パリの風刺オペレッタから、日本の運動会へ——オッフェンバック『天国と地獄』のギャロップが走り出すまで

ジュール・シェレによる『地獄のオルフェ』(日本題『天国と地獄』)のポスター。1870年代、パリのゲテ座での再演のためのもの
ジュール・シェレによる『地獄のオルフェ』(日本題『天国と地獄』)のポスター。1870年代、パリのゲテ座での再演のためのもの

運動会の徒競走で、スタートのピストルのあとに鳴っていたあの曲。

タッタカ、タッタカと前のめりに駆けていく、甲高い旋律です。題名を聞かれたら、答えられますか。

『天国と地獄』。ここまでは言える人も多いと思います。では、天国と地獄のどんな話の、どの場面の音楽なのか。そこまで知っている人は、ぐっと減るはずです。

私もそうでした。長いあいだ、この曲は「徒競走の曲」でしかなかった。

調べてみると、出てきたのは160年以上前のパリの劇場と、神々をからかった喜劇と、それに怒った批評家でした。

原題に「天国」はない

まず題名から。

フランス語の原題は『Orphée aux enfers』。直訳すると「地獄のオルフェ」です。天国という言葉は、どこにも入っていません。

『天国と地獄』は、日本でつけられた題名でした。物語の舞台が神々の住むオリュンポス山と、冥界の両方にまたがるので、この題になったと考えられます。

作曲したのは、ジャック・オッフェンバック。

チェロ弾きの少年がつくった劇場

ジャック・オッフェンバック。写真家ナダールによる肖像
ジャック・オッフェンバック。写真家ナダールによる肖像

オッフェンバックは1819年、ドイツのケルンに生まれました。父はユダヤ教の礼拝で歌う先唱者です。

14歳でパリに出て、音楽学校でチェロを学びます。学校は1年ほどで辞めてしまいますが、腕前はすぐに評判になり、劇場のオーケストラやサロンで弾いて暮らしを立てました。超絶技巧のピアニストになぞらえて、「チェロのリスト」と呼ばれたこともあります。

ただ、本当にやりたかったのは、笑える音楽劇を書くことでした。

当時のパリでは、大きな劇場は重々しいオペラのもの。新人の軽い作品は、なかなか上演してもらえません。そこでオッフェンバックは1855年、自分で小さな劇場を開きます。名前はブフ・パリジャン座。「パリの道化たち」という意味です。

1858年、神々を笑いものにした

その小さな劇場で、1858年に初演されたのが『地獄のオルフェ』でした。

下敷きになったのは、ギリシャ神話のオルフェウスの物語です。竪琴の名手オルフェウスが、死んだ妻エウリディーチェを取り戻しに冥界へ下る。100年ほど前にはグルックが、この話を感動的なオペラにしていました。

オッフェンバックは、それを丸ごとひっくり返します。

彼の版のオルフェは、ヴァイオリン教師。妻のことは嫌いで、死んでくれてほっとしている。ところが「世論」という名の登場人物に「夫の務めだ」とせっつかれ、しぶしぶ妻を迎えに行く羽目になります。

神々もひどい。オリュンポス山の神々は退屈して大王ジュピターに反乱を起こし、ジュピターは浮気相手を探し回っている。

1887年の再演の舞台写真。ハエに化けたジュピター(右)が、眠るエウリディーチェに近づく場面
1887年の再演の舞台写真。ハエに化けたジュピター(右)が、眠るエウリディーチェに近づく場面

冥界では、ジュピターがハエに化けてエウリディーチェに言い寄る始末です。

結末も、神話とは正反対でした。原作では、オルフェウスが「地上に出るまで振り返ってはいけない」という約束を破り、妻を永遠に失う悲劇です。オッフェンバックの版では、ジュピターがオルフェの背中に雷を落とし、驚いた夫はわざと振り返らされてしまう。妻を連れ帰らずに済んだオルフェは大喜びで、エウリディーチェは酒の神バッカスに仕える巫女として冥界に残ります。

