7つの惑星に、地球は入っていない——ホルスト『惑星』は星占いから生まれた組曲

ホルストの『惑星』は、宇宙の音楽ではありません。
テレビの宇宙特集やプラネタリウムでおなじみの曲なので、望遠鏡で見た惑星を音にしたものだと思われがちです。ところが作曲者のグスターヴ・ホルストが机の上に広げていたのは、天文学の本ではなく、星占いの本でした。
だから7曲の中に、地球がありません。並び順も、太陽からの距離どおりではない。
この2つの「おかしな点」がわかると、約50分の組曲がぐっと聴きやすくなります。
『惑星』は宇宙の曲ではない——ホルストが読んでいたのは星占いの本
ホルストは1874年、イギリスの保養地チェルトナムに生まれました。ピアニストを目指しましたが右腕の神経を痛め、トロンボーン奏者として働きながら作曲を学びます。30代からはロンドンのセント・ポール女学校で音楽の先生を務めました。『惑星』の大部分は、この学校に作られた防音の部屋で、週末や休暇を使って書かれています。
1913年、友人たちとのスペイン旅行で、ホルストは占星術に夢中になります。旅に同行した作家クリフォード・バックスから手ほどきを受け、帰国後は友人のホロスコープを作るほどになったと伝えられます。
占星術では、惑星はそれぞれ、人の性格や運命に働きかける力を持つとされます。火星は争い、金星は愛と平和、土星は老いと時間。ホルストが7曲につけた副題も、この考え方にそっています。
- 火星、戦争をもたらす者
- 金星、平和をもたらす者
- 水星、翼のある使者
- 木星、快楽をもたらす者
- 土星、老いをもたらす者
- 天王星、魔術師
- 海王星、神秘主義者
地球が入っていない理由も、ここにあります。占星術は、地球に立つ私たちから空を見上げる体系です。地球は占う側であって、占われる側ではない。
ホルストが描きたかったのは、星そのものの姿ではなく、星が人の心に呼び起こすものでした。
「火星」は5拍子で進軍する——7曲の順番には理由がある

1曲目の「火星」は、弦楽器が弓の木の部分で弦を叩く、乾いた音から始まります。拍子は5拍子。同じリズムの刻みが、片足を引きずるように続いていきます。
2拍子や4拍子の行進曲なら、人は気持ちよく歩けます。5拍子では、どこかでつまずく。その居心地の悪さが、じりじり迫ってくる軍隊の不気味さになっています。この曲は1914年、第一次世界大戦が始まる前後に書かれました。
並び順を見てみましょう。太陽に近い順なら、水星、金星、(地球)、火星、木星、土星、天王星、海王星です。ホルストは火星を先頭に置き、水星を3番目に回しました。
天文学の順番ではなく、音楽の順番です。
激しい「火星」のあとに、静かな「金星」。軽やかに飛び回る「水星」、陽気な「木星」。重い足どりの「土星」で時間が止まり、「天王星」で魔法使いが暴れ、最後の「海王星」で全部が遠ざかる。性格の違う7曲が、ぶつかり合うように並べられています。
たとえば「天王星」。金管楽器が4つの音を大音量で突きつけたあと、ファゴットがおどけたステップで踊り出します。魔法使いが呪文を唱え、ほうきが勝手に動き出すような曲です。その直前の「土星」は、時計の振り子のような和音がゆっくり揺れる、組曲でいちばん重い曲。重さのすぐあとにいたずらを置く。並べ方そのものが、ホルストの作曲の一部です。

「海王星」の終わりは、とくに有名です。舞台の外に置かれた女声合唱が、歌詞のない声で静かに歌い、その部屋の扉がゆっくり閉められていく。音は小さくなり続け、どこで終わったのかわからないまま消えます。
ホルスト本人がいちばん気に入っていたのは、時間の重さを描いた「土星」だったといわれます。
「木星」のメロディーは、作曲者の手で賛美歌になった
組曲の中でいちばん親しまれているのは、4曲目「木星」の中間部です。テンポを落とし、弦とホルンが大きな弧を描くように歌う、あの旋律。
1921年、ホルストはこのメロディーに別の詩をつけ、自分で賛美歌に編曲しました。イギリスでは、いまも式典や学校で歌われています。
日本では2003年、平原綾香さんがこの旋律に日本語の詞をつけた『Jupiter』を発表し、大きなヒットになりました。100年近く前の組曲の一部分が、まったく別の場所で、別の言葉で歌われている。クラシックを聴かない人にもこの旋律が届いているのは、そのためです。
私は「木星」を通しで聴くたび、この旋律が出てくるまでの前半の騒がしさに驚きます。鐘のように打ち鳴らされる金管、走り回る弦。あの有名なメロディーは、にぎやかなお祭りの真ん中に、ふと現れる静けさです。
ただ、ホルスト本人の気持ちは少し複雑だったようです。『惑星』があまりに人気になり、ほかの作品が聴かれなくなったことを、晩年の彼は快く思っていなかったと伝えられます。
1930年、冥王星が見つかった。ホルストは8曲目を書かなかった

『惑星』が初めて演奏されたのは1918年9月、ロンドンのクイーンズ・ホールでした。指揮は若いエイドリアン・ボールト。友人の作曲家が会場とオーケストラを用意し、ホルストに贈った内輪の演奏会でした。
それから12年後の1930年、アメリカの天文台で新しい惑星が見つかります。冥王星です。
「では、ホルストは9番目の惑星の曲を書くのか」。そう考えた人はいたはずです。けれどホルストは書きませんでした。そして4年後の1934年に亡くなっています。
書かなかった理由は、ここまで読んだ方なら想像がつくと思います。彼の組曲は占星術の惑星から始まった音楽で、望遠鏡の発見に合わせて増やすものではなかった。それに、「海王星」で音が消えていく終わり方のあとに、もう1曲を置く場所はありません。
2000年、イギリスの作曲家コリン・マシューズが「冥王星」を書き足し、「海王星」のあとに続けて演奏できるようにしました。ところが2006年、冥王星は国際天文学連合の決定で「準惑星」に分類し直されます。後から足した1曲が、今度は「惑星」でなくなってしまいました。
ホルストが書かなかった8曲目は、書かなくて正解だったのかもしれません。
よくある質問
Q. 全曲を聴くと何分くらいかかりますか?
演奏によって違いますが、7曲で約50分です。1曲の長さは4分ほどから10分近いものまであります。
Q. 「冥王星」つきの録音もありますか?
あります。コリン・マシューズの「冥王星」を加えた録音がいくつか出ています。聴き比べると、「海王星」の消えていく終わり方が、どう受け継がれたかがわかります。
まとめ
- 『惑星』は天文学ではなく占星術から生まれた組曲。だから地球がない
- 7曲は太陽からの距離ではなく、音楽の対比で並んでいる
- 「火星」は5拍子、「海王星」は舞台裏の合唱が遠ざかって終わる
- 「木星」の旋律は、ホルスト自身が賛美歌に編曲し、日本でも『Jupiter』として広く知られる
- 1930年に見つかった冥王星の曲を、ホルストは書かなかった
今夜聴くなら、「火星」と「海王星」の2曲だけで十分です。合わせて15分ほど。5拍子でつまずきながら始まった組曲が、最後は音もなく消えていく。その両端を聴けば、ホルストが地球を入れなかった理由が、耳でわかります。
関連アイテム
この記事に関連する本・アルバムはこちらから探せます。
※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です。適格販売により収入を得ています。
