ブルース入門|綿花畑の労働歌は、どうやってロックの母になったのか

ブルース入門|綿花畑の労働歌は、どうやってロックの母になったのか
土曜の夜、ミシシッピ州クラークスデイル郊外のジューク・ジョイントで踊る人々(1939年撮影)
土曜の夜、ミシシッピ州クラークスデイル郊外のジューク・ジョイントで踊る人々(1939年撮影)

深夜のミシシッピ。小さな駅のホーム。

列車を待ちながら居眠りしていた楽団のリーダーが、奇妙な音で目を覚まします。隣に座ったぼろ服の男が、ギターの弦にナイフの背を滑らせながら、同じ歌詞を繰り返し歌っていた。1903年、トゥトワイラー駅。W.C.ハンディという音楽家が後年書き残したこの夜は、ブルースが「発見」された瞬間として語り継がれています。

聴いたこともない音楽だった、とハンディは記しました。

その聴いたこともない音楽は、100年後のあなたの耳に届いています。ロック、ソウル、ヒップホップのビートの奥には、あの駅のホームの音が流れているからです。

綿花畑の歌が世界を変えるまでの道筋を、順にたどります。

ブルースは楽譜より先に、綿花畑にあった

ミシシッピ・デルタの農園の売店に集まる綿摘み労働者たち(1939年撮影)
ミシシッピ・デルタの農園の売店に集まる綿摘み労働者たち(1939年撮影)

ブルースの生まれた場所は、コンサートホールではありません。

ミシシッピ川下流域に広がる平らな綿花地帯、通称「デルタ」。奴隷制が廃止された後も、解放された黒人の多くは小作人として同じ畑で綿を摘み続けました。朝から晩まで続く手作業のあいだ、畑には掛け声と歌が響きます。一人が一節を投げ、仲間が返す。教会では説教師が呼びかけ、会衆が応える。

この「呼びかけと応答」が、ブルースの心臓部です。

楽器はいらない。楽譜も読めなくていい。声さえあれば成り立つ音楽が、19世紀の終わりごろ、デルタの畑と安酒場で形になっていきました。冒頭のハンディが駅で耳にしたのは、その完成しつつあった音です。

ばらばらの叫びは、やがて一つの「型」に収まります。世界でいちばん有名な12小節に。

12小節と3行の詩——世界共通語になった型

ブルースの決まりごとは、拍子抜けするほどシンプルです。

歌詞は3行。1行目を歌い、2行目でほぼ同じ言葉を繰り返し、3行目で落とす。伴奏は3つのコードを決まった順番で回して、12小節でひと回り。これを何周も繰り返しながら、歌い手は物語を進めていきます。

繰り返しは、手抜きではありません。

同じ言葉を二度聞かされた聴き手は、3行目を待つ体勢になります。「で、どうなった?」という宙づりの2小節。この焦らしが、ブルースを一晩中聴ける音楽にしました。

もう一つの発明が「ブルーノート」です。ドレミの音階のいくつかの音を、半音に満たない幅で低く歪ませる。明るくも暗くも聴こえる、あいまいな音。この歪みこそが、ブルースを聴いたとき胸がざわつく理由です。

型は誰でも使えます。ところがこの型を、伝説ごと背負ってしまった男が一人だけいます。

十字路で悪魔に魂を売った男——ロバート・ジョンソンの27年

真夜中の十字路でギターを悪魔に差し出し、引き換えに超絶的な腕を手に入れた。

デルタの歌い手ロバート・ジョンソンには、そういう伝説がついて回ります。しばらく姿を消していた男が、別人のように上手くなって帰ってきた。周囲がそう証言したことから、悪魔との取引の噂が広まったと伝えられます。

確かな記録は、わずかです。

残されたスタジオ録音は1936年と1937年の2回だけ。ホテルの一室などに機材を持ち込んだ簡素なセッションで、29曲が吹き込まれました。翌1938年、27歳で死去。死因すらはっきりしません。生前は、デルタの外ではほぼ無名でした。

