『展覧会の絵』はどの展覧会だったのか?ムソルグスキーが亡き友の絵を歩いた10枚

冒頭のメロディーは、聴けばわかります。
トランペットが堂々と吹く、あの行進曲のような旋律。テレビでも映画でも、何かが始まる場面で何度も使われてきました。ムソルグスキーの『展覧会の絵』、その「プロムナード」です。
ただ、「どの展覧会だったのか」を答えられる人は、ぐっと減ります。
答えは、1874年にロシアのサンクトペテルブルクで開かれた、一人の建築家の遺作展です。名前はヴィクトル・ハルトマン。作曲家の親友で、前の年に39歳で急死していました。展示された絵は約400点。その部屋を歩きながら、ムソルグスキーは10枚の絵を選び、曲にしました。
絵を音にした音楽は珍しくありません。ただ、この曲の面白さは、絵の大半がその後失われ、音楽だけが残ったところにあります。
プロムナードは、なぜ歩きにくい拍子なのか
「プロムナード」はフランス語で「散歩」です。
展覧会の部屋を、次の絵へ向かって歩く音楽。曲集の中に何度も戻ってきますが、毎回少しずつ表情が違います。前の絵の余韻を引きずって暗くなったり、足取りが軽くなったり。歩いているのは、ムソルグスキー本人です。
試しに、冒頭に合わせて足踏みをしてみてください。
うまく合いません。5拍と6拍の小節が交互に出てくるからです。ワルツの3拍子や行進曲の2拍子のように、機械的に刻めない。立ち止まって絵を眺め、また歩き出す。そんな不揃いな歩幅を、拍子そのものが写しています。
この「散歩」のあいだに、10枚の絵が並びます。
亡き友ハルトマンの絵、10枚を順に歩く

10曲を、展覧会の順路のように並べます。ハルトマンの絵が残っているものは、その旨を書きました。
1. 小人(グノーム)
よたよたと歩く小人。もとの絵はクルミ割り人形のデザインだったと伝えられますが、現物は失われています。不意に止まり、飛びかかるような低音。曲集の中でいちばん不気味な1枚です。
2. 古い城
中世の城の前で、吟遊詩人が歌っている。ラヴェルの編曲版ではサックスが歌います。もとの絵は現存しません。
3. テュイルリーの庭
パリの公園で、子どもたちが遊びのあとに言い合いをしている光景。短くて軽い曲。絵は失われています。
4. ビドロ
ポーランド語で「牛車」。巨大な木の車輪をきしませて、牛が荷車を引いていきます。遠くから近づき、また遠ざかる。絵は失われています。
5. 卵の殻をつけたひなの踊り
バレエの衣装デザインです。子役が卵の殻をかぶった姿で踊る。この絵は残っていて、ひなの姿が確認できます。ピチピチとつつくような高音の、1分ほどの曲。
6. サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ
裕福なユダヤ人と貧しいユダヤ人。ハルトマンが描いた2枚の肖像画がもとで、作曲家自身が持っていたと伝えられます。威張った低音と、震えるような早口の高音が言い争います。
7. リモージュの市場
フランスの町の市場で、女たちがまくしたてる噂話。息もつかせぬ速さで、次の曲へなだれ込みます。絵は失われています。
8. カタコンベ
パリの地下墓地。ランプを手に、ハルトマン自身が友人と墓地を見て回る姿を描いた絵が、この曲のもとです。重い和音が、地下の暗がりにゆっくり響きます。続く「死せる言葉による死者への語りかけ」では、プロムナードの旋律が幽霊のように高音で震えます。亡き友への、いちばん率直な弔いです。
9. 鶏の足の上の小屋(バーバ・ヤガー)
ロシアの魔女バーバ・ヤガーの小屋は、鶏の足で立って動き回る。ハルトマンはこの小屋を時計のデザインとして描きました。この絵は現存します。曲は魔女が空を飛び回るような、荒々しい疾走です。

10. キエフの大門
ハルトマンが設計競技に出した、キエフの街の門の案。門は結局建てられませんでした。紙の上にだけある門を、音楽は鐘の音とともに、堂々と建ててしまいます。曲集はここで終わります。
絵は失われ、音楽だけが残った
10枚のうち、今も見られるのは数枚です。
「ひな」「バーバ・ヤガー」「キエフの大門」など、いくつかの原画は確認されています。残りは展覧会のあと散逸し、どんな絵だったかは曲名と記録から想像するしかありません。建てられなかった門、失われたクルミ割り人形、消えた古城。
音楽が絵の記憶を引き受けた形です。
私は、ここがこの曲集のいちばん切ない点だと思います。友の作品を残そうとして書いた音楽が、友の作品より長く生き延びてしまった。作曲したのは1874年の6月、わずか数週間だったと伝えられます。急いで書いたのは、亡き友がまだ近くにいるうちに音にしたかったからでしょう。
ところが、この曲集は作曲家が生きているうちに出版されませんでした。
ラヴェルの管弦楽版と、ロック版——曲はどう広まったのか
ムソルグスキーは1881年、42歳で亡くなります。酒に体を壊し、病院で息を引き取りました。冒頭の肖像画は、画家レーピンが死の数日前に病室で描いたものです。赤い鼻と乱れた髪、しかし目はまだ光っている。
『展覧会の絵』が印刷されたのは、死後5年たってからでした。
さらに広まったきっかけは、1922年のモーリス・ラヴェルによる管弦楽編曲です。もとはピアノ独奏曲だったものに、色彩の魔術師と呼ばれたラヴェルがオーケストラの衣装を着せました。冒頭のトランペット、「古い城」のサックス、「キエフの大門」の鐘。私たちが知る『展覧会の絵』の音色の多くは、ラヴェルの選択です。
1971年には、イギリスのロックバンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマーがライブ盤でこの曲集をまるごと演奏しました。シンセサイザーとドラムで駆け抜ける「バーバ・ヤガー」。クラシックの門を、ロックの側からくぐった例です。
失われた絵は、ピアノになり、オーケストラになり、ロックになりました。
よくある質問
Q. 最初はピアノ版とオーケストラ版、どちらを聴けばいいですか?
オーケストラ版(ラヴェル編曲)のほうが色彩豊かで入りやすいと感じる人が多いです。ただ、ムソルグスキーが書いたのはピアノ曲です。オーケストラ版で絵の順路を覚えたら、ピアノ版で骨組みを聴いてみてください。
Q. ハルトマンの絵は今どこで見られますか?
現存する原画の一部はロシアの美術館などに収蔵されています。多くの解説書や録音のブックレットに図版が載っているので、まずはそこから確認するのが手軽です。
まとめ:10枚の絵を、順路どおりに歩く
- 「展覧会」とは1874年、亡き親友ハルトマンの遺作展。作曲家はそこで10枚の絵を選んだ
- 「プロムナード」は展示室を歩く作曲家自身。5拍と6拍が交互に出る、不揃いな歩幅の音楽
- 10枚のうち原画が残るのは数枚。失われた絵の記憶を音楽が引き受けた
- 出版は死後。1922年のラヴェル編曲と、1971年のロック版で世界に広まった
今日やることは一つ。この記事の10枚の順路をそのままに、ラヴェル編曲版を通して1回聴いてください。35分ほどで展覧会が一周します。「カタコンベ」で足が止まったら、それは150年前の作曲家と同じ場所で立ち止まった証拠です。
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