55ガロンのドラム缶から生まれた楽器——スティールパンと、太鼓を禁じられたトリニダードのカーニバル

トリニダード・トバゴのカーニバルで演奏するスティールバンド(Photo: Kip1234 / CC BY-SA 4.0)
トリニダード・トバゴのカーニバルで演奏するスティールバンド(Photo: Kip1234 / CC BY-SA 4.0)

ドラム缶は、楽器ではありません。

工場の裏や港の倉庫に積まれた、油を入れる鉄の円筒。叩けばゴンと鈍い音がするだけで、音階なんて出るはずがない。誰でもそう思います。

ところが、カリブ海の島国トリニダード・トバゴでは、このドラム缶が、メロディーも和音も奏でる楽器に生まれ変わりました。

スティールパンです。

きらきらと粒のそろった、少し甘い金属の音。南国のリゾートの映像で聴いたことがある人も多いはずです。

ただ、この楽器の始まりは、のんびりしたリゾートの風景とは正反対でした。太鼓を取り上げられた人々が、手もとにある鉄くずで音を鳴らし続けた。その果てに生まれた楽器です。

カーニバルから太鼓が消えた

トリニダード島は、南米ベネズエラのすぐ沖にあります。

長くイギリスの植民地で、アフリカから連れてこられた人々の子孫が多く暮らしてきました。島のいちばんの祭りが、毎年2月ごろに開かれるカーニバルです。

もともとこの祭りは、島に入植したフランス系の農園主たちが、仮面をつけて舞踏会を楽しむ行事でした。奴隷として働かされていた人々は、そこに加わることを許されていません。

奴隷制度が終わったあと、解放された人々もカーニバルに加わります。サトウキビ畑の火事のとき、たいまつを手に人々が駆けつけた記憶を再現する夜の行列も生まれ、街には太鼓の音があふれるようになりました。

植民地の当局は、これを嫌いました。太鼓は人を集め、興奮させ、ときに暴動につながる。19世紀の終わり、祭りの騒ぎが衝突に発展したことをきっかけに、太鼓を打ち鳴らすことは厳しく取り締まられるようになります。

それで、人々は黙ったのか。

黙りませんでした。

竹の筒、ビスケットの缶、ゴミ箱のふた

太鼓の代わりに登場したのが、竹でした。

長さの違う竹の筒を地面に打ちつけたり、棒で叩いたりする。「タンブー・バンブー」と呼ばれる竹の楽団が、カーニバルの通りを練り歩くようになります。

やがて竹に、金属が混じり始めました。

ビスケットの缶、ペンキの缶、ゴミ箱のふた、車の部品。叩けば鳴るものなら、何でも楽器になった。1930年代には、鉄の缶だけで鳴らすバンドが現れます。

ここで、誰かが気づきました。

何度も叩いてへこんだ缶の表面は、場所によって違う高さの音を出す。へこみの大きさと形を工夫すれば、狙った音を出せるのではないか。

最初に誰が気づいたのかは、はっきりしていません。何人もの若者が、それぞれの路地で同じことを試していたといわれます。ウィンストン・「スプリー」・サイモンや、エリー・マネットといった名前が、初期の開拓者として語り継がれています。

55ガロンのドラム缶が、楽器の形を決めた

スティールパンの調律。後ろに並んでいるのが、もとになるドラム缶(Photo: Andrew Hitchcock / CC BY 2.0)
スティールパンの調律。後ろに並んでいるのが、もとになるドラム缶(Photo: Andrew Hitchcock / CC BY 2.0)

転機は、第二次世界大戦の前後に訪れます。

トリニダードは石油の島でもありました。島には油田があり、戦争中はアメリカ軍の基地も置かれた。そのため、55ガロン(約200リットル)の空のドラム缶が、島じゅうにあふれていました。

戦争中、カーニバルそのものが中止されていた時期もあります。1945年、戦争の終わりを祝って人々が通りにくり出したとき、若者たちは鉄の缶を抱えて街を練り歩いたと伝えられます。何年も溜めこんでいた音が、一気に通りへあふれ出した夜でした。

