モーツァルト『レクイエム』——灰色の服の使者と、8小節で止まった「涙の日」

1791年の夏、ウィーン。モーツァルトの家の扉を、見知らぬ男が叩きました。
灰色の服を着た男は、署名のない手紙を差し出します。死者のためのミサ曲「レクイエム」を書いてほしい。報酬は十分に払う。ただし、依頼主が誰かを探ってはならない。
男は前金を置いて帰りました。
5か月後、35歳のモーツァルトは死にます。机には、書きかけのレクイエムが残されていました。
モーツァルトに『レクイエム』を頼んだのは誰だったのか
死神の使いではありません。正体は、とっくに判明しています。
依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵。ウィーン郊外に城を持つ、音楽好きの貴族です。この年の2月、妻アンナを20歳の若さで亡くしていました。その追悼のための曲です。
では、なぜ名前を隠したのか。
伯爵には変わった趣味がありました。作曲家にこっそり曲を注文し、自分の手で楽譜を書き写して、城の演奏会で「私の作品です」と披露する。楽団員たちは薄々知っていて、調子を合わせていたといいます。灰色の服の男は、伯爵の使いの者でした。
種を明かせば、少しこっけいな話です。
ただ、モーツァルトの側には笑う余裕がありませんでした。この年の彼は、オペラ『魔笛』と、皇帝の戴冠式のためのオペラを同時に抱えていた。借金もあった。秋になると体調が崩れはじめます。妻コンスタンツェの回想によれば、彼は公園でこう漏らしました。「このレクイエムは、自分のために書いている気がする」。
「ラクリモーサ」の8小節目で、モーツァルトのペンは止まった

11月20日、モーツァルトは床につき、二度と起き上がれませんでした。
手足がひどく腫れ、寝返りも打てない。それでもベッドの上で作曲を続けます。亡くなる前日の午後には、友人の歌手たちが枕元に集まり、書き上がった部分を一緒に歌ったと伝えられます。モーツァルト自身はアルトのパートを受け持ちました。
曲が「ラクリモーサ」に入ったところで、彼は泣き出し、楽譜を脇に置いたといいます。
ラクリモーサは、ラテン語で「涙の日」。レクイエムの中ほどに置かれた、死者のために涙を流す祈りの歌です。ヴァイオリンがため息のような音型を繰り返し、合唱が一歩ずつ階段を上るように高まっていく。
モーツァルトの筆跡は、その8小節目で途切れています。
12月5日、午前1時前に死去。35歳でした。
彼が完成させていたのは、冒頭の1曲だけです。続く数曲は、合唱のパートと低音、それに楽器の要所だけが書かれた骨組みの状態。後半の「サンクトゥス」以降は、1音も残っていませんでした。
未亡人コンスタンツェは『レクイエム』を完成させるしかなかった

29歳の妻コンスタンツェには、幼い息子が2人と、借金が残されました。
レクイエムの報酬は、半分を前金で受け取っています。未完成のままなら返さなければならない。残りの半分も入らない。彼女は決めます。誰かに完成させて、夫の作品として納めるしかない。
最初に頼んだ作曲家ヨーゼフ・アイブラーは、途中で手を引きました。
最後に引き受けたのが、25歳のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーです。モーツァルトの晩年に写譜や手伝いをしていた若い音楽家でした。骨組みだけの曲に楽器のパートを書き足し、ラクリモーサの9小節目から先を作り、残っていなかった後半の曲を自分で書いた。本人はのちにそう説明しています。
筆跡まで、モーツァルトに似せました。
上の楽譜の右上を見てください。「私モーツァルトの作、1792」という意味の署名があります。モーツァルトが死んだのは1791年です。存在しない年の署名。ジュースマイヤーが書き入れた偽のサインだと考えられています。
完成した楽譜は伯爵のもとへ届けられました。伯爵は予定どおりそれを自分で書き写し、1793年12月、自作として指揮しています。依頼した側も、納めた側も、嘘をついていたことになります。
しかも、伯爵は出し抜かれていました。コンスタンツェは楽譜の写しを手元に残していたのです。伯爵の「初演」より11か月も早い1793年1月、ウィーンで彼女のための慈善演奏会が開かれ、レクイエムはモーツァルトの遺作として鳴り響いていました。
ここで一つ、脇道の話を。
映画『アマデウス』では、仮面の使者の正体は宮廷楽長サリエリで、病床のモーツァルトから口述でレクイエムを書き取ります。これは映画の創作です。サリエリが毒を盛ったという噂も、当時から流れはしましたが、裏づける証拠はありません。
どこまでがモーツァルトか。『レクイエム』の聴きどころ

全曲はおよそ50分。初めて聴くなら、3か所に絞るのがおすすめです。
- 冒頭「イントロイトゥス」:唯一、すみずみまでモーツァルトが仕上げた曲。低い木管がゆっくり歩き出し、合唱が重なります
- 「ディエス・イレ(怒りの日)」:映画やCMでも使われる、嵐のような2分間。骨組みはモーツァルトのものです
- 「ラクリモーサ(涙の日)」:最初の8小節がモーツァルト、その先がジュースマイヤー
ラクリモーサは、ぜひ継ぎ目を意識して聴いてください。
始まって1分足らず、合唱が上りつめて、ふっと力を抜くところ。そこが8小節目です。私は初めてこの話を知ってから聴き直したとき、継ぎ目がまったくわからなくて驚きました。25歳の弟子は、師の最後の一歩を、きちんと次の一歩につないでいます。
後半の曲については、「モーツァルトに比べて弱い」という批判が200年続いてきました。20世紀以降、学者たちが別の補筆版をいくつも発表しています。それでも世界中で最も多く演奏されているのは、今もジュースマイヤー版です。
よくある質問
Q. モーツァルトの死因は何ですか?
当時の記録には「急性粟粒疹熱」とあり、現在はリウマチ熱や腎臓の病気など複数の説があります。確定していません。毒殺説に確かな証拠はありません。
Q. モーツァルトは貧民の墓に捨てられたのですか?
ウィーン郊外の聖マルクス墓地の共同墓に埋葬されました。ただ、これは当時のウィーン市民の一般的な埋葬方法で、特別に粗末な扱いだったわけではありません。正確な埋葬位置はわかっていません。
Q. 「レクイエム」とはどんな音楽ですか?
カトリック教会で死者の安息を祈るミサのための音楽です。最初の言葉「レクイエム(安息を)」が曲名になりました。
まとめ:灰色の服の使者が、扉の前に置いていったもの
- 依頼主は死神ではなく、亡き妻の追悼曲を自作として発表したかったヴァルゼック伯爵
- モーツァルトが完成させたのは冒頭の1曲だけ。「ラクリモーサ」は8小節で途切れた
- 妻コンスタンツェが報酬のために完成を依頼し、弟子のジュースマイヤーが書き継いだ
- 自筆譜には、モーツァルトの死後の年「1792」が入った偽の署名が残っている
- 聴くなら冒頭、「怒りの日」、そして継ぎ目のある「ラクリモーサ」から
1791年の夏、灰色の服の男が扉を叩かなければ、この曲は生まれていません。見栄っぱりの伯爵と、生活に追われた未亡人と、25歳の弟子。三人の嘘と必死さが、8小節で止まった音楽を、最後の和音まで運びました。
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