マイルス・デイヴィス入門|「吹かない音」でジャズを4回作り変えた男と、最初に聴くべきアルバム

トランペットが一音鳴って、止まります。
一拍、二拍。次の音が来ない。客席は待たされる。待たされた分だけ、やっと鳴った次の一音が重い。
マイルス・デイヴィスを初めて聴く人が戸惑うのは、ここです。速くない。高くない。音数が少ない。
それなのに、ジャズの歴史はこの人を軸に章立てされています。1940年代のビバップ、50年代のクール、50年代末のモード、60年代末のエレクトリック。四つの章の主役が、全部同じ人。理由は腕前ではありません。自分で作ったスタイルを、自分の手で何度も壊したからです。
最初に壊れたのは、スタイルではなく、二十歳前後の自信でした。
「速さで勝てない」——歯医者の息子が52丁目で味わった挫折
出発点は、貧困ではありません。
マイルスは1926年、イリノイ州の生まれ。父は歯科医で、当時のアメリカの黒人としては裕福な家庭でした。少年時代から不自由なくトランペットを与えられています。
18歳で名門ジュリアード音楽院に入るためニューヨークへ出ますが、目的は学校ではありませんでした。ジャズクラブが軒を並べる52丁目に通いつめ、憧れのサックス奏者チャーリー・パーカーを探し回る。やがて本人と出会い、そのバンドに加わりました。学校はほどなく辞めています。
パーカーがやっていたのはビバップ。猛烈な速さでアドリブを応酬する、当時最先端のスタイルです。
ここでマイルスは壁にぶつかります。速さでは先輩たちに敵わない。
この挫折が、のちの彼のすべてを決めました。
『クールの誕生』は売れなかった——農場の部屋から1955年ニューポートへ
速くないなら、遅い音楽を作ればいい。
1940年代の終わり、マイルスは9人編成の変わったバンドを組みます。ホルンやチューバまで入った、ジャズらしからぬ柔らかい響き。熱く速いビバップの真逆をいく、抑えた音楽でした。
この録音は当時ほとんど売れていません。のちに『Birth of the Cool(クールの誕生)』の題でまとめられ、クール・ジャズの出発点になります。20代前半で、彼はすでに時代の空気を一つ作っていました。
ところが、そこから落ちます。
麻薬に溺れて数年間まともに活動できなくなり、仕事は減り、評判も落ちた。彼は実家の農場に戻り、部屋に閉じこもって薬を断ちました。
復帰の舞台は1955年のニューポート・ジャズ・フェスティバル。この演奏をきっかけに大手レコード会社と契約。サックスのジョン・コルトレーンを含む自分のバンドを組み、一気に第一線へ戻ります。落ちるところまで落ちてから、自力で這い上がった。
そして4年後、ジャズでいちばん聴かれることになるアルバムを録音します。
『カインド・オブ・ブルー』は、ルールを減らして生まれた
1959年の『Kind of Blue』。ジャズでもっとも売れ、もっとも聴かれ続けている一枚です。
このアルバムが画期的だったのは、ルールを増やしたのではなく減らした点にあります。それまでのジャズは、複雑なコード進行の上をアドリブが走り抜ける音楽でした。曲が速くなるほど、演奏者は次々に変わる和音を追いかけることに追われます。
マイルスはそれをやめました。
コードの代わりに、ひとつの音階(モード)を長く置きっぱなしにする。追いかけるものが消えた演奏者は、旋律そのものを考えるしかなくなる。結果、音数は減り、間が生まれ、静けさが音楽の一部になりました。これがモード・ジャズです。
参加したのはコルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ピアノのビル・エヴァンスら。リハーサルらしいリハーサルもなく、スタジオで簡単な指示だけを渡されて演奏したと伝えられています。
私はこのアルバムを、昼より夜に聴くほうが好きです。音が鳴っていない時間が、夜のほうがよく聞こえるから。
その「鳴っていない時間」こそ、マイルスの楽器でした。
「吹かなかった音」がマイルスの楽器だった

