8歳で光を失った少年が、瀬戸内の海を書いた——宮城道雄『春の海』と、尺八と箏の二重奏

広島県福山市の鞆の浦(とものうら)。宮城道雄が『春の海』で思い描いたといわれる瀬戸内の海(Photo: Aimaimyi / CC BY-SA 3.0)
広島県福山市の鞆の浦(とものうら)。宮城道雄が『春の海』で思い描いたといわれる瀬戸内の海(Photo: Aimaimyi / CC BY-SA 3.0)

お正月の商店街。

どこからか、箏(こと)のころころとした音と、尺八の長く伸びる息が流れてくる。凧や門松と同じくらい、日本の正月の「音」になっている曲があります。

宮城道雄(みやぎ みちお)の『春の海』です。

曲名は知らなくても、冒頭の数秒を聴けば、たいていの人が「ああ、あれか」と思うはずです。ただ、この曲を書いた人が、目の見えない作曲家だったことは、意外と知られていません。

彼が思い浮かべていたのは、光を失う前の幼い目に焼きついた、瀬戸内の海でした。

お正月の曲になったのは、宮中の「歌会始」から

『春の海』が書かれたのは、1929年(昭和4年)の暮れです。

毎年1月、皇居では「歌会始(うたかいはじめ)」という行事が開かれます。天皇が決めた一つのお題に合わせて、全国から和歌が寄せられる。翌1930年のお題は「海辺の巌(いわお)」でした。

波が打ち寄せる海辺に、どっしりと構える大きな岩。宮城は、このお題にちなんで曲を書きました。ただ、曲から聞こえてくるのは、岩そのものより、その岩を取り巻く春の穏やかな海と、そこに生きる人々の暮らしの気配です。

正月の行事に合わせて生まれた曲だった。それが、この曲が今もお正月に流れる理由の一つです。

編成は、箏と尺八の二重奏。箏は13本の糸を張った、横に寝かせて弾く弦楽器。尺八は、竹でできた縦笛です。二つの楽器は江戸時代から一緒に合奏されてきましたが、宮城はそこに、それまでの邦楽にはなかった明るく軽やかな響きを持ち込みました。

8歳で光を失い、14歳で最初の曲を書いた

箏を弾く宮城道雄(田村茂撮影)
箏を弾く宮城道雄(田村茂撮影)

宮城道雄は1894年、神戸に生まれました。

生まれて間もなく目を患い、少しずつ視力を失っていきます。8歳のころには、ほとんど何も見えなくなっていました。

目の見えない人が生計を立てる道として、当時は箏や三味線などの音楽が選ばれることが多かった。少年は8歳で箏の師匠に入門します。

これには長い歴史があります。江戸時代、箏や三味線の音楽を担ったのは、多くが目の見えない音楽家たちでした。彼らは仲間の組織をつくり、技を口伝えで受け継いでいた。お正月によく流れるもう一つの名曲『六段の調』をつくったとされる八橋検校(やつはしけんぎょう)も、盲目の音楽家です。楽譜を目で読まず、耳と指で覚える。宮城も、その伝統の中で育ちました。

才能はすぐに表れました。

10代の前半、少年は家族とともに朝鮮半島の仁川(インチョン)に渡ります。暮らしは苦しく、彼は箏を教えて一家の家計を支えることになる。その仁川で、14歳の彼は最初の曲『水の変態』を書きました。水が霧になり、雨になり、雪になる。目には見えない水の姿を、音で描いた曲です。

20代で東京に出た宮城は、尺八の吉田晴風らと組んで、西洋音楽の響きを取り入れた新しい邦楽を発表していきます。のちに「新日本音楽」と呼ばれる動きです。低い音を出すために、17本の糸を張った大きな箏「十七絃(じゅうしちげん)」を考案したのも彼でした。

尺八が舟歌、箏が波——『春の海』を3つに分けて聴く

『春の海』は、6分あまりの曲です。

大きく分けると、ゆっくり→速い→ゆっくりの3つの部分でできています。

  • はじめ:尺八が、のどかで長い旋律を吹く。箏は、寄せては返す波のように、細かい音を規則正しく刻む
  • なか:テンポが上がり、箏が軽快なリズムを弾き始める。尺八も短く弾むような節回しになる
  • おわり:はじめの旋律が戻ってきて、静かに曲を閉じる

