源氏物語絵巻とは?全員同じ顔の「引目鉤鼻」と、屋根のない部屋から読む平安の恋

国宝『源氏物語絵巻』「東屋」の場面(12世紀、徳川美術館)。右の女性・浮舟が絵を眺め、中央の女房が物語の文章を読み上げている
国宝『源氏物語絵巻』「東屋」の場面(12世紀、徳川美術館)。右の女性・浮舟が絵を眺め、中央の女房が物語の文章を読み上げている

教科書で見た『源氏物語絵巻』。正直に言うと、登場人物がみんな同じ顔に見えませんでしたか。

細い線を一本引いただけの目。くの字に曲げただけの鼻。男も女も、若者も年配の人も、ほとんど見分けがつきません。

私も長いあいだ、昔の絵だから表情を描く技術がなかったのだろう、くらいに思っていました。

違いました。あの顔は、わざとそう描かれています。そして、顔で語らない代わりに、この絵巻は部屋の角度や、人と人との距離や、衣の重なり方で、登場人物の心を描いています。

900年前の「源氏物語」を絵にした、現存最古の絵巻

『源氏物語絵巻』は、平安時代の終わり、12世紀につくられた絵巻物です。

紫式部が『源氏物語』を書いてから、100年あまり後。物語の名場面を絵にし、その場面の文章(詞書=ことばがき)を美しい紙に書き写して、絵と文章を交互に並べています。『源氏物語』を絵にしたものとしては、今残っているなかで最も古く、国宝に指定されています。

もとは物語全体を絵にした大きなセットだったと考えられていますが、多くは失われました。

残っている絵は19面。そのほとんどを名古屋の徳川美術館が、残りを東京の五島美術館が持っています。描いたのは、宮廷に仕えた複数の絵師たちと考えられています。

絵巻は、机の上で右から左へ、肩幅ほどずつ広げながら読むものでした。左手で新しい場面を開き、右手で読み終えた部分を巻き取っていく。一度に目に入るのは、ほんの一場面だけです。

文章のほうも手を抜いていません。詞書は、金や銀の箔を散らした色とりどりの紙に、流れるような仮名で書かれています。絵と文字の両方で、一冊の豪華な本をつくるような仕事でした。

東屋——絵を見る人と、読み上げる人

冒頭の画像は「東屋(あずまや)」の巻の一場面です。

右側で、若い女性が冊子に描かれた絵をのぞき込んでいます。彼女の名は浮舟(うきふね)。物語の終盤に登場する女性です。その左、几帳(きちょう)という布の仕切りの手前で、女房が文章の書かれた紙を手に持ち、読み上げています。

一人が絵を見て、もう一人が文章を声に出して読む。

平安時代の姫君たちは、物語をこんなふうに楽しんでいました。この場面は、物語の一場面であると同時に、絵巻そのものの楽しみ方を描いた絵にもなっています。

画面の左端では、別の女性が侍女に長い髪をすいてもらっています。髪を洗ったばかりなのでしょう。物語の筋とは関係のない、何気ない日常のひとこまが、同じ画面に描き込まれています。

屋根を取り払い、斜め上からのぞき込む「吹抜屋台」

「宿木」の場面(徳川美術館)。匂宮が琵琶を弾き、そばで中の君が聴いている。左の庭には秋の草花
「宿木」の場面(徳川美術館)。匂宮が琵琶を弾き、そばで中の君が聴いている。左の庭には秋の草花

部屋の中を描くのに、この絵巻はあることをしています。

屋根と天井を、取り払ってしまう。

見る人は、斜め上から部屋の中をのぞき込むことになります。この描き方を「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」と呼びます。建物の柱や縁側の線は、画面を斜めに横切っていきます。

上の「宿木(やどりぎ)」の場面を見てください。

右上の部屋の中で、男性が琵琶を弾き、その横で女性が身を寄せるように聴いています。男性は匂宮(におうのみや)、女性は中の君。画面の左半分は、秋の草が揺れる庭と、何もない空間に大きく割かれています。

