背後から巨人の足音が聞こえる——ブラームスが『交響曲第1番』を書き上げるまでの21年

21年。
ヨハネス・ブラームスが、最初の交響曲を思い立ってから完成させるまでにかかった年月です。書き上げたとき、彼は43歳になっていました。
才能がなかったわけではありません。20歳で「時代が待っていた天才」と紹介され、ピアノ曲や歌曲、合唱曲で名を上げていた作曲家です。それなのに、交響曲だけが書けなかった。
理由を、本人がはっきり口にしています。ベートーヴェンという巨人が、背後から歩いてくる足音が聞こえる。その足音を聞きながら交響曲を書く気になど、とてもなれない、と。
21年かけて、その足音とどう向き合ったのか。答えは、交響曲第1番の4つの楽章の中に、ほとんどそのまま残っています。
20歳のブラームスを「新しい道」と呼んだシューマン

ブラームスは1833年、北ドイツの港町ハンブルクに生まれました。父は町の楽師で、暮らしは楽ではありません。少年時代には、港の酒場でピアノを弾いて家計を助けたと伝えられます。
転機は1853年、20歳の秋。デュッセルドルフに住む作曲家ロベルト・シューマンと、その妻でピアニストのクララを訪ねました。自作のピアノ曲を弾いて聴かせると、シューマンは感激し、自分が創刊した音楽雑誌に「新しい道」という文章を書きます。
この若者こそ、時代が待っていた人だ。そういう趣旨の、ほとんど予言のような紹介でした。
無名の青年は、一夜にしてドイツ中の音楽家に名前を知られます。同時に、大きな期待も背負わされました。シューマンが書いた予言の行き着く先は、誰もがわかっていた。ベートーヴェンのような交響曲です。
翌年、シューマンは心を病み、ライン川に身を投げて救助されたのち、療養所に入ります。ブラームスはクララと子どもたちを支え、二人の友情は、シューマンが亡くなったあとも生涯続きました。
交響曲の書きかけを、最初に見せた相手もクララです。
なぜ交響曲だけが書けなかったのか

ベートーヴェンが亡くなったのは1827年。ブラームスが生まれる6年前です。
それから半世紀近く、ドイツの作曲家たちは、交響曲というジャンルの前で立ちすくんでいました。全9曲。とくに最後の『第九』は、合唱まで持ち込んで、交響曲の行き着くところまで行ってしまったように見えた。
あれ以上のものを書けないなら、書く意味はあるのか。
ブラームスは、自分に厳しい人でした。納得できない作品は人に見せず、多くの草稿を自分の手で処分したといわれます。そういう人が、交響曲で中途半端なものを出せるはずがありません。
遠回りの跡も残っています。20代の初めに交響曲として書き始めた草稿は、結局『ピアノ協奏曲第1番』に作り変えられました。オーケストラのための『セレナード』を2曲書いたのも、いきなり交響曲に挑む前の、腕ならしだったと見られています。正面から行けないなら、まわり道をして、少しずつ距離を詰める。
1862年、ブラームスはクララに第1楽章の書きかけを送っています。そこから完成まで、さらに14年。第1番は、書いては直し、しまい込み、また取り出すことをくり返して、少しずつ形になっていきました。
ティンパニが打ち続ける「ド」——第1楽章の重さ

1876年11月、ドイツ南西部の町カールスルーエで、交響曲第1番はようやく初演されました。
曲は、ハ短調。ベートーヴェンの『運命』と同じ調です。偶然とは思えません。
冒頭を聴いてください。ティンパニが、低い「ド」の音を、同じ速さで、ドン、ドン、ドンと打ち続ける。その上で、弦楽器が高いほうへ、管楽器が低いほうへ、引き裂かれるように広がっていきます。
この序奏は、クララが最初に見た書きかけにはありませんでした。あとから書き足された部分です。重い足音のような響きを、わざわざ曲の入口に置いた。
私はこの冒頭を聴くたびに、ベートーヴェンの足音を、ブラームスが自分の楽器で鳴らし直しているように感じます。背後から聞こえていた足音を、正面に引きずり出して、聴衆に聴かせている。
第2楽章と第3楽章は、うって変わって穏やかです。とくに第2楽章の終わり近く、独奏ヴァイオリンがホルンと寄り添うように歌う部分は、全曲でいちばん優しい数分間。
そして第4楽章で、21年分の答えが出ます。
アルプスの角笛と、「ロバにだってわかる」
第4楽章も、暗い序奏から始まります。重苦しい響きが続いたあと、雲が切れるように、ホルンが朗々と旋律を吹く。
この旋律には、出どころがあります。1868年、ブラームスはスイスの山で、アルプスの牧人が吹く長い角笛の調べを耳にしました。そしてクララの誕生日に、その旋律を書きつけた手紙を送っています。8年後、その誕生日のあいさつが、交響曲のいちばん大事な場面に置かれました。
続いて、トロンボーンが静かな賛美歌のような和音を鳴らします。この楽器は、ここまで3つの楽章のあいだ、一度も音を出していません。最後の楽章の、この場面のためだけに待たされていた。
やがて弦楽器が、大きく、晴れやかな主題を歌い始めます。
聴けば、多くの人が気づきます。ベートーヴェンの『第九』の「歓喜の歌」に、よく似ている。初演当時も、そう指摘する人がいました。ブラームスは、そんなことはロバにだってわかる、と言い返したと伝えられます。
似ていることを、隠す気はなかった。わかったうえで、自分の交響曲の最後に、あの巨人への返事として置いた。私はそう聴いています。
指揮者ハンス・フォン・ビューローは、この曲を「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼びました。ビューローはのちに、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「ドイツ音楽の3つのB」と呼んだことでも知られています。
よくある質問
Q. 交響曲第1番の演奏時間はどれくらいですか?
全4楽章で45分前後です。第4楽章だけなら17分ほどで、この楽章から聴き始めるのもおすすめです。
Q. 第1番のあと、ブラームスは交響曲を何曲書きましたか?
全部で4曲です。21年かかった第1番のあと、第2番はわずか翌年の夏に、オーストリアの湖畔の町で書き上げられました。のびやかで明るい曲です。
Q. ブラームスとクララ・シューマンは恋人だったのですか?
二人の手紙からは深い愛情が読み取れますが、結婚することはなく、関係は生涯、特別な友情として続きました。ブラームスは自分の作品をまずクララに見せ、意見を求めています。
まとめ
- ブラームスは20歳でシューマンに「新しい道」と紹介され、ベートーヴェンに並ぶ交響曲を期待された
- ベートーヴェンの「足音」に圧され、第1番の完成までに21年かかった。初演は1876年、43歳のとき
- 第1楽章は『運命』と同じハ短調。ティンパニが「ド」を打ち続ける序奏はあとから書き足された
- 第4楽章では、クララに贈ったアルプスの角笛の旋律、待たされたトロンボーン、「歓喜の歌」に似た主題が続く
今夜聴くなら、第4楽章だけでかまいません。暗い序奏のあと、ホルンが角笛の旋律を吹く瞬間を待ってください。楽章が始まって3分前後、21年分の雲が切れます。
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