マグリット入門。「これはパイプではない」の意味と代表作3点の読み解き方

マグリット入門。「これはパイプではない」の意味と代表作3点の読み解き方

パイプの絵の下に、「これはパイプではない」と書いてある。山高帽をかぶった男の顔が、宙に浮いた青いリンゴで隠されている。家は真夜中なのに、空だけが昼のまま。ルネ・マグリットの絵は、どれも一目で覚えてしまう強さがあります。

不思議なのは、この絵を描いた本人です。同じシュルレアリスムの画家でも、サルバドール・ダリは奇抜な口ひげと突飛な言動で自分自身を作品にしました。マグリットは正反対でした。ベルギーの住宅街で、背広にネクタイ、山高帽という勤め人そのものの格好で暮らし、決まった時間に犬の散歩に出て、夜はカフェで友人とチェスを指す。アトリエすら持たず、自宅の食堂の隅にイーゼルを立てて描いていたといわれています。

生活はどこまでも平凡に、絵の中でだけ世界をひっくり返す。この記事では、マグリットの代表作3点を手がかりに、その「静かな反乱」の中身を読み解いていきます。

広告デザイナーだった画家

ルネ・マグリットは1898年、ベルギーに生まれました。画家として食べていけるようになるまでの期間が長く、壁紙工場の図案係や広告のポスター描きで生計を立てていた時期があります。

この経歴は、作品を見るうえで無視できません。マグリットの絵には、遠くからでも一瞬で伝わる図像の強さがあります。パイプ、リンゴ、山高帽、雲、カーテン。使われるモチーフは驚くほど少なく、しかもどれもありふれた日常品です。奇怪な生き物も、溶ける金属も出てきません。ごく普通のものを、ありえない場所・大きさ・組み合わせに置き換える。それだけで見る人の足を止める仕掛けを作ったのが、この画家の発明でした。

このやり方は「デペイズマン」と呼ばれます。フランス語で「異なる環境に移すこと」を意味する言葉です。

『イメージの裏切り』——「これはパイプではない」の意味

1929年に描かれた『イメージの裏切り』は、丁寧に写実的に描かれたパイプの下に、手書き文字で「Ceci n’est pas une pipe(これはパイプではない)」と記された作品です。

初めて見た人はたいてい混乱します。どう見てもパイプなのに、パイプではないと言い張っているのですから。

種明かしはごく単純です。画面にあるのはパイプの絵であって、パイプそのものではない。煙草を詰めることも、火をつけることもできません。マグリットはそう説明したと伝えられています。当たり前すぎる話なのですが、言われるまで誰も気づきません。私たちは絵や写真を見たとき、それを「そのもの」として無意識に受け取ってしまう。その反射をたった一行の文字で断ち切ったわけです。

現代の私たちは、画面越しの映像や写真を毎日大量に浴びています。100年近く前に描かれたこの絵が今も引用され続けるのは、そこで問われている「見えているものは本物か」という疑いが、少しも古びていないからです。哲学者ミシェル・フーコーがこの作品を題材に一冊の本を書いたことでも知られています。

『人の子』——顔を隠すリンゴ

赤いネクタイに黒いコートの男が、海を背にして立っている。その顔は、宙に浮かんだ緑のリンゴにさえぎられて見えません。1964年の『人の子』は、マグリットの絵で最も有名な一枚でしょう。

マグリットはこの作品について、見えているものが別の何かを隠している状態そのものへの関心を語ったといわれています。人はつねに隠れているものを見たいと思う。しかしリンゴをどけたところで、その下にあるのはまた別の顔にすぎません。

よく見ると、男の左腕は肘のところで不自然に反対向きに曲がっています。気づかないまま通り過ぎてもいいし、気づけば急に落ち着かなくなる。マグリットの絵にはこの手の小さな仕掛けがしばしば紛れ込んでいます。

なお、この男は特定の誰かではなく、マグリット自身の分身とも受け取られてきました。山高帽の男は『ゴルコンダ』など複数の作品に繰り返し登場する、彼のトレードマークです。

『光の帝国』——昼と夜が同時にある

『光の帝国』は、一枚の絵の中で昼と夜を同居させた作品です。画面の上半分は青空に白い雲が浮かぶ真昼。下半分は、街灯がぽつんと灯る夜の家並みです。

奇妙な生き物も、歪んだ形も、どこにもありません。空も家も、それぞれ単体で見れば完全に自然です。ただ二つが同じ画面にあるというだけで、見る人はうまく説明できない不安を覚えます。ダリの絵が驚かせる絵だとすれば、こちらはじわじわと足元を崩してくる絵です。

マグリットはこの主題を気に入り、生涯にわたって同じ構図のバリエーションを何点も描きました。世界各地の美術館が所蔵しており、細部の異なる複数のバージョンが存在します。

タイトルも作品のうち

マグリットの絵を見るとき、タイトルは必ず確認してください。『イメージの裏切り』『人の子』『光の帝国』——どれも絵の内容を説明していません。むしろ絵とタイトルがずれることで、もう一段の謎が生まれています。

マグリットはタイトルを、絵の解説ではなく作品の一部として扱いました。友人たちと相談して決めることもあったといわれています。「この絵は何を意味するのか」と正解を探すより、絵とタイトルの間に生まれるすき間を面白がるほうが、この画家の作品には合っています。

よくある質問

Q. マグリットとダリはどう違うのですか?
ダリは溶ける時計のように現実にありえない形そのものを描き、生活も言動も派手でした。マグリットは日常的なものをそのままの姿で描き、置き場所や組み合わせだけをずらします。作風も生き方も対照的です。

Q. マグリットの作品はどこで見られますか?
ベルギー・ブリュッセルの王立美術館内にマグリット美術館があり、まとまった数の作品を所蔵しています。海外の主要美術館にも代表作が分散しており、日本でも回顧展が開かれることがあります。

Q. 音楽やデザインへの影響はありますか?
ビートルズがアップル・レコードを設立した際のリンゴのマークは、マグリットの作品から着想を得たといわれています。広告やアルバムジャケットへの引用は現在も絶えません。

まとめ

  • マグリットは背広と山高帽で暮らす市民として生活し、絵の中だけで常識を裏返した画家
  • 『イメージの裏切り』は「絵はそのものではない」という当たり前を突きつける作品
  • 『人の子』は「隠すことで見たくさせる」仕掛けと、腕の異変などの小さな違和感が同居する
  • 『光の帝国』は昼と夜という自然なもの同士の組み合わせだけで不安を生む
  • タイトルは絵の説明ではなく作品の一部。ずれを味わうのが正しい見方に近い

次に画集や展覧会でマグリットを見かけたら、まず絵から一歩下がって、キャプションのタイトルを先に読んでみてください。絵の見え方が変わります。

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