『荒城の月』の楽譜からシャープが1つ消えたのはなぜか——23歳で世を去った滝廉太郎と、山田耕筰の編曲

『荒城の月』は、たぶん日本でいちばん有名な「暗い歌」です。
音楽の授業で歌った人も、歌った記憶はないのに旋律だけは知っている人もいるはずです。ゆっくりと、短調で、昔の城の栄華と今の寂しさを歌う。作曲は滝廉太郎、作詞は詩人の土井晩翠。
ところが、私たちがよく知っているあの旋律は、滝廉太郎が書いたものとまったく同じではありません。
一音だけ、違います。
『荒城の月』は、中学校の教科書のために書かれた
『荒城の月』が世に出たのは1901年。東京音楽学校(いまの東京藝術大学音楽学部)がまとめた『中学唱歌』という歌集に収められました。
明治の日本は、学校で西洋式の歌を教えることに力を入れていました。ただ、最初のころは外国の曲に日本語の歌詞をつけたものが中心です。日本人が作った、日本の詩のための曲がほしい。『中学唱歌』は、そのために歌詞を先に用意し、曲を募集して作られた歌集でした。
滝廉太郎は、そこに3曲を寄せています。勇ましい行進のような『箱根八里』、豊臣秀吉をたたえる『豊太閤』、そして『荒城の月』。120年以上たったいま、3曲のなかでいちばん広く歌い継がれているのが、最後の一曲です。教科書に載り、合唱で歌われ、海外の演奏家にも録音されてきました。
歌集が出たとき、彼は21歳。東京音楽学校を卒業し、研究科で学びながら後輩の指導もしていた若者でした。
原曲は、ロ短調。ピアノの伴奏はなく、旋律だけが書かれていました。ほんの短い旋律です。それを歌詞の番の数だけ、何度もくり返して歌います。
竹田の城跡と、晩翠の城
歌われているのは、どこの城なのか。
答えは、一つに決まっていません。作詞の土井晩翠は、故郷の仙台の青葉城や、会津の鶴ヶ城をイメージしたといわれます。いっぽう作曲の滝廉太郎が思い浮かべたのは、少年時代を過ごした大分県竹田市の岡城だといわれています。
滝は東京の生まれですが、役人だった父の転勤で各地を移り住み、10代の初めを竹田で過ごしました。
岡城は、険しい崖の上に石垣だけが残る城跡です。冒頭の写真のように、高い石垣が山の斜面に沿って続き、その向こうには九州の山並みが広がっています。天守も櫓もなく、石と木と空だけ。
詩人は東北の城を、作曲家は九州の城を見ていた。二人の頭の中の別々の城跡が、一つの歌の中で重なっています。
21歳でドイツへ、23歳で死去——滝廉太郎の短い生涯

滝廉太郎は1879年、東京に生まれました。
15歳で東京音楽学校に入学し、ピアノと作曲を学びます。在学中から才能は際立っていて、『荒城の月』と同じころには、隅田川の春を歌った『花』や、『箱根八里』も書いています。子ども向けの『お正月』『鳩ぽっぽ』も、彼の作曲です。
1901年、21歳の滝はドイツのライプツィヒ音楽院に留学しました。バッハやメンデルスゾーンゆかりの、ヨーロッパでも指折りの音楽の都です。

ところが、入学してまもなく、彼は結核にかかります。
本格的に学ぶ前に、帰国するしかありませんでした。1902年に日本へ戻り、父の住む大分で療養を続けます。そして1903年、23歳で亡くなりました。
亡くなる少し前、彼はピアノ曲を一曲書き残しています。題は『憾(うらみ)』。思いを残す、心残り、という意味の言葉です。激しく、短い曲です。
私は『荒城の月』を聴くたびに、この題を思い出します。滅びた城の歌を書いた若者は、そのわずか2年後、自分の時間がもう残っていないことを知ることになる。そう思うと、あの短い旋律が、少し違って聞こえてきます。
1917年、山田耕筰が書き換えた「一音」

滝の死から14年後の1917年。作曲家の山田耕筰が、『荒城の月』にピアノ伴奏をつけて編曲しました。
山田耕筰は、『赤とんぼ』『この道』などで知られる、日本の近代音楽を代表する作曲家です。彼はこの編曲で、いくつかの手を加えました。
- 調を、ロ短調からニ短調に変えた
- 拍の取り方を変え、音符の長さを倍にして、よりゆったり歌えるようにした
- ピアノの伴奏をつけた
- 旋律の中の一音から、シャープ(♯)を取った
問題は、最後の一つです。
滝の原曲では、歌い出しのフレーズの後半に、半音上げるシャープのついた音が一つありました。この音が、旋律に少しだけ、ぎくりとするような不安定さを与えていました。
山田は、このシャープを取りました。その一音が半音下がって、旋律は引っかかりのない、なめらかな短調の響きになります。
現在、学校の教科書や多くの録音で歌われているのは、この山田耕筰版です。私たちが「荒城の月はこういう曲」と思っている旋律は、山田の手を通ったあとの姿でした。
なぜ消したのか。
山田がはっきり理由を書き残したわけではなく、この点はいまも議論があります。西洋音楽の和声に合わせて伴奏をつけるうえで都合がよかったから、という見方。日本人の耳になじみやすい音の並びにしたかったから、という見方。シャープを残した滝の原曲のほうが本来の姿だとして、原曲どおりに歌う歌手や合唱団もいます。
半音の差
一音、半音。
シャープは、ついた音を半音だけ高くする記号です。ピアノで言えば、白い鍵盤から、すぐ右隣の鍵盤へ一つずれるだけ。音楽の中では、いちばん小さな距離です。
短調の曲は、ふつう決まった音の並びの中で動きます。滝廉太郎のシャープは、その並びから一瞬だけはみ出す音でした。はみ出すからこそ、耳が「おや」と立ち止まる。山田版では、その音が並びの中に戻されています。
それだけの違いですが、聴き比べると、はっきりわかります。原曲のほうは、その一音のところで、旋律が少しだけ上に引っぱられ、胸のあたりがざわっとする。山田版は、そこを素通りして、静かに下りていきます。
どちらを好むかは、人によって分かれます。私は、少し落ち着かない原曲のほうに、21歳の滝廉太郎の声を感じます。
よくある質問
Q. 『荒城の月』は海外でも知られていますか?
はい。アメリカのジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクが取り上げ、『ジャパニーズ・フォーク・ソング』という題で録音しています。ほかにも多くの国の演奏家が録音しています。
Q. 滝廉太郎の原曲どおりの『荒城の月』は聴けますか?
はい。シャープのある原曲の旋律で歌った録音もあります。「原曲」「滝廉太郎版」などと表記されていることが多いので、曲名とあわせて探してみてください。
まとめ
- 『荒城の月』は1901年、東京音楽学校編『中学唱歌』に収められた。作曲は滝廉太郎、作詞は土井晩翠
- 滝がイメージした城は、少年時代を過ごした大分県竹田市の岡城だといわれる
- 滝は21歳でライプツィヒに留学したが結核にかかり、23歳で亡くなった
- 1917年に山田耕筰が編曲し、原曲の一音からシャープを取った。現在よく歌われるのはこの山田版
まず、山田耕筰版を一度聴いてください。続けて、滝廉太郎の原曲の旋律で歌った録音を。歌い出しから数秒、最初のフレーズの終わりに近いところで、あの一音が来ます。
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