『死の島』の小舟には、棺が載っている——ベックリンが5度描いた糸杉の島と、ラフマニノフの交響詩

5枚。
スイスの画家アルノルト・ベックリンが、ほぼ同じ構図で描いた『死の島』の数です。1880年から1886年までの6年間に、彼は同じ島を5度描きました。
暗い海に、切り立った岩の島が浮かんでいる。岩壁には墓穴のような四角い入口が並び、中央には黒い糸杉が空へ伸びる。そこへ一艘の小舟が、音もなく近づいていきます。
舟の上には、白い布をまとった人影が立っている。その前に横たわる白い箱は、花輪をかけた棺です。
ほとんど何も起きていない絵です。それなのに、この島は20世紀の初め、ドイツじゅうの居間に飾られるほど愛されました。ロシアの作曲家ラフマニノフは、この絵から交響詩を1曲書いています。
「夢を見るための絵」——1880年、フィレンツェのアトリエ

ベックリンは1827年、スイスのバーゼルに生まれました。
長くイタリアに暮らし、神話の海の怪物や、森の牧神を描いた画家です。『死の島』の最初の1枚を描いていたのは、53歳のころ。場所はフィレンツェのアトリエでした。
そこへ、夫を亡くしたばかりの女性が訪ねてきたと伝えられます。彼女は制作中の絵を見て、自分のためにも1枚、「夢を見るための絵」を描いてほしいと頼んだ。
2枚目を描くとき、ベックリンは舟の上に白い人影と棺を加えたといわれます。亡くなった夫を、静かな島へ送り届ける舟。依頼主の喪失に寄りそう形で、絵の主題がはっきりしていきました。
上の第1作を見ると、空は夜のように暗く、岩は月明かりを受けたような茶色をしています。冒頭の第3作では、空に雲が流れ、岩肌は白っぽい灰色。同じ島でも、1枚ごとに光と季節が違います。
ここで一つ、意外なことがあります。
『死の島』という題は、画家がつけたものではない
ベックリン自身は、この絵を『死の島』とは呼んでいませんでした。
この題を広めたのは、ベルリンの画商だったとされます。画家本人は、「静かな場所」や「墓の島」といった、もっと控えめな言い方をしていたと伝えられます。
題名が決まってから、絵の見え方は一つに絞られました。
「死の島」と聞けば、誰でも舟の人影を死者の付き添いと読み、棺の行き先をあの世だと考えます。ギリシャ神話には、死者を舟で冥界へ渡す渡し守カロンが登場する。舟をこいでいる人物を、カロンに重ねる人もいました。
島のモデルについても、はっきりした答えはありません。
ベックリンの幼い娘が葬られたフィレンツェの墓地、ギリシャのコルフ島近くの小島、ナポリ湾に浮かぶ岩の城。いくつもの候補が挙げられてきましたが、どれも決め手を欠いています。
私は、答えが一つに決まらないことが、この絵の長生きの理由だと思っています。誰の思い出の島にもなれるからです。
5枚の『死の島』は、いまどこにあるのか
5枚の行方は、次のとおりです。
- 第1作(1880年)……スイス、バーゼル市立美術館
- 第2作(1880年)……アメリカ、ニューヨークのメトロポリタン美術館
- 第3作(1883年)……ドイツ、ベルリン旧国立美術館
- 第4作(1884年)……第二次世界大戦で焼失。白黒写真だけが残る
- 第5作(1886年)……ドイツ、ライプツィヒ造形美術館
いちばんよく知られているのは、冒頭に載せた第3作です。
右側の岩壁にある墓の入口には、画家自身の頭文字が刻まれているとされます。自分の墓を、自分の絵の島に用意したことになる。このときベックリンは50代の半ばでした。
第3作には、もう一つ暗い来歴があります。1933年、この絵を買い取ったのはアドルフ・ヒトラーでした。山荘や総統官邸に飾られ、戦後にベルリンの美術館へ移されています。
同じ島の絵が、喪に服す女性のためにも、独裁者の部屋のためにも描かれた。絵そのものは、何も変わっていません。
本物が5枚しかないのに、この島が多くの人に知られたのは、複製のおかげでした。
19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、『死の島』は版画や写真印刷の形で大量に出回ります。ドイツ語圏では、ふつうの家庭の居間や書斎に、この暗い島の複製が掛けられていたといわれます。高価な油絵は買えなくても、印刷なら手が届く。
死の絵を、毎日の暮らしの壁に掛ける。今の感覚では少し奇妙に思えますが、当時の人々にとっては、騒がしい世の中から離れて心を静める窓のようなものだったのでしょう。その窓の前に、ある日、一人のロシア人作曲家が立ち止まります。
ラフマニノフは白黒の複製から、5拍子の舟をこぎ出した

