになっていった時代でした。お金を持った町人たちが、芝居や遊郭や着物の流行を楽しみ、それを絵でも欲しがった。浮世絵は、そうした新しい客のための絵として生まれました。墨一色で刷り、筆で色を足した素朴な版画でしたが、安く手に入る絵として町の人々に広まりました。

のちに鈴木春信の多色刷り、歌麿、北斎、広重へと続く浮世絵の流れは、ここから始まります。師宣が「浮世絵の祖」と呼ばれるのは、このためです。

浮世絵版画の祖が、一点ものの肉筆画で残した最高傑作

菱川師宣が挿絵を描いた絵本の一場面(花見)、ブルックリン美術館
菱川師宣が挿絵を描いた絵本の一場面(花見)、ブルックリン美術館

ここで一つ、疑問が浮かびます。版画で名を上げた絵師の代表作が、なぜ版画ではないのか。

浮世絵の絵師たちは、版画と並行して、注文に応じて筆で絹や紙に直接描く肉筆画も手がけていました。版画は大量に刷って安く売る絵、肉筆画は一点だけの高価な絵です。師宣も、工房の弟子たちとともに、多くの肉筆画を残しています。

『見返り美人図』は、その肉筆画の中でもっともよく知られた一枚です。

師宣の工房は「菱川派」と呼ばれ、弟子たちも似た姿の美人図を数多く描きました。背景を省き、一人の女性を画面いっぱいに立たせて、着物の柄を主役にする。この形は、少しあとの時代に懐月堂安度らが描いた立ち姿の美人画にも受け継がれていきます。一人の女性の装いだけで一枚の絵が成り立つ、という考え方そのものが、師宣たちの発明でした。

版画の線は、彫り師が板に彫るため、どうしても硬くなります。筆で直接描けば、裾の柔らかい流れも、着物の赤の深さも、思いどおりに出せる。版画では難しかった色と線を、ここでは存分に使っています。画面の右下には「房陽菱川友竹筆」の署名が見えます。房陽は故郷の安房のこと。江戸で成功しても、出身地を名乗りに入れていたことがわかります。

私はこの署名を見るたびに、海辺の刺繍職人の家から出てきた若者の姿を思います。着物の柄を一枚の絵の主役にしたのは、布の美しさを誰よりも知っていた人でした。

よくある質問

Q. 『見返り美人図』の実物はどこで見られますか?
東京国立博物館が所蔵しています。絹に描かれた繊細な作品のため、常に展示されているわけではありません。展示の時期は公式サイトで確認してください。

Q. 菱川師宣ゆかりの場所はありますか?
出身地の千葉県鋸南町に、菱川師宣記念館があります。師宣や浮世絵に関する資料を紹介しています。開館情報は事前に確認してください。

まとめ:振り返った先にあったのは、江戸の流行

  • 『見返り美人図』は、版画ではなく筆で一点だけ描かれた肉筆画。東京国立博物館が所蔵する
  • 振り返る姿勢によって、顔と、吉弥結びの帯と、着物の後ろ姿が一度に見える
  • 描いた菱川師宣は、安房の刺繍職人の家の出身。着物の柄の細かさにその目が表れている
  • 本の挿絵だった絵を一枚の版画として独立させ、「浮世絵の祖」と呼ばれた
  • 1948年には記念切手の図柄になり、日本でもっとも知られた美人画の一つになった

切手の小さな画面では、帯はほんの数ミリの緑の点でした。次にこの絵を見るときは、顔より先に、腰の帯の結び目から見てください。彼女が振り返ったのは、それを見せるためだったのかもしれません。

関連アイテム

この記事に関連する本・アルバムはこちらから探せます。

※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です。適格販売により収入を得ています。