ルドンはなぜ50歳まで「黒」しか見せなかったのか——目玉の気球から、色の花束へ

ルドンといえば、花の絵。
美術館のショップで、ポストカードやカレンダーになっているのを見たことがあるかもしれません。深い緑の花瓶に、赤や紫のアネモネ、白い小花。輪郭がふわりとほどけて、色だけが空中に浮かんでいるような、あの絵です。
ところが、同じ画家の若い頃の作品を見ると、たいていの人は少しぎょっとします。
空に浮かぶ巨大な目玉の気球。ゆがんだ笑みを浮かべる、毛むくじゃらの蜘蛛。どれも木炭と版画の黒一色で、色はどこにもありません。オディロン・ルドンは、人前に出す作品をほぼ黒だけで作り続け、50歳を過ぎてから、まるで別人のように色を使い始めた画家でした。
私は長いあいだ、この転身を「暗い若者が、年をとって明るくなった話」だと思っていました。けれど、黒の時代の版画をまとめて見たとき、その読み方は間違っていたと気づきました。
ボルドーの葡萄畑で、顕微鏡をのぞいた少年

ルドンは1840年、フランス南西部のボルドーに生まれ、生まれてまもなく、ワインの産地メドックにある一家の古い屋敷へ預けられました。体が弱かったこともあり、両親や兄弟と離れて、年老いた伯父のもとで、広い葡萄畑と荒れた土地に囲まれて少年時代を過ごします。のちに本人は、その頃の自分を、ひとりで空の雲の形をいつまでも眺めている子どもだった、と振り返っています。
若いルドンの目を決めたのは、二人の人物でした。
一人は、ボルドーの植物学者アルマン・クラヴォー。彼はルドンに顕微鏡をのぞかせ、肉眼では見えない微生物や、植物の細胞の世界を見せました。ダーウィンの進化論が話題になっていた時代です。生き物は姿を変えていく、植物と動物の境目はあいまいだ、という考えに、ルドンは強くひかれます。
もう一人は、版画家ロドルフ・ブレスダン。白と黒だけの細密な銅版画で、幻想的な森や旅人を描いた人物で、ルドンは彼から版画の技術と、見えないものを描くという姿勢を受け継ぎました。
パリの美術学校では、教師と合わずに長続きしませんでした。目に見えるものを正確に写す、という当時の正統の教育が、彼の関心とはまるで噛み合わなかったからです。
30歳のときには普仏戦争に兵士として加わり、戦争が終わるとパリに住みついて、本格的に制作を始めます。とはいえ、画家として名前が出るのはまだ先のこと。30代のルドンは、売れる当てのない木炭画を、ほとんど誰にも見せずに描きためていました。のちに「黒」と呼ばれることになる作品群です。
『笑う蜘蛛』を見てください。蜘蛛の体は顕微鏡の中の生き物のように毛でおおわれ、その真ん中に、人間のような歯をむいた笑顔がある。気味が悪いのに、どこか人なつこい。生き物の境目が溶けていく感覚は、少年が顕微鏡の中で見た世界と地続きです。
「黒は、もっとも本質的な色だ」——木炭と石版画の30年
ルドンが最初の石版画集『夢の中で』を出したのは1879年、39歳のときでした。続いて1882年には、アメリカの怪奇小説家エドガー・アラン・ポーに捧げた版画集『エドガー・ポーに』を発表します。冒頭に掲げた目玉の気球は、その1枚目です。
荒れた水辺の上空に、まつげの生えた巨大な眼球が気球となって浮かび、その下の吊り台には、人の頭のようなものが載っている。眼は上を、題名のとおり「無限」のほうを見上げています。何の説明もありません。物語の挿絵でもない。それなのに、一度見ると忘れられない。
ルドン自身は、日記の中で、黒こそもっとも本質的な色だ、という意味の言葉を書き残しています。
ここで大事なのは、ルドンにとっての黒が、「色がない状態」ではなかったことです。木炭をこすり、指でぼかし、紙の白を少しだけ残すことで、黒は、光の届かない深さにも、夜の空気にも、夢の中のぼんやりした明るさにもなる。現実の色を塗ってしまえば、それはどこかで見た現実の物になってしまう。黒のままだからこそ、見る人はその奥に、自分の頭の中の像を勝手に重ねてしまう。黒は、想像力のために空けておいた余白でした。
名前が広く知られるきっかけは、1884年に出た作家ユイスマンスの小説『さかしま』です。世間に背を向けた主人公が、自分の屋敷にルドンの絵を飾って眺める場面があり、この小説を読んだ若い詩人や芸術家たちのあいだで、ルドンは「象徴主義」の画家として特別な存在になっていきます。
50歳の転身——黒の奥から、色が出てきた

1890年ごろから、ルドンの作品に色が増え始めます。パステル、油彩。1900年を過ぎるころには、黒の作品はほとんど描かれなくなりました。
なぜ変わったのか。理由として必ず挙げられるのが、家族の出来事です。
ルドンの最初の息子は、生まれて半年ほどで亡くなっています。そして1889年、49歳のときに次男アリが生まれ、無事に育っていきました。その頃から、画面に色が入り始める。本人がそう説明したわけではありませんが、この時期の重なりを、多くの研究者が指摘しています。
ただ、私が黒の時代の版画と、晩年の色の絵を並べて見たときに感じたのは、断絶ではなく、続きでした。
『キュクロプス』を見てください。ギリシャ神話の一つ目の巨人が、岩山の向こうから、ふくらんだ一つの目でこちらをのぞいています。巨人が恋い焦がれているのは、手前の花の斜面に横たわって眠る、海のニンフのガラテイア。巨大な一つ目は、あの気球の眼球と同じ目です。けれど今度は、紫や緑や赤の、ほとんど溶け合うような色の中にいる。
晩年の花の絵も、同じです。花瓶は机の上に置かれていますが、机の線はほとんど描かれず、背景は何色ともいえない光の霧になっている。花は現実の花の形をしているのに、どこにも根を下ろしていない。
黒の時代に空けておいた余白に、色が流れ込んできた。私には、そう見えます。

よくある質問
Q. 日本でルドンの作品を見られる美術館はありますか?
岐阜県美術館は、黒の時代の版画から晩年の色彩画まで、ルドンの作品をまとまって所蔵していることで知られています。展示内容は時期によって変わるので、行く前に公式サイトで確認してください。
Q. ルドンは印象派の画家ですか?
同じ世代で、最後の印象派展にも参加していますが、目に映る光を描こうとした印象派とは逆に、目に見えない夢や想像の世界を描きました。ふつうは象徴主義の画家に分類されます。
まとめ
- オディロン・ルドン(1840〜1916年)は、50歳ごろまで木炭と石版画の黒だけで、夢や幻想の世界を描いた
- 顕微鏡の世界を教えた植物学者と、版画家ブレスダンとの出会いが、生き物の境目が溶けていくような画風を育てた
- 本人にとって黒は「もっとも本質的な色」。見る人の想像力のための余白だった
- 次男の誕生と前後して色が入り始め、晩年は『キュクロプス』や花の絵のような色彩の世界へ移った
空に浮かんで無限を見上げていた目玉の気球は、30年後、花の斜面を見つめる巨人の目になりました。ルドンの花の絵の前に立ったら、あの黒い気球を思い出してください。色の向こうに、まだ黒の時代の夢が透けて見えます。
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