月岡芳年とは?「最後の浮世絵師」が描いた『月百姿』100枚から、まず見たい6枚

月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』(アメリカ議会図書館)
月岡芳年『月百姿 玉兎 孫悟空』(アメリカ議会図書館)

100枚。

明治の浮世絵師・月岡芳年(つきおか・よしとし)が、亡くなる直前の7年あまりをかけて描き上げた連作『月百姿(つきひゃくし)』の枚数です。

テーマは、月。それだけです。

満月、三日月、雲に隠れた月、煙の向こうの月。どの絵にも、かならずどこかに月がある。その下に、神話の英雄や、源氏物語の女性や、江戸の火消しや、名もない親子が立っています。

ただ、芳年という名前を聞いて、まず「血まみれの絵の人」を思い浮かべる人もいるはずです。それも間違いではありません。血の絵から月の絵へ。その道のりを短く押さえてから、100枚のうち、最初に見てほしい6枚を紹介します。気になった1枚から読んでかまいません。

「最後の浮世絵師」は、血まみれの絵から出発した

芳年は1839年、江戸に生まれました。12歳で、武者絵や猫の絵で人気の絵師・歌川国芳に弟子入りします。

名前が知られるようになったのは、20代の後半。兄弟子の落合芳幾と競作したシリーズ『英名二十八衆句』で、芝居や物語の殺しの場面を、飛び散る血まで生々しく描きました。「無惨絵」「血みどろ絵」と呼ばれる絵です。

時代は幕末から明治へ。江戸の町では、実際の戦も起きていました。上野で旧幕府側の兵と新政府軍が戦ったとき、芳年は戦いのあとの現場に出かけて、亡くなった人の姿を写生したと伝えられます。

芳年は、見たものを、見たとおりに描こうとする絵師でした。

「大いに蘇る」——心を病んだ画家が選んだ名前

明治に入って数年、芳年は心を病み、ほとんど絵を描けない時期を過ごします。

回復したとき、彼は自分に新しい画号をつけました。「大蘇(たいそ)」。大いに蘇る、という意味です。『月百姿』の絵の隅に押された赤い印にも、この2文字が刻まれています。

蘇った芳年の絵は、少しずつ変わっていきました。血しぶきの代わりに、静けさ。叫ぶ顔の代わりに、何かを見上げる横顔。その到達点が、1885年から描き始めた『月百姿』です。

ここから、6枚を見ていきます。

① 玉兎 孫悟空——月を背負って跳ぶサル

冒頭の1枚です。

画面いっぱいの、大きな桃色の月。その前を、如意棒を担いだ孫悟空が、身をひねって跳んでいる。視線の先には、月から逃げ出した白いウサギがいます。

中国では古くから、月ではウサギが不老不死の薬をついていると考えられてきました。日本の「月で餅をつくウサギ」のもとになった言い伝えです。小説『西遊記』には、その月の宮殿に住む玉兎(ぎょくと)が地上に降りて悪さをし、悟空と戦う話があります。芳年は、その追いかけっこの一瞬を、月の円を舞台にして描きました。

円の中で動くものだけを描き、背景は黒。デザインとして見ても、100枚の中で特に強い1枚です。

② 源氏夕顔巻——花の中に、透けて立つ女

月岡芳年『月百姿 源氏夕顔巻』1886年
月岡芳年『月百姿 源氏夕顔巻』1886年

『源氏物語』の夕顔は、光源氏に愛されながら、荒れ果てた屋敷で、ある夜突然命を落とした女性です。

芳年は、彼女を幽霊として描きました。

満月の下、夕顔(ユウガオ)の白い花とつるの中に、長い髪の女が立っている。体は透けていて、後ろのつるや葉が見える。絵の具を重ねず、淡い色だけで輪郭を浮かび上がらせています。

血の絵を描いた同じ手が、ここでは、ほとんど何も描かないことで死者を表している。芳年の変化が、いちばんよくわかる1枚です。

③ 卒都婆の月——三日月を見上げる、年老いた小野小町

月岡芳年『月百姿 卒都婆の月』1886年(アムステルダム国立美術館)
月岡芳年『月百姿 卒都婆の月』1886年(アムステルダム国立美術館)

