雪舟とは何をした人?国宝6件の水墨画を「一本の線」から読む——『秋冬山水図』『天橋立図』の見方入門

雪舟『秋冬山水図』左が冬景、右が秋景。東京国立博物館蔵
雪舟『秋冬山水図』左が冬景、右が秋景。東京国立博物館蔵

6件。

一人の画家の作品が国宝に指定された数として、これが日本の最多です。その画家の名前は、教科書で一度は見ているはず。雪舟。

ただ、名前の先を聞かれると、たいていの人が止まります。何を描いた人か。なぜそんなに偉いのか。

答えは、一本の線にあります。東京国立博物館にある『秋冬山水図』の冬景。画面のほぼ真ん中を、上から下へ、定規で引いたような線が走っている。崖なのか、遠い岩山なのか、500年以上たった今も言い切れない線です。

雪舟という人を知るには、この線から始めるのがいちばん早い。

『秋冬山水図』の真ん中を走る、説明のつかない線

普通の画家なら、この線は消します。

遠近のつじつまで言えば、明らかに不自然だからです。手前の岩から、空の上まで、太さをほとんど変えずに一本が突き抜けている。地面と空を分ける理屈が、この線にはありません。

雪舟は、それを堂々と残しました。

しかもこの線があることで、画面全体がピンと張りつめます。凍りついた空気の硬さが、一本の墨から伝わってくる。理屈で正しい風景ではなく、寒さの感覚そのものを描いた、ということです。

私は、この線を雪舟の性格そのものだと思っています。正しさより、伝わるかどうか。手本より、自分の目。この記事で見ていく4点の絵は、全部この一本と同じ癖を持っています。

では、この線を平気で残す画家は、どんな少年だったのか。

涙で描いたネズミ——雪舟が柱に縛られた日の伝説

雪舟は1420年、備中(今の岡山県)に生まれたと伝えられます。幼くして近くの宝福寺という禅寺に預けられ、修行を始めました。

ところがこの少年、経を読むより絵を描くほうが好きでした。怒った和尚は、少年を本堂の柱に縛りつけます。

しばらくして和尚が戻ると、少年の足元にネズミが一匹うずくまっていました。縄をかじられては大事と、慌てて追い払おうとする。ところがネズミは動かない。

床に描かれた絵でした。

少年は流れ落ちる涙を足の指につけ、墨がわりにして描いていた。和尚は才能に打たれ、以後は絵を許した——「涙のネズミ」の伝説です。

史実ではなく、後世に語り継がれた話と考えられています。それでも何百年も生き残ってきたのは、雪舟の絵に「本物かと思った」と言わせる力があるからです。

ただ、本当に雪舟を作ったのは伝説ではありません。40代で乗った一隻の船でした。

40代で海を渡った禅僧は、中国で「師」に出会えなかった

青年期には京都に上り、禅と文化の中心だった相国寺で、水墨画の第一人者・周文に学んだとされています。

京都で出世する道は選びませんでした。40代で、山口へ移ります。当時の山口は、大内氏という有力大名のもと大陸貿易で栄えた国際都市でした。

そして1467年、遣明船に乗って中国へ渡ります。40代後半。船が沈む可能性を本気で考えなければならない時代に、絵を学ぶために海を越えた人です。

明の都・北京では腕を認められ、役所の壁画を描いたと伝えられています。ところが本人は後年、中国で師と呼べるほどの画家には出会えなかった、という趣旨の言葉を残しました。

では、何を持ち帰ったのか。

技術ではなく、風景でした。日本にはない切り立った岩山、霧に沈む谷、どこまでも続く大河。現実の山河を自分の目で見た経験が、帰国後の雪舟を決定的に変えます。

その変化は、やがて「描かない」という方向へ振れていきます。

76歳と77歳——正反対の2枚、『破墨山水図』と『慧可断臂図』

雪舟『破墨山水図』東京国立博物館蔵
雪舟『破墨山水図』東京国立博物館蔵

墨をぶちまけたように見えます。

『破墨山水図』(はぼくさんすいず)という掛軸です。薄い墨で山の影を置き、その上に濃い墨を勢いよく叩きつける。岩なのか木なのか、近づいてもわかりません。下のほうに小さく、屋根と船らしきものがある。それだけです。

雪舟76歳の作で、旅立つ弟子に贈った一枚と伝えられます。描き込むほど上手く見える、という常識の逆を行った絵です。少ない筆で、霧の湿り気と山の重さを同時に出している。

