バイユーのタペストリーはタペストリーではない——長さ約70メートルの刺繍で読む1066年

約70メートル。
通勤電車3両分を超える長さです。高さは50センチほど。この細長い布の上に、1066年にイングランドで起きた王位争いと戦争が、左から右へ、絵巻物のように縫い込まれています。
名前は『バイユーのタペストリー』。900年以上前に作られ、いまもフランス北西部ノルマンディーの町バイユーに伝わる布です。
ただし、この名前は正確ではありません。これはタペストリーではなく、刺繍だからです。
「タペストリー」と呼ばれる刺繍——織物と何が違うのか

タペストリーは、絵柄そのものを織り上げる織物です。縦糸に色のついた横糸を通していき、模様と布が同時にできあがります。
この布は違います。先に無地の亜麻布(リネン)があり、その上に、色のついた毛糸を針で刺して絵を描いている。上の写真を見ると、輪郭を細い線で縫い、その内側を毛糸の面でびっしり埋めているのがわかります。面を埋めるこの縫い方は、のちに「バイユー・ステッチ」と呼ばれるようになりました。
織物ではなく、縫いもの。つまり、刺繍です。
それでも「タペストリー」の名で呼ばれてきたのは、壁に掛ける大きな布を広くそう呼んでいたため、とされています。名前の誤りまで含めて、この布の歴史の一部になっています。
縫ったのは王妃ではない——イングランドの針仕事という説
フランスでは長いあいだ、この布は「マティルド王妃のタピスリー」と呼ばれてきました。征服王ウィリアムの妻マティルダが、侍女たちと縫った、という伝説です。
いまの研究では、この話は支持されていません。注文したのはウィリアムの異父弟で、バイユーの司教だったオドとする説が有力です。縫ったのはイングランドの職人たちで、戦いからまもない1070年代に作られた、と考えられています。征服された側の人々が、征服した側の物語を縫ったことになります。
物語の主役は2人。イングランドの貴族ハロルドと、ノルマンディー公ウィリアムです。研究者は全体を58の場面に分け、番号で呼んでいます。ここから先は、左端から順に歩いていきましょう。
ハロルド、海を渡って捕まる
最初の場面には、年老いたイングランド王エドワードがいます。王の前を辞したハロルドが、鷹を腕にのせ、犬を連れて海へ向かう。
ところが船は流され、ハロルドは上陸した土地の領主に捕まってしまいます。その彼を引き取り、客として迎えたのがウィリアムでした。2人は、最初は敵ではありません。
モン・サン・ミシェルの流砂から兵を担ぎ出す
ウィリアムの遠征に、ハロルドも加わります。
途中で一行は、海に浮かぶ修道院モン・サン・ミシェルのそばを通ります。干潟の流砂に兵士が足を取られ、ハロルドが一人を背負い、もう一人を手で引っぱり出す。布の上でも、ハロルドの見せ場として大きく縫われています。
この勇敢な男が、やがて「誓いを破った者」として描かれていくことになります。
聖遺物に手を置いた誓い
ハロルドは、2つの聖遺物箱に両手を置いて、ウィリアムに何かを誓います。何を誓ったのかは、布には書かれていません。
ノルマン側の記録では、エドワード王の死後、王位をウィリアムに譲るという誓いだったとされます。この誓いが、物語全体の留め金です。ここを覚えておくと、後半の戦争が「約束を破った者への罰」として組み立てられていることがわかります。
空に「髪の長い星」——ハレー彗星の場面
イングランドに戻ったハロルドを待っていたのは、エドワード王の死でした。そしてハロルド自身が王位につきます。
冒頭の写真が、その直後の場面です。左側で、人々が空を指さしている。その上には、炎のような尾を引く星。ラテン語の文字は「この人々は星に驚いている」。1066年の春に現れたハレー彗星です。右では、王冠をかぶったハロルドが、家来の知らせに身を傾けています。
画面の下の縁を見てください。輪郭だけの、幽霊のような船が縫われています。不吉な星と、まだ来ていない艦隊。映画の予告編のような一場面です。
船を造り、海を渡り、上陸して食事をする

知らせを受けたウィリアムは、木を切り倒して船を造らせます。斧をふるう職人、運び込まれる武器と酒の樽。
船には人と一緒に馬が乗り、帆をふくらませて海峡を渡っていく。上陸した兵士たちは、さっそく火をおこし、鍋で料理を作り、テーブルを囲んで食事をします。
戦争の記録に、台所の場面がこれほど細かく縫われている。私はこの布の中で、この食事の場面がいちばん好きです。串に刺した肉、皿を運ぶ給仕、食卓の真ん中で食事に祝福を与える司教オド。布を注文したとされる本人が、ちゃっかり画面に登場しているわけです。900年前の兵士たちが、戦いの前に腹ごしらえをしている。
「ハロルド王、ここに殺される」——矢は目に刺さったのか

1066年10月、ヘイスティングズの戦い。騎馬で突撃するノルマンの兵と、盾を並べて守るイングランドの兵。下の縁には、倒れた兵士や、鎧をはがされる死体が並びます。
いちばん有名なのが、ハロルドの最期です。文字の下に、目のあたりに矢を受けた男と、剣で斬られて倒れる男がいる。どちらがハロルドなのかは、いまも決着がついていません。矢の部分は、のちの修復で手が加えられたという指摘もあります。
最後の場面が、ない
布は、逃げていくイングランド兵の場面で途切れています。
本来はこの先に、ウィリアムがイングランド王として戴冠する場面があったのではないか、と考えられています。けれど最後の部分は失われ、何が縫われていたのかは誰にもわかりません。約70メートルの物語は、結末を欠いたまま残りました。
ナポレオンが持ち出した約70メートル
この布は、政治にも使われてきました。
1803年、イギリスへの上陸作戦を計画していたナポレオンは、この布をパリへ運ばせて公開しました。海を渡ってイングランドを征服した「前例」を、人々に見せるためです。布はその後、バイユーに戻されています。
よくある質問
Q. 実物はどこで見られますか?
ノルマンディー地方のバイユーにある専用の美術館が所蔵しています。改修や貸し出しの予定が発表されることがあるので、訪れる前に公式サイトで最新の情報を確認してください。
Q. 文字は何語で書かれていますか?
ラテン語です。人物の名前や「ここで〜する」という短い説明が、場面の上に縫い込まれています。
Q. 全部で何人が描かれていますか?
数え方によって違いますが、600人を超える人物と、200頭ほどの馬が登場するとされます。
まとめ
- 『バイユーのタペストリー』は織物ではなく、亜麻布に毛糸で縫った刺繍
- 長さ約70メートル、高さ約50センチ。1070年代にイングランドで作られたとする説が有力
- ハロルドの渡航、誓い、ハレー彗星、ウィリアムの上陸、ヘイスティングズの戦いが左から順に並ぶ
- ハロルドの死の場面には謎が残り、最後の場面は失われている
この記事は、見返しながら使ってください。画集やオンラインで公開されている全図を開き、見出しを地図がわりに、左端から一場面ずつ歩いてみる。上下の縁の動物や死体まで追っていくと、約70メートルは思ったより短く感じます。
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