酒場のピアノから映画『スティング』まで——スコット・ジョプリンとラグタイムの70年

タッタラ、タッタラ、ターン、タ、タ、ター。
曲名は知らなくても、このメロディは知っている。ピアノ教室の発表会で誰かが弾いていた。テレビのコントで、ドタバタの場面に流れていた。そういう曲です。
題名は『ジ・エンターテイナー』。そして、「なんだか昭和っぽい」「喜劇の曲でしょう?」と思っている人が多いはずです。無理もありません。日本ではそういう場面でばかり流れてきました。
ところがこれは、1902年、アメリカの黒人作曲家が書いたピアノ曲です。ジャズより前。レコードがまだ珍しかった時代。作曲者は、この曲が世界中で鳴る日を見ることなく亡くなりました。
『ジ・エンターテイナー』の作曲者は、ヒットを知らない
スコット・ジョプリンが亡くなったのは1917年。
『ジ・エンターテイナー』が世界的なヒット曲になったのは、1973年の映画『スティング』で使われてからです。死後56年。作曲者本人は、自分の曲が映画館でも、ラジオでも、日本の発表会でも鳴る光景を、一度も見ていません。
なぜ、そんなに遅れたのか。
話は、この曲が属する「ラグタイム」という音楽の浮き沈みそのものです。
「ぼろぼろの拍子」——ラグタイムは左手と右手がずれる音楽
ラグタイムは、19世紀の終わりにアメリカ中西部で生まれたピアノ音楽です。
名前の由来は「ラグド・タイム(ragged time)」、ぼろぼろに裂けた拍子。何が裂けているのかは、両手を分けて聴くとわかります。
左手は、行進曲のように規則正しい。低い音と和音を「ブン・チャッ、ブン・チャッ」と交互に刻みます。右手はその上で、拍の頭をわざと外してメロディを弾く。アクセントが半拍ずつ前にずれて、つまずいたような、跳ねたようなリズムになる。これを「シンコペーション」といいます。
きちんとした左手と、はみ出す右手。
この二つの綱引きが、ラグタイムの楽しさです。酒場やダンスホールのピアノ弾きたちが、黒人の音楽のリズム感覚と、白人の行進曲の形式を混ぜ合わせて作り上げました。
元奴隷の息子と、ドイツから来たピアノ教師
ジョプリンは1860年代の終わりごろ、テキサス州とアーカンソー州の境の町の近くで生まれました。正確な誕生日はわかっていません。
父は奴隷制の時代に生まれた鉄道労働者。母は、白人の家で掃除や洗濯をして働いていました。少年ジョプリンは、母の勤め先の家にあったピアノを触らせてもらい、独学で弾きはじめます。
才能に気づいたのが、ドイツ出身の音楽教師ジュリアス・ワイスでした。彼は無償でジョプリンにピアノと和声を教え、オペラやヨーロッパのクラシック音楽を聴かせます。
酒場のリズムと、ヨーロッパの作曲の技法。ジョプリンのラグタイムがほかのピアノ弾きの即興と違って見えるのは、この二つを両方知っていたからです。
10代で家を出た彼は、各地の酒場を回るピアノ弾きになりました。
『メイプル・リーフ・ラグ』、1部売れるごとに1セント

1890年代の後半、ジョプリンはミズーリ州の鉄道の町セデーリアに落ち着きます。昼は地元の黒人向けの大学で音楽を学び、夜は「メイプル・リーフ・クラブ」という社交クラブでピアノを弾きました。
1899年、そのクラブの名をつけた曲が楽譜として出版されます。『メイプル・リーフ・ラグ』。
出版したのは、地元で楽器店を営む白人のジョン・スタークでした。二人が結んだのは、楽譜が1部売れるごとに1セントの印税を払うという契約です。当時、黒人の作曲家は曲を安く買い取られて終わることが多く、売れた分だけ収入が入る約束は珍しいものでした。
楽譜は売れに売れます。
レコードもラジオもまだ普及していない時代、家庭で音楽を楽しむ方法は、楽譜を買ってピアノで弾くことでした。『メイプル・リーフ・ラグ』は、アメリカ中の居間のピアノで鳴るベストセラーになり、ジョプリンは「ラグタイム王」と呼ばれるようになります。
「ラグタイムを速く弾くのは、決して正しくない」