すすきの原で、杖をついた白髪の老婆が、倒れた卒塔婆(供養のための塔)に腰かけ、三日月を見上げています。

この老婆は、平安時代の歌人で、絶世の美女と伝えられた小野小町。能の『卒都婆小町』では、年老いて物乞いとなった小町が、卒塔婆に腰かけたことを僧にとがめられ、逆に仏の教えで僧を言い負かします。

美女の盛りではなく、老いた横顔を選んだところに、芳年の目があります。

④ 月宮迎 竹とり——空へ帰る娘を見送る老人

『竹取物語』の最後の場面。月からの迎えが雲に乗って降りてきて、かぐや姫が天へ帰っていきます。

芳年が大きく描いたのは、姫よりも、地面にひざまずいて空を見上げる竹取の翁のほうです。手を広げ、顔を上に向けた老人の背中。右下には、物語の始まりを思わせる竹が、そっと描かれています。

姫は雲の上で、もう静かに前を向いている。翁だけが、両手を宙に広げて、まだ地上に取り残されています。光り輝く竹から娘を見つけた日から、この夜まで。物語のすべてが、老人の背中ひとつに詰まっています。

⑤ 姨捨月——母を背負って山を登る男

松の大木の下、満月の夜の山道を、年老いた母を背負った男が、腰をかがめて登っていきます。

年老いた親を山に捨てるという、姨捨(おばすて)の伝説を題材にした1枚です。人物は画面の下のほうに小さく、松と山と月が大きい。物語の結末を描かず、山を登っていく途中だけを切り取っています。

姨捨の話には、いくつもの言い伝えがあります。よく知られているのは、背負われた母が、道々木の枝を折って目印を残していく話です。自分が帰るためではありません。息子が帰り道に迷わないように。それを知った息子は、母を捨てられずに連れ帰った、と語られます。

芳年の絵には、枝を折る手は描かれていません。けれどこの話を知ってから見ると、息子の背に身を預けた母の小さな姿に、目が行くはずです。

⑥ 烟中月——火事場の火消しと、煙の向こうの月

月岡芳年『月百姿 烟中月』1886年(アムステルダム国立美術館)
月岡芳年『月百姿 烟中月』1886年(アムステルダム国立美術館)

最後は、江戸の町の1枚です。

燃えさかる炎の前で、刺子(さしこ)の厚い頭巾と半纏に身を包んだ火消したちが、こちらに背を向けて立っている。高く掲げられた白い纏(まとい)。そして画面の上のほう、煙の向こうに、ぼんやりとかすんだ月が浮かんでいます。

英雄でも、物語の主人公でもない、町の男たちの背中。芳年が育った江戸の記憶が、月の連作の中にも入り込んでいます。

よくある質問

Q. 『月百姿』の100枚は、どこで見られますか?
国内外の多くの美術館や図書館が所蔵しています。アメリカ議会図書館やアムステルダム国立美術館など、所蔵品の画像をウェブで公開している機関もあります。国内の展覧会情報は、各美術館の公式サイトで確認してください。

Q. 芳年には弟子がいましたか?
多くの弟子を育てました。その一人、水野年方の弟子が、美人画で知られる鏑木清方です。浮世絵の技と目は、芳年を通して近代の日本画へ受け継がれました。

まとめ

  • 月岡芳年(1839〜1892年)は、歌川国芳の弟子。若い頃は「血みどろ絵」で知られた
  • 心の病から回復して「大蘇」と名乗り、晩年の7年あまりで、月をテーマにした100枚の連作『月百姿』を完成させた
  • まず見たいのは、玉兎と孫悟空、夕顔の幽霊、老いた小野小町、竹取の翁、姨捨の親子、火事場の火消しの6枚
  • 血しぶきの代わりに、静けさと見上げる横顔。そこに芳年の到達点がある

この記事は、画集や美術館のウェブサイトで100枚をめくるときの、最初の道しるべとして手元に残しておいてください。6枚を見終えたら、次はどの絵にも描かれている月の形と位置だけを追いかけてみる。それだけで、100枚がまた別の顔を見せます。

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