ベニー・グッドマンとは?1938年、ジャズでカーネギー・ホールを満席にした「スウィングの王様」

「休憩は何分にしますか?」
1938年1月、ニューヨーク。演奏会の打ち合わせでそう聞かれた28歳のバンドリーダーは、少し考えてから答えたといいます。
「さあね。トスカニーニは何分取ってる?」
トスカニーニは、当時世界でいちばん有名なクラシックの指揮者です。答えた男の名前は、ベニー・グッドマン。会場は、クラシック音楽の殿堂カーネギー・ホール。ダンスホールで鳴っていたジャズが、この舞台の主役になろうとしていました。
貧しい移民の少年が「スウィングの王様」になるまで
グッドマンは1909年、シカゴに生まれました。両親は東ヨーロッパから渡ってきたユダヤ系の移民で、家は貧しく、きょうだいがたくさんいました。
10歳のころ、近所のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の少年楽団でクラリネットを手にします。上達は早く、10代のうちにプロのバンドで吹くようになりました。20代前半には、ニューヨークのラジオ局やレコード録音の現場で、腕の立つクラリネット奏者として引っぱりだこになります。
1934年、自分のビッグバンドを結成。ラジオの深夜番組でダンス音楽を演奏する仕事を得ました。このとき、バンドの「声」を作ったのが、黒人のバンドリーダーで編曲家のフレッチャー・ヘンダーソンです。グッドマンは彼の編曲を買い取り、自分のバンドで演奏しました。
トランペットの列とサックスの列が呼びかけ合い、答え合う。その上をソロが自由に跳ねる。ヘンダーソンの譜面は、のちに「スウィング」と呼ばれる音の設計図でした。
ただ、バンドはすぐには売れませんでした。
1935年8月、ロサンゼルスのダンスホールで若者が叫んだ
1935年の夏、グッドマン楽団は全米を回るツアーに出ます。行く先々で客の反応は鈍く、思うような手ごたえは得られなかったと伝えられます。
ツアーの終盤に待っていたのが、ロサンゼルスの大きなダンスホール、パロマー・ボールルームでした。半ばあきらめたグッドマンは、無難な曲をやめ、ヘンダーソンの編曲の中でいちばん激しい曲を演奏させます。
フロアの若者たちが踊るのをやめ、ステージの前に押し寄せて歓声を上げました。東部の深夜に放送されていたラジオ番組は、時差のおかげで西海岸ではちょうどいい時間に流れていて、若者たちはすでにこのバンドのファンになっていたのです。
この夜が、アメリカ中の若者がビッグバンドで踊った「スウィング時代」の始まりとされています。
白人と黒人が、同じステージに——トリオとカルテット

グッドマンが残したもう一つの仕事は、ビッグバンドの中の小さなグループです。
1935年、黒人ピアニストのテディ・ウィルソン、ドラムのジーン・クルーパと組んでトリオを作りました。翌年には、黒人のヴィブラフォン奏者ライオネル・ハンプトンが加わってカルテットになります。
当時のアメリカでは、白人と黒人のミュージシャンが同じステージに並ぶことは、ほとんどありませんでした。南部では法律で人種が分けられていた時代です。人気絶頂のバンドリーダーが、観客の前でそれをやった。
グッドマンがどこまで社会を変えるつもりだったのかは、語る人によって見方が違います。ただ、ステージの上の4人が、多くの観客にとって初めて見る光景だったことは確かです。
1938年1月16日、カーネギー・ホールの夜

カーネギー・ホールでの演奏会は、宣伝担当者の発案だったといわれます。グッドマン本人は、最初はあまり乗り気ではなかったようです。満席にならなかったらどうするのか。
切符は売り切れました。
プログラムは、ふだんのダンスホールのレパートリーに加えて、ジャズの20年の歩みを振り返るコーナーや、カウント・ベイシー楽団とデューク・エリントン楽団のメンバーを招いたジャム・セッションで組み立てられていました。白人のスター楽団のステージに、黒人の名手たちが次々と上がっていく。トリオとカルテットの演奏もありました。
客席の若者たちは、クラシックの演奏会のように静かに座っていたわけではありません。足を鳴らし、体を揺らしていました。
「シング・シング・シング」の12分

演奏会の終盤に置かれたのが、「シング・シング・シング」です。日本では映画『スウィングガールズ』で聴いた人も多いはずです。
ジーン・クルーパのタムタムが、地鳴りのように同じリズムを打ち続け、その上にトランペット、サックス、クラリネットが次々と乗ってくる。この夜の演奏は、12分ほどにまでふくらみました。
クルーパは、腕を大きく振り上げ、汗を飛ばしながら叩く派手なドラマーでした。それまでのダンスバンドでは、ドラムは後ろでリズムを刻む裏方です。彼は、ドラマーがバンドの花形になれることを示しました。この演奏会からまもなく、クルーパはグッドマンのもとを離れ、自分の名前を冠した楽団を作っています。
終わり近く、ピアノのジェス・ステイシーに、予定になかったソロが回ってきます。それまでの大音量が嘘のように、静かで、少し寂しげなピアノ。
私はこの録音を聴くたび、何度目でもこのピアノのところで手が止まります。騒ぎの真ん中に、ぽっかり空いた静けさ。12分の中でいちばん心に残るのは、主役のクラリネットでもドラムでもなく、この数十秒です。
押し入れから出てきた録音
この夜の演奏は録音されていました。ところがその録音盤は長いあいだしまい込まれ、ほとんど忘れられていました。
1950年、グッドマンの家族が押し入れの中から見つけます。レコード会社から2枚組のLPとして発売されると、大きな売れ行きを記録しました。12年前の一夜が、やっと世の中に届いたことになります。
その後のグッドマンは、クラシックにも足を広げます。作曲家バルトークに室内楽曲を依頼し、自分でもモーツァルトのクラリネット五重奏曲を録音しました。1962年には、冷戦のさなかのソ連をバンドで回っています。1986年、77歳で亡くなりました。
よくある質問
Q. 最初に聴くなら、どのアルバムがいいですか?
1938年のカーネギー・ホールのライブ盤がおすすめです。ビッグバンド、トリオ、カルテット、ジャム・セッションまで、グッドマンの音楽がひと晩にまとまっています。
Q. 「スウィング」とはどんな音楽ですか?
1930年代半ばから40年代半ばにかけて、アメリカで大流行したビッグバンドのダンス音楽です。弾むようなリズムに乗って、管楽器のセクションとソロが掛け合います。
まとめ
- ベニー・グッドマンは、1930年代の「スウィング時代」を代表するクラリネット奏者・バンドリーダー
- 黒人編曲家フレッチャー・ヘンダーソンの譜面が、バンドの音を作った
- テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトンと組み、白人と黒人が並ぶ小編成を人前で演奏した
- 1938年1月16日、ジャズの演奏会でカーネギー・ホールを満席にした
- その録音は1950年に見つかり、レコードとして世に出た
冒頭の答えに戻ります。「トスカニーニは何分取ってる?」。冗談に聞こえるあの一言は、ジャズにもクラシックと同じだけの敬意を、という宣言でもありました。その夜、満員の客席で何が鳴ったのか。録音を再生して、確かめてみてください。
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