1907年、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフは、パリで『死の島』の複製を目にします。
色のない、白黒の印刷でした。
この1枚から生まれたのが、1909年の交響詩『死の島』です。曲は低い弦楽器の、ゆったり揺れるリズムで始まります。1小節に5拍。2拍と3拍が交互に来るような、少しつんのめる揺れ方が、櫂で水をかく舟の動きを思わせます。
20分ほどの曲の中で、音楽は一度、生きていたころの記憶のように激しく盛り上がる。けれど最後は、また暗い水の揺れに戻っていきます。中世の死者のための聖歌「怒りの日」の旋律も、曲の中に織り込まれています。
後年、ラフマニノフは色のついた本物の絵を見て、がっかりしたと語ったと伝えられます。先に本物を見ていたら、この曲は書かなかったかもしれない、と。
白黒の暗さが、作曲家の想像を引き出した。複製が名曲を生んだ、珍しい例です。
骸骨にヴァイオリンを弾かせた画家

ベックリンが死を描いたのは、『死の島』が最初ではありません。
1872年、45歳の自画像では、絵筆を持つ画家の肩越しに、骸骨がヴァイオリンを弾いています。画家は振り向かず、耳を澄ますように正面を見ている。死はすぐ後ろで、静かに音楽を奏でています。
ベックリンは子どもを何人も幼いうちに亡くし、自身も大病を経験した画家でした。死は、遠い神話の話ではなかった。
それでも、彼の描く死は叫びません。
骸骨は楽器を弾き、舟は波も立てずに進む。怖がらせるのではなく、黙って隣に座っている。『死の島』が多くの家の居間に飾られたのは、その静けさのせいだと思います。
よくある質問
Q. 『死の島』は日本で見られますか?
5枚とも海外の美術館が所蔵しています。展示状況は変わることがあるので、見に行く前に各美術館の公式サイトで確認してください。
Q. ラフマニノフの交響詩『死の島』は、どこから聴けばいいですか?
冒頭の5拍子の揺れを、まず1分だけ聴いてみてください。舟の動きが耳でつかめれば、そのあとの盛り上がりと静けさも自然に追えます。
Q. ベックリンは、のちの画家にも影響を与えましたか?
人けのない広場を描いたイタリアの画家デ・キリコは、若いころベックリンに強くひかれました。ダリも『死の島』を題材にした作品を残しています。のちのシュルレアリスムの、夢のような静けさの源流の一つに数えられる画家です。
まとめ
- ベックリンは1880〜1886年に、同じ構図の『死の島』を5枚描いた
- 舟の白い人影と棺は、夫を亡くした依頼主のために加えられたと伝えられる
- 『死の島』という題は画家ではなく、画商がつけたとされる
- 第3作はヒトラーが所有した。第4作は戦争で失われた
- ラフマニノフは白黒の複製を見て、5拍子の交響詩を書いた
5枚の島は、どれも同じ場所を描きながら、少しずつ違う光の中にあります。小舟の上の棺は、見る人ごとに違う誰かを乗せてきました。
関連アイテム
この記事に関連する本・アルバムはこちらから探せます。
※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です。適格販売により収入を得ています。
