ピカソはなぜすごいのか?「子どもの絵みたい」と言われる巨匠の本当の凄さを初心者向けに解説

ピカソはなぜすごいのか?「子どもの絵みたい」と言われる巨匠の本当の凄さを初心者向けに解説

「これなら自分でも描けそう」「子どもの落書きと何が違うの?」——ピカソの絵を前にして、そんな感想を抱いたことはないでしょうか。顔のパーツはバラバラ、体はゆがみ、色は現実離れしている。正直に言えば「上手い」とは思えない。それなのに、パブロ・ピカソは20世紀最大の画家と呼ばれ、作品には天文学的な値段がつきます。

この「なんでこれがすごいの?」という疑問は、実はとてもよい問いです。なぜなら、その疑問に答えていくと、ピカソが起こした革命の正体が見えてくるからです。この記事では、美術に詳しくない方に向けて、ピカソの凄さを物語とともに解説します。読み終わる頃には、あの「変な絵」がまったく違って見えるはずです。

ピカソは「描けない人」ではない——14歳で写実を極めた神童

まず知っておきたいのは、ピカソは「上手く描けないから崩した」のではない、ということです。むしろ正反対です。

1881年、スペインのマラガに生まれたピカソは、美術教師の父のもとで幼い頃から徹底的にデッサンを学びました。10代半ばで描いた『初聖体拝領』や『科学と慈愛』といった作品は、大人の職業画家と見まがうほどの完成度で、公募展で評価を受けています。父親が「息子には敵わない」と絵筆を置いたという逸話が残るほどでした。

つまりピカソは、14〜15歳の時点で伝統的な写実絵画をほぼ極めてしまったのです。彼はのちにこう語ったと伝えられています。「私は子どもの頃、ラファエロのように描けた。しかし子どものように描くためには一生かかった」。ピカソにとって「崩すこと」は逃げではなく、写実の先にある挑戦だったのです。

青の時代からバラ色の時代へ——色は心を映す

若きピカソの画風は、人生の出来事とともに劇的に変わっていきます。

20歳前後の「青の時代」は、親友カサヘマスの自殺という悲劇から始まりました。画面全体が沈んだ青に覆われ、描かれるのは盲人、物乞い、痩せた母子といった社会の底辺で生きる人々。パリで貧しい暮らしを送っていたピカソ自身の孤独が、そのまま色になったような時期です。

やがて恋人フェルナンドと出会い、生活が上向くと、画面は温かなピンクへと変わります。これが「バラ色の時代」。サーカスの芸人や旅役者たちが、優しい色彩で描かれました。青からバラ色へ——ピカソの絵は、色そのものが感情の記録になっているのです。この時期の作品だけを見れば、「ピカソは変な絵の人」というイメージは覆るでしょう。

キュビスムの衝撃——「見る」を発明し直した

そして20代半ば、ピカソは美術史を変える爆弾を落とします。『アヴィニョンの娘たち』に始まり、画家ブラックとともに突き詰めた「キュビスム(立体派)」です。

キュビスムの発想はこうです。私たちは物を一つの視点からしか見られません。しかし実際のリンゴには、正面もあれば横も裏もある。ならば、複数の視点から見た姿を一枚の画面に同時に描いてしまえばいいのではないか——。顔の正面と横顔が同居するあの奇妙な絵は、でたらめではなく、「見えるとおりに描く」という何百年も続いたルールへの、理詰めの挑戦状だったのです。

写真が発明され、「そっくりに描く」ことの価値が揺らいだ時代。絵にしかできないことは何かを問い直したのがキュビスムであり、その影響は絵画にとどまらず、彫刻、建築、デザインにまで及びました。

『ゲルニカ』——戦争への怒りを描いた白黒の大作

ピカソを語るうえで欠かせないのが、1937年の大作『ゲルニカ』です。スペイン内戦のさなか、ドイツ軍の空爆によって故国の小さな町ゲルニカが破壊されたという報せに、ピカソは激しい怒りをもって応えました。

横幅7メートルを超える巨大な画面に、色はありません。白と黒と灰色だけ。泣き叫ぶ母親、いななく馬、折れた剣を握る兵士。バラバラにゆがんだ形だからこそ、爆撃の混乱と悲鳴がこちらに迫ってきます。写実で描いた戦場よりも、ずっと生々しい。「崩された形」が感情を伝える武器になることを、この絵は証明しました。ナチス占領下のパリで「これを描いたのはお前か」と問われ、「いや、あなたたちだ」と答えたという逸話も伝えられています。

生涯数万点——「多作」もまた才能

ピカソのもう一つの凄みは、その圧倒的な量です。91歳で亡くなるまで、絵画だけでなく彫刻、版画、陶芸、舞台美術まで手がけ、生涯の作品数は数万点にのぼるといわれます。史上最も多作な画家としてギネスブックに載ったという話は有名です。

しかも、ただ量産したのではありません。青の時代、キュビスム、新古典主義風の時期、シュルレアリスムに接近した時期——ピカソは一つの様式で成功しても、そこに安住せず次々と自分を壊し続けました。「様式の破壊と創造」を90年の生涯にわたって繰り返した体力と好奇心こそ、天才の正体なのかもしれません。

ピカソが壊したもの——「上手い」の定義

結局、ピカソの何がすごいのか。ひとことで言えば、「上手い絵」の定義を壊し、絵画の可能性を広げたことです。

ピカソ以前、絵の上手さとは「本物そっくりに描けること」でした。ピカソ以後、絵は「世界をどう捉え直すか」の勝負になりました。現代アートが自由なのは、ピカソたちが扉をこじ開けたからです。「子どもみたいな絵」という感想は、実はピカソにとって最高の褒め言葉かもしれません。大人が失った自由な目を、彼は技術の頂点を極めたうえで、一生かけて取り戻そうとしたのですから。

よくある質問

Q. ピカソの本名がとても長いというのは本当?
本当です。洗礼名を連ねた非常に長い名前で、「パブロ・ディエゴ・ホセ…」と20語近く続くといわれます。普段は母方の姓「ピカソ」を名乗りました。

Q. 日本でピカソの絵は見られる?
国内の複数の美術館がピカソ作品を所蔵しており、企画展もたびたび開催されています。展示状況は各美術館の公式サイトで最新情報を確認するのがおすすめです。

Q. どの時代の作品から見るのが初心者向き?
まずは写実的な初期作品と「青の時代」から見ると、技術力と感情表現のすごさが素直に伝わります。そのうえでキュビスムを見ると、「あえて崩した」意味が実感できます。

まとめ:「描けるのに描かない」を選んだ革命家

  • ピカソは14歳前後で写実を極めた神童であり、「描けないから崩した」のではない
  • 青の時代→バラ色の時代→キュビスムと、人生とともに様式を破壊し続けた
  • 『ゲルニカ』は、ゆがんだ形だからこそ戦争の悲惨さを伝える白黒の大作
  • 生涯数万点という圧倒的な多作。「上手い」の定義そのものを変えた

次にピカソの絵に出会ったら、「上手いかどうか」ではなく「何を壊そうとしたのか」を想像してみてください。きっと見え方が変わります。

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