誰も悲しまない、めでたしめでたしの幕切れです。

観客は、舞台の神々に、当時のフランスの皇帝や宮廷の姿を重ねて笑いました。お堅い神話を借りて、偉い人たちをからかう。これがオッフェンバックの得意技でした。

批評家の怒りが、いちばんの宣伝になった

神話と古典をこけにした舞台に、怒った人もいました。

有力な新聞の批評家ジュール・ジャナンは、この作品を、神聖な古代への冒涜だと激しく非難したと伝えられます。台本作家がこれに紙上で言い返し、論争は新聞をにぎわせました。

結果はどうなったか。

「そんなにひどい舞台なら、見てみたい」。客が押し寄せ、『地獄のオルフェ』は大当たりになります。オッフェンバックの名前は、一気にパリ中に知れわたりました。

あのギャロップは、地獄の宴会の踊り

では、運動会のあの曲は、劇のどこで鳴るのか。

冥界の王プルトンの館で開かれる、神々の大宴会の場面です。酒に酔った神々が、最後に輪になって踊り狂う。その踊りの音楽が「地獄のギャロップ」でした。

ギャロップは、19世紀に流行した速い2拍子の踊り。名前は、馬が全速力で駆ける「ギャロップ」から来ています。

脚を高く蹴り上げ、スカートをひるがえす踊りは、のちにパリの酒場で「フレンチ・カンカン」と呼ばれる見世物になりました。オッフェンバックのギャロップは、その代名詞の曲になっていきます。

序曲を書いたのは、オッフェンバックではない

ここで一つ、寄り道を。

コンサートでよく演奏される『天国と地獄』序曲は、オッフェンバック本人の作ではありません。1860年、ウィーンで上演されたとき、現地の音楽家カール・ビンダーが劇中の曲をつなぎ合わせて作ったものです。

序曲はゆったりした旋律でしばらく進み、最後の最後に、あのギャロップが飛び出してきます。運動会で流れるのは、たいていこの部分です。

2拍子と駆け足が、徒競走に合った

日本で『天国と地獄』が運動会の定番になった理由は、曲そのものにあると私は思っています。

速い2拍子は、「イチ、ニ、イチ、ニ」と足を運ぶリズムにぴったり重なる。旋律は休みなく前へ前へと進み、立ち止まらない。もともと馬の駆け足の名を持つ踊りの曲ですから、走る場面に合うのは当然でした。

同じく運動会でおなじみの『クシコス・ポスト』も、駆ける馬を思わせる曲です。日本の運動会は、19世紀ヨーロッパの「速い踊り」に支えられてきたことになります。

カステラのテレビCMで、子熊の人形たちが踊っていた曲、と言えばわかる人もいるはずです。

オッフェンバックは、最後の大作を見られなかった

『地獄のオルフェ』の成功のあと、オッフェンバックは100作近い舞台作品を書いたといわれます。

晩年に取り組んだのは、笑いのない本格的なオペラ『ホフマン物語』でした。けれど1880年、61歳で亡くなり、初演の舞台を見ることはできませんでした。劇中の『ホフマンの舟歌』は、今も単独でよく演奏されます。

よくある質問

Q. 『天国と地獄』の全曲は、どれくらい上演されていますか?
オペレッタとして今もヨーロッパを中心に上演されています。日本でも上演されることがあるので、劇場の公演情報を確認してみてください。

Q. 「地獄のギャロップ」だけを聴きたいときは?
「天国と地獄 序曲」で探すと、最後の部分でギャロップが聴けます。劇の中の場面として聴きたいなら、全曲盤の第2幕の終わりにあたる部分を探してください。

まとめ

  • 『天国と地獄』の原題は「地獄のオルフェ」。日本でつけられた題名
  • 1858年、オッフェンバックが自分の劇場で初演した、神々をからかう喜劇
  • 批評家の非難が話題を呼び、大ヒットになった
  • 運動会のあの曲は、冥界の宴会で神々が踊る「地獄のギャロップ」

次の運動会であの曲が鳴ったら、走っている子どもたちの向こうに、酔っぱらって踊り狂うギリシャの神々を思い浮かべてみてください。徒競走が、少しだけ騒がしく見えてきます。

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