デューラーの『犀』はなぜ鎧を着ているのか?見たことのない動物を描いた1515年の木版画

アルブレヒト・デューラー『犀』1515年、木版画(メトロポリタン美術館所蔵の刷り)
アルブレヒト・デューラー『犀』1515年、木版画(メトロポリタン美術館所蔵の刷り)

サイと聞いて、どんな姿を思い浮かべますか。

灰色の分厚い皮膚、鼻先の角、ずんぐりした胴体。動物園やテレビで、誰もが一度は見ています。

では、上の絵はどうでしょう。体はリベットで留めた金属の板に覆われ、脚はうろこだらけ。背中の上には、なぜか小さなねじれた角がもう一本生えています。サイというより、甲冑を着こんだ騎士の馬に近い。

描いたのは、ドイツ・ルネサンス最大の画家アルブレヒト・デューラー。彼は、本物のサイを一度も見ていません。それでもこの一枚は、その後250年近く、ヨーロッパの人々にとって「サイの姿」そのものになりました。

1515年、千年以上ぶりにヨーロッパへ来たサイ

1515年5月、ポルトガルの首都リスボンの港に、一頭の生きたサイが降ろされました。

インド西部のグジャラートの君主から、ポルトガルのインド総督に贈られたインドサイです。総督はそれを、本国の国王マヌエル1世へ送りました。喜望峰を回る、4か月ほどの航海だったとされます。

ヨーロッパの人々が生きたサイを見るのは、古代ローマ時代以来、千年以上ぶりのことでした。

国王は大喜びで、このサイを見世物にします。サイとゾウは宿敵だという古い言い伝えを確かめようと、若いゾウと対決させたという話も残っています。結果は、ゾウが逃げ出して終わったそうです。

サイの噂は、手紙に乗ってヨーロッパじゅうへ広がっていきました。

1枚のスケッチと手紙だけで、デューラーは『犀』を彫った

デューラー『自画像』1500年、アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)
デューラー『自画像』1500年、アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)

そのころデューラーは、ドイツ南部の商業都市ニュルンベルクにいました。リスボンからは2000キロ近く離れています。

彼の手もとに届いたのは、サイの様子を書いた手紙と、誰かが描いた簡単なスケッチだけだったと考えられています。デューラーはそれをもとにペンで下絵を描き、木版画に仕上げました。

画面の上の文章には、手紙の内容が書き写されています。色はまだらの亀のよう。分厚い殻に覆われている。鼻先には鋭い角があり、石で研ぐ。ゾウの宿敵で、ゾウの前脚のあいだに頭を突っこみ、腹を引き裂く。動きはすばやく、ずる賢い。

言葉で読めば、どれも鎧を着た怪物に聞こえます。

「分厚い殻」は、金属の板に。「まだらの亀」は、体じゅうの丸い模様とうろこに。デューラーは、言葉で伝えられた特徴を、自分の知っているいちばん近いものに置き換えて形にしたわけです。ニュルンベルクは、腕のいい甲冑職人が集まる町としても知られていました。

ちなみに、この文章にはサイの到着が「1513年」と書かれています。実際は1515年。彫った文字の誤りも、そのまま刷られて広まりました。

『犀』の背中の小さな角は、どこから来たのか

この絵でいちばん不思議なのが、首の後ろにある、ねじれた小さな角です。

本物のインドサイに、こんな角はありません。

この角が何だったのかは、はっきりしていません。スケッチの線を誤解した、一角獣の伝説が混ざった、などの説があります。いずれにせよ、見たことのない動物を、伝聞と想像で補った結果です。

私はこの角を見るたびに、デューラーの手つきを想像します。2000キロ向こうの動物を、少しでも本当らしく見せたい。その熱心さが、余計な角を一本生やしてしまった。

『犀』は売れに売れ、250年近くサイの「正解」になった

デューラー『野うさぎ』1502年、アルベルティーナ美術館(ウィーン)
デューラー『野うさぎ』1502年、アルベルティーナ美術館(ウィーン)

デューラーの『犀』は、大当たりしました。

木版画は、同じ版から何枚も刷れます。一点ものの油絵と違い、手ごろな値段で多くの人の手に渡る。珍しい動物の姿を知りたい人々が、この版画を買い求めました。デューラーの死後も版は刷られ続け、のちには別の人による複製も数多く作られています。