翌年、雪舟はまったく違うものを描きます。人の顔、それも腕を切り落とした男です。

雪舟『慧可断臂図』愛知・斉年寺蔵
雪舟『慧可断臂図』愛知・斉年寺蔵

『慧可断臂図』(えかだんぴず)。禅の始祖とされる達磨(だるま)が、洞窟で壁に向かって座っている。その背後に立つ弟子の慧可が、覚悟を示すために切り落とした自分の腕を差し出している場面です。

達磨の衣は、太い線のたった数本。目だけが、横からぎろりとこちらを見ている。慧可の顔と切られた腕だけが、細い線で丁寧に描かれています。画面の左端には、77歳で描いたと記した雪舟自身の文字が残っています。

前年の山は、ほとんど形がない。翌年の達磨は、線が数本しかない。どちらも「描かないことで描く」絵です。

そして80を過ぎて、雪舟はさらに遠くへ歩きます。文字どおり、歩いて。

『天橋立図』——80代の老人が歩いて測った、どこにもない視点

雪舟『天橋立図』京都国立博物館蔵
雪舟『天橋立図』京都国立博物館蔵

京都府北部の景勝地・天橋立を、空から見下ろすように描いた大作です。雪舟80代の作と考えられています。松の並ぶ砂州、点在する寺社、背後の山並み。寺の名前まで小さな文字で書き込まれています。

この角度からこの全景を見渡せる場所は、現実には存在しません。雪舟は現地をあちこち歩き、いくつもの視点から得た情報を頭の中で組み立て、一枚に再構成した。紙を何枚も貼り継いだ、下絵の段階のまま残ったものと見られています。

80歳を過ぎた老人が、丹後の海辺を歩き回って地形を確かめている。

その姿を想像してから、もう一度『秋冬山水図』の線を思い出してください。手本ではなく自分の目を信じる、という癖は、少年のころから80代まで一度も変わっていません。

ここまで4点を見てきて、共通するものがもう一つあります。全部、白い部分が仕事をしている。

水墨画の見方は3つだけ——濃淡・余白・筆のスピード

雪舟をきっかけに水墨画を見るなら、覚えることは三つで足ります。

一番濃い場所と一番薄い場所を探す

水墨画に色はありませんが、墨の濃さには無限の段階があります。手前のものは濃く鋭く、遠いものは薄くぼんやりと。この差だけで、絵の中に何キロもの奥行きが生まれます。まず両方を探してみてください。それが手前と奥です。

余白は「描き忘れ」ではない

何も描かれていない白い部分。あれは空白ではなく、霧であり、水面であり、空気です。『破墨山水図』の白は湿った霧、『天橋立図』の白は海。山と山のあいだの白い帯を「霧が流れている」と読めた瞬間、画面は一気に立体的になります。

筆のスピードを追いかける

線を目で追うと、筆が速く走った箇所と、ゆっくり押しつけた箇所がわかります。かすれた線は速く、にじんだ線は遅い。雪舟はこの速度差が特に激しく、岩肌には荒々しい筆、遠い山には静かな筆を使っています。

描いている最中の手の動きを再生するように見る。これが水墨画のいちばん楽しい見方です。

よくある質問

Q. 雪舟の作品はどこで見られますか?
『秋冬山水図』と『破墨山水図』は東京国立博物館、『天橋立図』は京都国立博物館が所蔵しています。紙の作品は保存のため常時展示ではないので、訪問前に各館の展示予定を確認してください。

Q. 雪舟と「水墨画」「日本画」はどう違うのですか?
水墨画は墨の濃淡を主体にした絵画の様式で、中国から伝わりました。日本画は明治以降に西洋画と区別するために生まれた呼び方で、水墨画よりずっと広い範囲を指します。雪舟は、室町時代の水墨画の画家です。

Q. 「雪舟」は本名ですか?
号(画家としての名前)です。僧としての名は等楊と伝えられ、あわせて雪舟等楊と呼ばれます。

まとめ:冬景の前に立ったら、まず線を探す

  • 涙でネズミを描いたと伝わる少年が、禅僧として絵を学び、40代で明へ渡った
  • 中国で得たのは技法より「本物の風景を見た経験」で、帰国後の作品を変えた
  • 『破墨山水図』の霧、『慧可断臂図』の数本の線、『天橋立図』の空からの視点——全部、常識より自分の目を優先している
  • 水墨画は「濃淡・余白・筆のスピード」の三つで読める

美術館で『秋冬山水図』の冬景に出会ったら、まずあの一本の線を探してください。

崖でも山でもない、説明のつかない線。それを消さなかった人が、国宝を6件残しました。線が見つかった瞬間、30秒で通り過ぎるはずだった一枚が、止まって見えるようになります。

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