ゴッホ『ひまわり』はなぜ7枚もあるのか?東京で本物が見られる名画の全知識

「ゴッホのひまわり」——おそらく世界で最も有名な花の絵です。しかし、こんな事実をご存じでしょうか。

『ひまわり』は1枚ではなく、7枚描かれたこと。そのうち1枚は日本で焼失してしまったこと。そして現在も1枚が東京にあり、いつでも本物を見られること。

この記事では、フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』にまつわる物語を、初心者の方にもわかりやすく解説します。読み終わる頃には、黄色い花瓶の絵がまったく違って見えるはずです。

ゴッホ『ひまわり』1888年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
ゴッホ『ひまわり』1888年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

ゴッホとはどんな画家だったのか

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)はオランダ生まれ。画商、教師、伝道師と職を転々とし、画家を志したのは27歳という遅いスタートでした。画家としての活動期間はわずか10年。その間に約2,000点もの作品を残しましたが、生前に売れた絵は数えるほどしかなかったといわれています。

弟テオからの仕送りで暮らし、精神を病み、37歳でこの世を去る。死後に評価が爆発し、今や世界で最も高額で取引される画家の一人——ゴッホの人生は、芸術家の悲劇と栄光の代名詞になっています。

『ひまわり』が7枚ある理由——ゴーギャンを待ちながら

1888年、35歳のゴッホはパリを離れ、南フランスのアルルに移り住みます。彼には夢がありました。この太陽の街に画家仲間を集めて、共同生活をしながら制作する「芸術家の共同体」を作ることです。

その最初の仲間として招いたのが、尊敬する画家ポール・ゴーギャンでした。

ゴッホは、ゴーギャンを迎える部屋を飾るために『ひまわり』を描き始めます。友の到着を待ちわびながら、黄色い花を次々とキャンバスに咲かせていく。『ひまわり』の連作は、いわば「友情の歓迎ブーケ」だったのです。

アルル時代に描かれた『ひまわり』は、最初の4枚と、後に自ら模写した3枚を合わせて全部で7枚。ロンドンのナショナル・ギャラリー、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークなど、世界各地の美術館が1枚ずつ所蔵しています。

悲しい結末と、それでも残る黄色

しかし、共同生活は2か月で破綻します。性格も芸術観も正反対だった二人は衝突を重ね、ゴッホが自らの耳を切る事件を起こして、ゴーギャンはアルルを去りました。

その顛末を知ってから『ひまわり』を見ると、あの燃えるような黄色が、希望に満ちていた頃のゴッホの心そのもののように見えてきます。ゴッホにとって黄色は、太陽、友情、そして幸福の色でした。

1枚は日本で焼失、1枚は今も東京にある

『ひまわり』と日本には、深い縁があります。

7枚のうち1枚は、大正時代に日本の実業家が購入し、兵庫県芦屋市にありました。しかし1945年、空襲による火災で焼失。「幻のひまわり」として、今は白黒写真などでしか見ることができません。戦争で失われた名画として、美術史に刻まれる悲劇です。

一方、1987年には安田火災海上(現・損害保険ジャパン)がロンドンのオークションで『ひまわり』を約58億円で落札し、世界中のニュースになりました。当時の絵画取引の最高額を大幅に更新する金額で、バブル期の日本を象徴する出来事として語られることもあります。

この1枚は現在、東京・新宿のSOMPO美術館で公開されています。つまり、世界に数枚しかないゴッホの『ひまわり』を、私たちは新宿駅から歩いて見に行けるのです。これはヨーロッパの美術ファンからすれば、うらやましくてたまらない環境です。

ゴッホの憧れは「日本」だった

意外に思われるかもしれませんが、ゴッホがアルルに移住した理由のひとつは「日本」でした。

パリ時代のゴッホは浮世絵に出会い、強烈な衝撃を受けます。明るい色彩、くっきりした輪郭、大胆な構図。弟テオと共に数百点もの浮世絵を収集し、歌川広重の『名所江戸百景』の「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」、渓斎英泉の花魁図を油絵で模写までしています。