デューラーは、版画をビジネスにした最初の画家の一人でした。作品に入れた「AD」の組み文字は、いまで言うブランドのロゴです。イタリアの版画家が彼の作品とこのロゴを無断でまねたとき、デューラーはヴェネツィアの役所に訴え出たと伝えられています。

上の『野うさぎ』を見ると、彼が本物を前にしたときの観察力がよくわかります。毛の一本一本、目に映る窓の光まで描きこんだ水彩画です。見たものはここまで描ける画家が、見ていないサイを描いた。そのことが、『犀』を面白くしています。

珍しいものを自分の目で見たい、という気持ちは、晩年まで変わりませんでした。1520年からのネーデルラント(いまのオランダ・ベルギー)への旅の途中、デューラーは海岸にクジラが打ち上げられたと聞き、わざわざ見に出かけます。ところが着いたときには、クジラはもう潮に流されたあとでした。この旅で彼は熱病にかかり、その後も長く体調に苦しんだと伝えられています。サイにもクジラにも、とうとう会えなかった画家でした。

1741年、本物のサイ「クララ」がデューラーの『犀』を訂正した

ジャン=バティスト・ウードリー『サイのクララ』1749年、シュヴェリーン州立美術館
ジャン=バティスト・ウードリー『サイのクララ』1749年、シュヴェリーン州立美術館

デューラーのサイが訂正されるのは、200年以上あとのことです。

1741年、オランダの船長が、インドから一頭のメスのサイを連れ帰りました。名前はクララ。船長はクララを馬車に乗せ、17年にわたってヨーロッパ各地を巡業します。王侯貴族から町の人々まで、大勢がクララを見物しました。

フランスの画家ウードリーは、パリに来たクララを実物大で描いています。上の絵と、デューラーの『犀』を見比べてみてください。皮膚のひだの位置や重なり方は、デューラーのサイと意外なほど似ています。手紙とスケッチだけで、彼はかなりの部分を正しく捉えていたのです。

ただ、ウードリーのサイには、金属の板も、背中の角もありません。

最後に、リスボンに来た1515年のサイのその後を書いておきます。国王はこのサイをローマ教皇に贈ることにしますが、1516年の初め、イタリアへ向かう船が嵐で沈み、鎖につながれていたサイは溺れ死んだと伝えられます。デューラーの『犀』がヨーロッパじゅうに出回ったとき、モデルはもうこの世にいませんでした。

よくある質問

Q. デューラーの『犀』はどこで見られますか?
木版画は同じ版から何枚も刷られたため、世界のさまざまな美術館が刷りを所蔵しています。原画にあたるペン描きの下絵は、ロンドンの大英博物館にあります。展示状況は各館で確認してください。

Q. デューラーは他にどんな作品で知られていますか?
キリストのように正面を向いた1500年の『自画像』、精密な水彩画『野うさぎ』、謎めいた銅版画『メランコリアI』などが有名です。北方ルネサンスを代表する画家として、油彩・版画・素描のすべてに名作を残しました。

Q. 本物を見ないで描くことは、当時よくあったのですか?
写真のない時代、遠い国の動物や土地は、旅行者の話や手紙、他人のスケッチをもとに描かれるのが普通でした。『犀』は、その時代の「想像で補う絵」の代表例です。

まとめ:『犀』の鎧は、言葉から生まれた

  • 1515年、インドサイがリスボンに到着した。生きたサイは、ヨーロッパでは千年以上ぶりだった
  • ニュルンベルクにいたデューラーは、手紙とスケッチだけをもとに木版画『犀』を作った
  • 「分厚い殻」という言葉が、金属の鎧のような姿になった。背中の小さな角は本物にはない
  • 版画は大量に刷られ、250年近くヨーロッパのサイの姿の「正解」になった
  • 1741年に来たサイのクララで、本物の姿が広く知られるようになった

次に動物園でサイを見る機会があったら、首の後ろを確かめてください。そこに角がないことを確認したら、500年前のニュルンベルクで、言葉だけを頼りに鎧を彫った画家のことを思い出せるはずです。

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