1902年、セントルイスに移ったジョプリンは『ジ・エンターテイナー』を出版します。表紙の右側に「ア・ラグ・タイム・ツー・ステップ」とあるとおり、2拍子で踊るための曲でした。
ジョプリンの楽譜の冒頭には、ときどき本人の注意書きが印刷されています。
「この曲を速く弾かないこと。ラグタイムを速く弾くのは、決して正しくない」。
流行とともに、ラグタイムは酒場で指の速さを競う見せ物になっていました。ジョプリンはそれが嫌だった。彼にとってラグタイムは、ショパンのワルツと同じように、楽譜どおり丁寧に弾かれるべき芸術でした。
私が『ジ・エンターテイナー』の印象を変えられたのも、この注意書きを知ってからです。ドタバタの伴奏のようにせかせか弾くのではなく、歩くくらいの速さで弾くと、同じ曲がびっくりするほど優雅に、少し寂しく聞こえます。
オペラ『トゥリーモニシャ』は、生きているうちに舞台に立たなかった
ジョプリンの夢は、ラグタイムを「まじめな音楽」として認めさせることでした。
その集大成が、オペラ『トゥリーモニシャ』です。アメリカ南部の黒人の村を舞台に、教育を受けた少女が迷信から人々を導く物語。台本も音楽も、ジョプリンが一人で書きました。
1911年、彼は楽譜を自費で出版します。ところが上演してくれる劇場は見つかりません。1915年、ニューヨークのハーレムで関係者向けの試演を行いますが、衣装も舞台装置もオーケストラもなく、ピアノ1台だけの伴奏でした。反応は冷たいものでした。
同じころ、世の中の耳は新しい音楽「ジャズ」へ移りはじめていました。
1917年4月、ジョプリンはニューヨークの病院で亡くなります。40代の終わりでした。墓には長いあいだ、墓石すらありませんでした。
71年後。
1970年、クラシック音楽のレーベルから、ジョプリンのラグをピアニストが楽譜どおり丁寧に弾いたレコードが発売されます。ラグタイムを「クラシックのピアノ曲」として聴く人が、少しずつ現れました。
そして1973年、映画『スティング』。1930年代のシカゴを舞台に、詐欺師たちが大物ギャングをだます物語です。音楽を担当した作曲家マーヴィン・ハムリッシュは、ジョプリンのラグを編曲して全編に使いました。映画はアカデミー賞で作品賞を受け、音楽も賞を得ます。『ジ・エンターテイナー』は、出版から71年後に世界のヒット曲になりました。
1972年には『トゥリーモニシャ』が初めて本格的に上演され、1976年、ジョプリンには没後の特別なピューリッツァー賞が贈られています。
よくある質問
Q. ラグタイムとジャズの違いは何ですか?
ラグタイムは基本的に楽譜に書かれ、書かれたとおりに弾くピアノ音楽です。ジャズは即興演奏が中心で、編成もさまざまです。ラグタイムのシンコペーションは、初期のジャズに受け継がれました。
Q. 初心者でも『ジ・エンターテイナー』は弾けますか?
やさしく編曲された楽譜が数多く出版されています。原曲は左手の跳躍が大きく、中級程度の技術が必要です。
まとめ:ラグタイムは「ゆっくり」聴く
- ラグタイムは、規則正しい左手と、拍をずらす右手の綱引きで生まれるピアノ音楽
- スコット・ジョプリンは元奴隷の息子で、酒場のリズムとヨーロッパの作曲技法を両方学んだ
- 1899年の『メイプル・リーフ・ラグ』は楽譜のベストセラーになり、「ラグタイム王」と呼ばれた
- 本人は「ラグタイムを速く弾くのは、決して正しくない」と楽譜に書いた
- 『ジ・エンターテイナー』が世界的ヒットになったのは、死後の1973年、映画『スティング』から
今日やることは一つです。『メイプル・リーフ・ラグ』を、ゆっくりしたテンポの演奏で探して聴いてみてください。まず左手の「ブン・チャッ」だけを追い、2回目は右手のメロディだけを追う。二つの手がずれる瞬間が聞き取れたら、あなたはもう、1899年のセデーリアのクラブの客と同じ耳を持っています。
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