閉店のBGMは『蛍の光』ではない——3拍子の『別れのワルツ』と、スコットランド民謡が日本の別れの歌になるまで

ロバート・バーンズ(アレクサンダー・ネイスミス画、1787年ごろ、スコットランド国立肖像画美術館)
ロバート・バーンズ(アレクサンダー・ネイスミス画、1787年ごろ、スコットランド国立肖像画美術館)

閉店まぎわのスーパーやデパートで流れる、あの曲。多くの人は『蛍の光』だと思っています。

ところが、店で流れているのは、たいてい『蛍の光』ではありません。

同じ旋律なのに、拍子が違う。卒業式で歌う『蛍の光』は、1、2、3、4と数える4拍子。閉店の音楽は、1、2、3と数える3拍子のワルツです。曲名は『別れのワルツ』。編曲したのは、甲子園の大会歌や『六甲おろし』を書いた作曲家、古関裕而(こせき・ゆうじ)でした。

私も長いあいだ、店内の音楽を「蛍の光」と呼んでいました。違いに気づいてからは、閉店の音楽が流れるたびに、つい拍を数えてしまいます。

スコットランドの古い歌が、どうやって日本の卒業式と閉店時間の両方に住みつくことになったのか。そこには、ある恋愛映画が一本はさまっています。

『蛍の光』のもとは、スコットランドの「古い友」の歌

バーンズの手書きによる『オールド・ラング・サイン』の原稿
バーンズの手書きによる『オールド・ラング・サイン』の原稿

もとの歌は、スコットランド民謡『オールド・ラング・サイン』です。題はスコットランドの言葉で、「遠い昔」「古き良き日々」といった意味になります。

この歌を世に出したのは、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズでした。1788年ごろ、彼は昔から歌い継がれていた歌を書き留め、自分の言葉を加えて、民謡を集めた歌集の編者に送っています。バーンズ自身は、老人が歌うのを聞いて書き取った古い歌だ、と説明していました。

歌の中身は、旧友との再会です。昔なじみを忘れてしまってよいものか。子どもの頃は一緒に野山を駆け回ったが、その後は長い道を別々に歩いてきた。さあ、古き日々のために一杯やろう。そういう、酒の席の歌です。

いま知られている旋律は、バーンズの死後に出版された版で組み合わされたものだといわれます。

スコットランドでは、大みそかの夜、新しい年に変わった瞬間に、人々が輪になって手をつなぎ、この歌を歌います。腕を胸の前で交差させ、隣の人の手を握る独特のつなぎ方です。英語圏の多くの国でも、年越しの定番の歌になりました。

つまり、もともとは「別れ」の歌ではありません。古い友と、もう一度杯を交わす歌でした。

明治の小学校で、なぜこの旋律が選ばれたのか

1881年、明治政府は、学校で歌うための歌を集めた『小学唱歌集』の最初の巻を出します。そこに、『オールド・ラング・サイン』の旋律に日本語の詞をつけた歌が入りました。題は、はじめ『蛍』。のちに『蛍の光』と呼ばれるようになります。

詞の内容は、原曲とはまったく別のものです。

中国の故事に「蛍雪の功」という言葉があります。貧しくて灯りの油を買えなかった若者が、蛍を集めた光や、窓の外の雪明かりで本を読んで学問を成しとげた、という話です。日本語の詞は、この故事を下敷きに、学び舎で過ごした日々と、仲間との別れを歌っています。

旋律が選ばれた理由として、よく挙げられるのが音階です。

『オールド・ラング・サイン』の旋律は、ドレミソラの5つの音だけでほぼできています。ファとシを使わない、この「5音の音階」は、日本の民謡やわらべうたにも近い。西洋の音楽になじみのなかった明治の子どもたちにも、歌いやすかったわけです。