ゴッホ『ジャポネズリー:花魁(渓斎英泉による)』1887年、ファン・ゴッホ美術館蔵。浮世絵を油絵で模写した一枚
ゴッホ『ジャポネズリー:花魁(渓斎英泉による)』1887年、ファン・ゴッホ美術館蔵。浮世絵を油絵で模写した一枚

そして「日本のように光あふれる土地で描きたい」と夢見て、南仏アルルへ向かったのです。ゴッホは手紙に「ここは日本のように美しい」と書き残しています。実際には一度も日本を訪れたことがないのに、です。

『ひまわり』の、輪郭で縁取られた花や平坦に塗られた背景には、浮世絵の影響がはっきりと見てとれます。燃える黄色の名画の奥に、ゴッホが夢見た「まだ見ぬ日本」が隠れている——そう思って見ると、東京にこの絵があることに不思議な縁を感じませんか。

支え続けた弟テオ——2,000通の手紙

ゴッホを語るうえで欠かせないのが、4歳下の弟テオドルス(テオ)の存在です。画商だったテオは、売れない兄に毎月仕送りを続け、絵具代も生活費も支え続けました。ゴッホが残した約2,000通の手紙の大半はテオ宛てで、そこには絵の構想、日々の暮らし、そして『ひまわり』への自信が生々しく綴られています。

ゴッホの死のわずか半年後、テオも後を追うように亡くなり、兄弟は今、オーヴェルの墓地に並んで眠っています。ゴッホの作品を世に広めたのは、テオの妻ヨハンナでした。彼女が手紙を編集・出版したことで、「ゴッホ」は伝説になったのです。

実物を見るときの3つの鑑賞ポイント

  1. 絵具の「盛り上がり」を見る:ゴッホは絵具をチューブから直接絞り出したかのように厚く塗る「インパスト」という技法を使いました。花びらの部分は、絵具が彫刻のように盛り上がっています。これは印刷物では絶対に伝わりません。
  2. 「黄色に黄色を重ねる」大胆さ:背景も花瓶も花も黄色。普通なら画面がぼやけてしまうところを、ゴッホは黄色の微妙な違いだけで描き分けています。何種類の黄色が見つかるか、数えてみてください。
  3. 枯れた花も描かれている:よく見ると、生き生きした花だけでなく、うなだれた花や枯れかけた花も交ざっています。命の輝きと衰えを一枚に描き込む——そこにゴッホの死生観を読み取る人もいます。

よくある質問

Q. ひまわり以外の代表作は?
『星月夜』(ニューヨーク近代美術館)、『夜のカフェテラス』、『アルルの寝室』、そして最晩年の『カラスのいる麦畑』などが有名です。糸杉と渦巻く空の作品群は、ひまわりと並ぶゴッホの代名詞です。

ゴッホ『星月夜』1889年、ニューヨーク近代美術館蔵
ゴッホ『星月夜』1889年、ニューヨーク近代美術館蔵

Q. なぜゴッホの絵はあんなに高額なのですか?
「生前は無名、死後に神格化」という物語性、作品数の少なさ(市場にほぼ出ない)、そして誰が見ても一目でわかる強烈な個性。この3つが揃った画家は美術史でも稀で、オークションに出れば世界中のコレクターが競い合うためです。

まとめ:新宿で世界的名画に会える幸運

『ひまわり』について、この記事のポイントをまとめます。

  • 『ひまわり』はゴーギャンとの共同生活を夢見て描かれた、全7枚の連作
  • 1枚は戦争で日本にて焼失、1枚は東京・SOMPO美術館で公開中
  • 見どころは絵具の盛り上がり、黄色の重なり、そして枯れた花

海外の大規模展は混雑しますが、常設のコレクションは比較的落ち着いて鑑賞できます。開館情報はSOMPO美術館の公式サイトでご確認のうえ、ぜひ「東京のひまわり」に会いに行ってみてください。

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