マイルスの演奏を語るとき、必ず出てくるのが「音を出さない」という話です。
フレーズは短く、間が長い。ハーマン・ミュートという弱音器をつけた、細く乾いた音色も有名です。大事なのは弾いた音ではなく、弾かなかった音のほうだ——彼の言葉として広く語り継がれている考え方です。
ソロを聴いてみてください。音を置いたあとの空白がやたらと長い。その間、聴き手は次の音を待たされる。待たされた分だけ、次の一音が重くなる。沈黙を楽器として使っているわけです。
若い頃に速さで勝てなかった人が、たどり着いた答えがこれでした。
弱点を個性に変えたのではありません。弱点を出発点にして、音楽の考え方そのものを変えてしまった。ここがマイルスの怖いところです。
ちなみに、しゃがれてささやくような彼の声は、若い頃の喉の手術のあと無理に声を出したのが原因と伝えられています。
その静かな人が、10年後にいちばん騒がしい選択をします。
『ビッチェズ・ブリュー』は裏切りか——電気に走った理由と、5年の沈黙
1960年代の終わり、ロックとソウルが世界を席巻します。ジャズの客席は空きはじめていました。

ここでマイルスは、ジャズ・ファンがもっとも嫌がる選択をします。電気楽器の導入です。
エレクトリック・ピアノ、エレキギター、ロックのようなビート。1970年の『Bitches Brew(ビッチェズ・ブリュー)』では、長い演奏を細かく切り貼りする編集まで施されました。「ジャズを捨てた」と批判が殺到します。一方で、ロックを聴いていた若者たちが会場に流れ込んできた。のちにフュージョンと呼ばれる潮流は、ここから始まります。
静けさで革命を起こした人が、こんどは音量で革命を起こした。矛盾ではありません。どちらも「いまあるジャズを壊す」という一点でつながっています。
激務と体調の悪化がたたり、1970年代半ばに彼は表舞台から姿を消しました。楽器に触れない年月が5年ほど続きます。
復帰は1980年代。以降はシンセサイザーを使ったポップな音作りに向かいます。シンディ・ローパーのヒット曲まで取り上げ、若い世代の音楽に手を伸ばし続けました。1991年、65歳で亡くなっています。
では、この長い経歴のどこから入ればいいのか。
マイルス・デイヴィスのアルバムは、どれから聴く?
答えは一枚に絞れます。『Kind of Blue』です。
ジャズを聴いたことがない人でも入れる静けさがあります。気に入ったら、1950年代の五重奏団の録音(『Round About Midnight』など)へ。歌心のある演奏で、若い頃のコルトレーンも味わえます。
オーケストラを従えた録音が好みなら、編曲家ギル・エヴァンスと組んだ『Sketches of Spain』。スペインの旋律を素材にした、映画音楽のような一枚です。
最後に『Bitches Brew』。正直、最初に聴くと戸惑います。ただ『Kind of Blue』の静けさを知ってから聴くと、同じ人物がここまで来たという事実が効いてきます。
よくある質問
Q. トランペットの上手い下手は、どこで判断すればいい?
音の速さや高さで判断しないのがコツです。ひとつの音の伸び方、切り方、次の音までの間。そこに耳を向けると、マイルスが特別扱いされる理由が見えてきます。
Q. 『Bitches Brew』が難しくて挫折しました。
順番の問題です。1950年代の作品を何枚か聴いてから戻ると印象が変わります。それでも合わなければ、無理に付き合う必要はありません。
Q. どんな人柄だったの?
気難しく、演奏中に客席へ背を向けることもあったと伝えられています。一方でウェイン・ショーターやハービー・ハンコックなど、若い才能を次々に世に出した人でもありました。バンドが彼の学校になっていたわけです。
まとめ:一音鳴って、止まる
- マイルスはビバップ、クール、モード、エレクトリックと、自分のスタイルを何度も壊した
- 出発点は「速さで勝てない」という20歳前後の挫折
- 『Kind of Blue』はコードを減らして「間」を作った、静かな革命
- 入門は『Kind of Blue』→50年代の五重奏団→『Bitches Brew』の順で
今夜、『Kind of Blue』の1曲目を、音量を少し下げて再生してみてください。
一音鳴って、止まる。次の音が来るまでの長さに気づいたら、あなたはもうマイルスの入り口を通過しています。
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