私は初めてこの録音を聴いたとき、古びたノイズの向こうの声とギターが、一人ではなく二人分に聴こえて鳥肌が立ちました。伝説を信じたくなる気持ちが、少しわかりました。

彼の死から数年後、録音機材を積んだ一台の車がデルタの綿花畑にやってきます。

綿花畑からシカゴへ——ブルースが電気を浴びた日

1941年、米議会図書館の民謡調査チームが、ミシシッピ州クラークスデイル近くの農園に録音機を運び込みました。

マイクの前に座ったのは、農園で働く20代の男。マッキンリー・モーガンフィールド、のちのマディ・ウォーターズです。再生された自分の歌を初めて聴いた彼は、これで食べていけると確信したと伝えられます。数年後、彼は畑を捨てて北へ向かいました。

行き先はシカゴ。

20世紀前半、南部の黒人が仕事を求めて北部の工業都市へ移り住む「大移動」が続いていました。人と一緒に、ブルースも移動します。ただしシカゴの酒場は、デルタの畑とは違いました。うるさいのです。生ギターの爪弾きでは、客のざわめきに埋もれて誰にも届きません。

そこでギターはアンプにつながれました。

電気を浴びたデルタ・ブルースは、バンド編成の轟音に生まれ変わります。マディ・ウォーターズはその中心にいて、シカゴのレコード会社チェスから次々に曲を出しました。変わったのは音量だけではありません。畑のため息だった音楽が、都会を生き抜く胸の張り方に変わりました。

この轟音を、大西洋の向こうでレコードに耳を押し当てて聴いていた少年たちがいます。

ロックの母——ローリング・ストーンズの名前はブルースの曲名だった

1960年代のイギリスで、シカゴ・ブルースは爆発します。

ロンドンの若者たちはマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフのレコードを擦り切れるまで聴き、コピーし、バンドを組みました。その一つが、マディの曲「ローリン・ストーン」からバンド名を取ります。ローリング・ストーンズです。

ロックの基礎工事は、ほぼブルースでできています。

チャック・ベリーのギターも、初期のロックンロールの多くの曲も、骨格はあの12小節です。エリック・クラプトンはロバート・ジョンソンの曲を繰り返し録音し、ストーンズは成功した後、憧れのマディ本人と共演しました。孫が祖父母に会いに行くような話です。

ブルースを知らなくても、ロックは聴けます。知ってから聴くと、聴こえ方が変わります。好きなロックの曲の下に、綿花畑と十字路とシカゴの酒場が透けて見えるからです。

よくある質問

Q. ブルースとジャズは何が違うのですか?
ブルースは「歌の型」、ジャズは「演奏のやり方」と考えると整理しやすいです。3行の詩と12小節がブルースの核で、ジャズはその型も材料にしながら、即興演奏を主役にして発展しました。生まれた場所も近く、兄弟のような関係です。

Q. 最初に聴くなら誰がいいですか?
録音の古さに抵抗がなければロバート・ジョンソンの全録音集。バンドの迫力から入るならマディ・ウォーターズ。歌とギターの聴きやすさならB.B.キング。この3人のどれかから入れば、まず外れません。

Q. 「ブルーノート」とはどの音のことですか?
ドレミの音階の第3音と第7音などを、半音に満たない幅で低くずらした音です。長調とも短調ともつかない独特の響きになり、ブルースらしさの正体とされています。

まとめ:駅のホームから世界へ

  • ブルースはミシシッピ・デルタの綿花畑の労働歌と教会の「呼びかけと応答」から生まれた
  • 3行の詩と12小節、そしてブルーノートという型が、誰にでも使える世界共通語になった
  • ロバート・ジョンソンは29曲の録音と「十字路の伝説」を残して27歳で死んだ
  • 大移動とともにブルースはシカゴへ渡り、電気を浴びてバンドの音楽になった
  • ローリング・ストーンズの名はマディ・ウォーターズの曲名から。ロックの骨格はブルースでできている

今夜やることは一つ。ロバート・ジョンソンの録音を、どれでもいいので1曲だけ再生してください。1903年の駅のホームでハンディが聞いた「聴いたこともない音楽」に、いちばん近い音がそこにあります。

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