よく言われるのは、尺八が舟をこぐ漁師の舟歌や、空を舞う鳥の声を、箏が波の音を表しているという聴き方です。

耳を澄ませると、楽器の「手ざわり」も聞こえてきます。尺八の音には、ときどき息がかすれる音が混じる。これは失敗ではなく、尺八らしさとして大切にされる響きです。箏のほうは、左手で糸を押して音の高さをわずかに上げる奏法があり、音が「ゆらり」と持ち上がる瞬間がある。二つの楽器のこうした揺らぎが、ゆったりとうねる海面のように聞こえます。

宮城が思い描いた海は、広島県の鞆の浦(とものうら)の海だったといわれます。瀬戸内海に面した小さな港町で、宮城の家のゆかりの地でした。幼いころに目にしたこの海の景色を、彼は大人になってからも覚えていたのでしょう。

なかの部分では、私はいつも、凪いでいた海に少し風が出て、小舟が沖へこぎ出していく光景を思い浮かべます。そして最後に、また静かな昼の海に戻る。音だけで、目の前に一枚の海の絵が広がります。

パリから来たヴァイオリニストが、尺八のパートを弾いた

ヴァイオリニストのルネ・シュメーと共演する宮城道雄(1932年ごろ)
ヴァイオリニストのルネ・シュメーと共演する宮城道雄(1932年ごろ)

『春の海』を世界に広めたのは、一人のフランス人でした。

1932年、演奏旅行で日本を訪れたヴァイオリニストのルネ・シュメーが、この曲を耳にして気に入ります。彼女は尺八のパートをヴァイオリン用に書き直し、宮城の箏と一緒に演奏しました。

二人の演奏はレコードになり、日本だけでなく、アメリカやフランスでも発売されます。邦楽の曲が、西洋の楽器と組んで海を渡った。今でも、尺八の代わりにヴァイオリンやフルートで演奏される『春の海』をよく耳にするのは、ここから始まっています。

点字タイプライターを打つ宮城道雄。随筆の名手としても知られた
点字タイプライターを打つ宮城道雄。随筆の名手としても知られた

宮城は、文章の人でもありました。

点字のタイプライターを使って随筆を書き、本を何冊も出しています。作家の内田百閒(うちだ ひゃっけん)とは親しい友人でした。音や気配に敏感な人ならではの、細やかな文章が残っています。

1956年、宮城は演奏旅行に向かう夜行列車から転落し、62歳で亡くなりました。東京・新宿区には彼の住まいの跡に宮城道雄記念館があり、愛用の楽器や点字の楽譜などが残されています。開館日などは公式サイトで確認してください。

よくある質問

Q. 『春の海』はお正月のために作られた曲ですか?
1930年の歌会始のお題「海辺の巌」にちなんで、前年の暮れに作られた曲です。新年の行事に合わせて生まれたことから、正月の曲として親しまれるようになりました。

Q. 箏と琴は違う楽器ですか?
もとは別の楽器です。「箏」は糸の下に柱(じ)という駒を立てて音の高さを決める楽器、「琴」は柱を使わない楽器を指します。ただ、今では箏のことを「こと」と呼び、「琴」と書くことも一般的になっています。

Q. 最初に聴くなら、どの演奏がいいですか?
まずは尺八と箏による、もとの編成の演奏を聴いてください。そのあとでヴァイオリンと箏の版を聴き比べると、同じ旋律が、竹の息と弦の響きでどう変わるかがよくわかります。宮城道雄本人の演奏による録音も残っています。

まとめ

  • 『春の海』は1929年の暮れ、翌年の歌会始のお題「海辺の巌」にちなんで書かれた
  • 作曲した宮城道雄は8歳でほぼ視力を失い、14歳で最初の曲を書いた
  • 曲はゆっくり→速い→ゆっくりの3部分で、尺八と箏が舟歌と波を描くといわれる
  • 1932年、ヴァイオリニストのルネ・シュメーとの共演レコードで海外にも広まった

お正月の商店街で流れているあの曲は、光を失う前の少年が見た、鞆の浦の春の海です。次に耳にしたら、6分のあいだだけ、その海の色を思い浮かべてみてください。

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