クリムト『接吻』はなぜ美しいのか?金箔が語るウィーン世紀末芸術を解説

黄金に輝く布に包まれて、口づけを交わす男女――グスタフ・クリムトの『接吻』は、世界で最も有名な絵画のひとつです。ポスターやグッズでも目にする機会が多く、「見たことはあるけれど、実はどんな絵なのかよく知らない」という方も多いのではないでしょうか。

この絵が描かれた20世紀初頭のウィーンは、古い伝統と新しい芸術がぶつかり合う、熱気に満ちた時代でした。クリムトはその中心人物として、それまでの絵画の常識を覆す作品を次々と発表していきます。『接吻』は、そんな彼の芸術がひとつの頂点に達した瞬間を捉えた作品なのです。

この記事では、『接吻』の見どころと、この絵にまつわる興味深いエピソードを、初めての方にもわかりやすく解説します。

グスタフ・クリムト『接吻』1907-1908年、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵
グスタフ・クリムト『接吻』1907-1908年、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵

グスタフ・クリムトとはどんな画家?

グスタフ・クリムト(1862-1918)は、オーストリアの首都ウィーンで活躍した画家です。装飾職人の家に生まれ、幼い頃から金細工や装飾美術に親しんで育ちました。この経験が、のちに彼の絵画を特徴づける「金」の使い方に大きな影響を与えることになります。

クリムトは1897年、保守的な美術界に反発する若手芸術家たちとともに「ウィーン分離派」を結成しました。当時のウィーンでは、古典的な写実絵画こそが正統とされていましたが、クリムトたちは装飾性や象徴性を重視した、まったく新しい表現を追求します。この運動から生まれた自由な空気の中で、『接吻』のような大胆な作品が誕生したのです。

『接吻』とはどんな絵?

『接吻』は1907年から1908年にかけて描かれた作品で、現在はオーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館に所蔵されています。一辺が180センチを超える正方形に近い大画面に、金箔をふんだんに使って描かれた、クリムトの代表作です。

崖のような花畑の上で、男女が抱き合い、口づけを交わしています。二人の体は金色の布ですっぽりと包まれ、まるで一体化しているかのように見えます。この官能的でありながら神聖さも漂う独特の雰囲気こそ、『接吻』が世界中で愛される理由です。

見どころ1:金箔が生み出す「黄金様式」

『接吻』を語るうえで欠かせないのが、クリムトが好んで用いた「黄金様式」です。彼はこの時期、絵具だけでなく本物の金箔や銀箔を画面に貼り付ける技法を多用しました。光の当たり方によって輝きが変化する金箔は、絵に神秘的な存在感を与えます。豪華絢爛でありながら、どこか儀式めいた厳かさも感じさせる――この矛盾した魅力が、多くの人を惹きつけてやみません。

見どころ2:模様で語られる男女の対比

よく見ると、二人を包む金の布には異なる模様が描かれています。男性側は黒を基調とした四角形の模様、女性側は花のような丸みを帯びた模様です。当時のウィーンでは、直線的な模様が男性性を、曲線的な模様が女性性を象徴すると考えられていました。クリムトはこの記号を使い分けることで、言葉を使わずに男女の性質の違いを描き分けているのです。

見どころ3:日本美術からの影響

クリムトの黄金様式には、実は日本の美術、とりわけ琳派の金屏風からの影響があったといわれています。19世紀末のヨーロッパでは「ジャポニスム」と呼ばれる日本趣味が大流行しており、クリムトも浮世絵や屏風絵のコレクションを持っていたことが知られています。背景を大胆に金一色で覆い、平面的な装飾性を強調する手法は、まさに日本の金屏風の発想と重なります。西洋絵画の伝統的な遠近法から離れ、平面の美しさを追求したクリムトの姿勢は、日本美術との出会いなしには生まれなかったのかもしれません。

抱き合う二人は誰なのか

『接吻』のモデルについては、はっきりとした記録が残っていません。クリムトの恋人であった女性がモデルではないかという説が広く語られていますが、確証があるわけではなく、あくまで想像をかき立てる謎として親しまれています。

顔をのぞかせる女性の表情にも注目してみてください。うっとりと目を閉じ、恍惚とした表情を浮かべる女性に対して、男性の顔は影に隠れてほとんど見えません。見る人によって「愛の絶頂の瞬間」とも「支配と服従の関係」とも解釈できる、多層的な意味を持たせているところに、クリムトの奥深さがあります。

崖の縁ぎりぎりに膝をつく女性の足元は、一歩間違えれば谷底へ落ちてしまいそうな危うさを感じさせます。永遠に続くかのような口づけの裏に潜む緊張感もまた、この絵が単なる甘い恋愛画にとどまらない理由のひとつといえるでしょう。

実物を見るときの鑑賞ポイント

写真や画集では、金箔の質感まではなかなか伝わりません。実物の前に立つと、光の角度によって金の輝きが刻一刻と変化することに気づくはずです。少し左右に動きながら鑑賞すると、絵が生きているかのような表情の変化を楽しめます。

また、二人が立っている足元の花畑にも注目してみましょう。細やかに描き込まれた草花は、金の装飾とは対照的にとても写実的です。装飾と写実、平面と立体――相反する要素が同じ画面に同居していることも、この絵の奥深さを支えています。

世紀末ウィーンという時代背景

『接吻』が生まれた当時のウィーンは、ハプスブルク帝国の首都として繁栄を極める一方、政治的にも社会的にも大きな変化の渦中にありました。伝統的な価値観が揺らぎ、人々の内面や無意識への関心が高まったこの時代は「世紀末」と呼ばれ、精神分析学者フロイトの活動もこの街から生まれています。クリムトの作品に漂う官能性と不安、美と死が隣り合わせになった独特の空気感は、まさにこの時代のウィーンそのものを映し出しているといえるでしょう。

よくある質問

Q. 『接吻』はどこで見られますか?
オーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館に常設展示されています。宮殿建築とともに鑑賞できる、ウィーン観光の目玉のひとつです。

Q. 金箔は本物の金なのですか?
はい。クリムトはこの時期の作品に、本物の金箔や銀箔を用いています。絵具だけでは表現できない独特の輝きが、彼の黄金様式を特徴づけています。

Q. クリムトの他の代表作も知りたいです。
『ダナエ』や『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像』も、同じ黄金様式で描かれた名作です。あわせて鑑賞すると、クリムトの世界観がより深く理解できます。

まとめ

『接吻』の魅力をまとめると、次の3点です。

  • 本物の金箔が生み出す、神秘的で豪華な「黄金様式」
  • 模様の違いで男女を描き分ける、記号としての装飾
  • 日本の金屏風にも通じる、平面性を活かした大胆な構図

一枚の絵の中に、愛と官能、東洋と西洋、装飾と写実という、さまざまな要素が溶け合っている『接吻』。その奥深さを知ったうえで見返すと、きっと違った表情に見えてくるはずです。

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