こうして、スコットランドの酒の席の歌は、日本では卒業式で歌われる別れの歌になりました。

おもしろいのは、大みそかとの縁が、日本でも途切れなかったことです。NHKの『紅白歌合戦』では、番組の最後に出演者たちがそろって『蛍の光』を歌う場面が、長く続いてきました。スコットランドの人々が新年の瞬間に輪になって歌う同じ旋律を、日本では年が変わる少し前に、テレビの前で聴いている。詞も、歌う場所も変わったのに、一年の終わりの歌という役目だけは、海を越えて残りました。

では、閉店の音楽は、どこから来たのか。

映画『哀愁』のキャンドルと、古関裕而の『別れのワルツ』

映画『哀愁(Waterloo Bridge)』のポスター(1940年、MGM)
映画『哀愁(Waterloo Bridge)』のポスター(1940年、MGM)

1940年、アメリカで一本の恋愛映画が作られました。原題は『ウォータールー・ブリッジ』。日本では戦後の1949年に『哀愁』の題で公開されます。主演は、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーと、ロバート・テイラーでした。

第一次世界大戦中のロンドン。出征を前にした将校と、バレエの踊り子が、出会ったその夜にナイトクラブで踊る場面があります。

楽団が演奏するのは、3拍子に編曲された『オールド・ラング・サイン』。曲が進むにつれて、楽団員が譜面台のろうそくを一本ずつ消していく。暗くなっていくフロアで、二人はゆっくり踊り続けます。

この場面が、日本の観客の心をつかみました。

映画の公開に合わせて、日本のレコード会社は、この3拍子の曲をレコードにします。映画で使われた演奏そのものの録音は手に入らなかったため、日本で新たに編曲し、録音しました。古関は映画を観て、耳で聴き取った響きをもとに楽譜を書いたといわれます。演奏者の名義は「ユージン・コスマン楽団」。外国の楽団のような名前ですが、編曲と指揮を手がけたのは、古関裕而本人でした。

古関は、福島生まれの作曲家です。戦後は高校野球の大会歌『栄冠は君に輝く』を書き、1964年の東京オリンピックでは、開会式の入場行進で流れた『オリンピック・マーチ』を作曲しました。行進曲と応援歌の名手が、外国名義で甘いワルツを編曲していた。そのギャップも、この曲の小さな秘密です。

古関裕而
古関裕而

レコードは評判になり、『別れのワルツ』の名で広まります。そしていつの頃からか、店じまいの合図として流れるようになりました。ろうそくが一本ずつ消えていく映画の場面と、明かりが落ちていく閉店まぎわの店。重なるのは、偶然ではない気がします。

よくある質問

Q. 『蛍の光』と『別れのワルツ』は、聴いてすぐ区別できますか?
できます。手拍子をしてみてください。「タン・タン・タン・タン」と4つで一区切りになるのが『蛍の光』、「ズン・チャッ・チャッ」と3つで回るのが『別れのワルツ』です。ワルツのほうが、ゆったり揺れるように聞こえます。

Q. 『蛍の光』には、あまり歌われない歌詞があるのですか?
はい。もともとは4番まであり、3番と4番は国の守りを歌う内容でした。戦後は、主に1番と2番が歌われています。

まとめ

  • 『蛍の光』のもとは、スコットランド民謡『オールド・ラング・サイン』。詩人バーンズが書き留めた、旧友と杯を交わす歌
  • 1881年、『小学唱歌集』に日本語の詞で入り、卒業式で歌う別れの歌になった。5つの音でできた旋律は、日本人にも歌いやすかった
  • 閉店の音楽は、映画『哀愁』のナイトクラブの場面から生まれた3拍子の『別れのワルツ』。編曲は古関裕而
  • 同じ旋律が、4拍子では卒業式に、3拍子では閉店時間に住みついた

次に閉店の音楽が聞こえてきたら、心の中で拍を数えてみてください。1、2、3。そこまで数えたら、レジに並ぶ前に、ろうそくを一本ずつ消していく楽団の姿を思い浮かべてみる。いつもの店じまいが、少しだけ映画のラストシーンに近づきます。

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