大きくて、丈夫で、鉄板が厚い。小さな缶より、ずっと深く、豊かな音が出せる。若者たちはこのドラム缶に飛びつきました。

作り方は、今もほとんど変わっていません。

まずドラム缶の底を、大きなハンマーで何千回も叩いて、お椀のように深くへこませる。その表面に、いくつもの区画を描き、区画ごとにふくらみを打ち出していく。胴を必要な深さで切り落とし、火で焼いて鉄を締める。最後に、職人が小さなハンマーで一つひとつの区画を叩き、音の高さを整えます。

区画が小さいほど高い音、大きいほど低い音。

旋律を担当する高い音のパンには、1枚の面に20以上の音が並びます。逆に低音のパンは、ドラム缶をほぼまるごと使い、それでも1本に数個の音しか入らない。そのため低音の奏者は、6本も9本ものドラム缶を自分のまわりに並べて演奏します。

叩くのは、先にゴムを巻いた短いばち。強く打ちつけるのではなく、表面を軽く弾ませるように叩くと、あの丸い音が鳴ります。

パンには音域ごとに名前があります。旋律を受け持つ「テナー」、和音を刻む「ギター」や「チェロ」、いちばん低い「ベース」。オーケストラのように音域を分担して、何十人もの合奏になります。

「不良の楽器」から、国の楽器へ

1950年に撮影されたスティールバンド「ヘルズ・ゲート」。手前に、初期のパンが置かれている
1950年に撮影されたスティールバンド「ヘルズ・ゲート」。手前に、初期のパンが置かれている

スティールバンドは、最初から歓迎されたわけではありません。

演奏していたのは、貧しい地区の若者たちでした。バンドどうしの縄張り争いが、乱闘に発展することもあった。1940年代には、スティールバンドといえば「不良のたまり場」と見る大人も少なくなかったといわれます。

風向きが変わったのは、1951年です。

島の各バンドから選ばれた奏者たちが、ロンドンで開かれた博覧会「フェスティバル・オブ・ブリテン」に招かれて演奏しました。ドラム缶から流れるクラシックやカリブ海の曲に、イギリスの聴衆は驚いた。かつて太鼓を禁じた国の首都で、鉄の楽器が喝采を浴びたことになります。

1962年、トリニダード・トバゴはイギリスから独立しました。

翌年から、カーニバルではスティールバンドのコンテスト「パノラマ」が開かれるようになります。いまではスティールパンは、この国を代表する楽器として扱われています。

20世紀に生まれた、ほぼ唯一のアコースティック楽器と呼ばれることもあります。電気を使わない楽器のほとんどが何百年も前に形を整えていたなかで、この楽器は、戦後の路地で生まれたばかりでした。

アメリカの楽器博物館に展示されたスティールパン。区画ごとに音名が書かれている(Photo: Terry Ballard from Merrick, New York, USA / CC BY 2.0)
アメリカの楽器博物館に展示されたスティールパン。区画ごとに音名が書かれている(Photo: Terry Ballard from Merrick, New York, USA / CC BY 2.0)

よくある質問

Q. スティールパンは日本でも習えますか?
国内にもスティールバンドや教室があり、学校の部活動で取り入れているところもあります。お住まいの地域で「スティールパン 教室」と検索すると見つかります。

Q. スティールバンドはどんな曲を演奏するのですか?
カーニバルでは、トリニダードの歌の音楽カリプソや、そこから生まれたソカを編曲して演奏するのが定番です。クラシックやポップスを演奏するバンドも多く、ドラム缶の音で聴くと、よく知った曲がまったく違う手ざわりになります。

Q. 「スチールドラム」と同じものですか?
同じ楽器です。英語圏では「スティールドラム」とも呼ばれますが、トリニダードでは「パン」と呼ぶのが一般的です。

まとめ

  • スティールパンは、カリブ海の島国トリニダード・トバゴで生まれた楽器
  • 植民地時代に太鼓を取り締まられた人々が、竹や金属の缶で音を鳴らし続けたのが始まり
  • 第二次世界大戦前後、55ガロンのドラム缶を使うことで、今の形が整った
  • 1951年のロンドン公演で世界に知られ、独立後はカーニバルの「パノラマ」で花開いた

今夜聴くなら、動画サイトで「Panorama Trinidad」と検索してみてください。100人近い奏者が、ずらりと並んだドラム缶を一斉に鳴らす映像が見つかります。あの銀色の列の一つひとつが、もとは油の入った鉄の缶でした。

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