二人だけの小さな部屋と、広い庭の静けさ。人物の顔には何の表情もないのに、この余白が、二人のあいだの親密さと、どこか寂しい秋の夕暮れの気配を伝えてきます。

私がこの絵巻で一番好きなのが、この余白の使い方です。

引目鉤鼻——顔を描かないから、読む人の心が入りこむ

「柏木」の場面(徳川美術館)。中央で光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている
「柏木」の場面(徳川美術館)。中央で光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている

細い線の目を「引目(ひきめ)」、くの字の鼻を「鉤鼻(かぎばな)」と呼びます。

なぜ、こんな描き方をしたのか。

よく言われるのは、顔を描き込まないことで、見る人が自分の気持ちを重ねやすくなるという理由です。表情がはっきり描かれていれば、その人物の気持ちは一つに決まってしまう。のっぺりとした顔だからこそ、物語を知る人は、そこに自分の読んだ場面の感情を読み込むことができる。

いちばんわかりやすいのが、上の「柏木(かしわぎ)」の場面です。

中央で、年配の男性が赤ん坊を抱いています。光源氏です。生まれて50日目のお祝いの日でした。

ところが、この赤ん坊は、源氏の子ではありません。妻の女三宮(おんなさんのみや)と、若い貴族の柏木とのあいだに生まれた子です。源氏はそのことを知ったうえで、わが子として抱いています。

かつて源氏自身も、父の妻と通じて子をもうけた過去がありました。若い日の罪が、形を変えて自分に返ってきた場面です。

その源氏の顔に、表情はありません。

けれども、物語を知って見ると、この無表情がかえって重い。怒りも、あきらめも、老いの寂しさも、すべてを飲み込んだ顔に見えてきます。周りの女房たちの姿勢、画面を斜めに区切る柱や几帳の線も、どこか落ち着かない空気をつくっています。

厚く塗って、上から線を引き直す「作り絵」

「鈴虫」の場面(五島美術館)。月の夜、縁側で笛を吹く貴族たち
「鈴虫」の場面(五島美術館)。月の夜、縁側で笛を吹く貴族たち

この絵巻の色は、厚く塗り重ねられています。

まず墨で下描きをし、その上に鉱物などからつくった絵の具をたっぷり塗る。最後に、色に隠れた輪郭線を、もう一度細い墨の線で描き起こします。この手間のかかる技法を「作り絵(つくりえ)」と呼びます。

ただ、厚く塗った絵の具は、時間がたつとはがれやすい。今の絵巻を見ると、色があちこちで落ち、下の紙や下描きの線がのぞいています。

近年は科学的な調査をもとに、描かれた当時の色をよみがえらせた復元模写もつくられました。そこに現れたのは、緑や朱、金銀が輝く、驚くほど華やかな画面です。今私たちが見ている、くすんだ落ち着いた色合いは、900年という時間がつくったものでもあります。

上の「鈴虫」は、月の明るい夜、貴族たちが縁側に集まり、笛を吹いて遊ぶ場面。いまは色がかなり落ちていますが、斜めに走る縁側の線と、並んで座る人々の姿から、静かな宴の夜の空気は十分に伝わってきます。

よくある質問

Q. 『源氏物語絵巻』の実物はいつでも見られますか?
いいえ。傷みやすいため常設展示はされておらず、限られた期間だけ公開されます。徳川美術館、五島美術館の公式サイトで展示予定を確認してください。両館では複製や関連資料を展示していることもあります。

Q. 『源氏物語』を読んでいなくても楽しめますか?
楽しめます。ただ、場面ごとの簡単なあらすじを知ってから見ると、顔に表情がないぶん、人物の位置や姿勢の意味がぐっと読み取りやすくなります。

Q. 誰が描いたのですか?
古くは藤原隆能(ふじわらのたかよし)の作と伝えられてきましたが、現在では、宮廷に仕えた複数の絵師が分担して描いたと考えられています。

まとめ

  • 『源氏物語絵巻』は12世紀につくられた、現存最古の源氏物語の絵巻で、国宝
  • 残る絵は19面で、徳川美術館と五島美術館が所蔵している
  • 屋根を取り払って斜め上から見る「吹抜屋台」で、部屋の中の人間関係を描いた
  • 「引目鉤鼻」の無表情な顔は、見る人が感情を重ねるための描き方
  • 厚塗りの「作り絵」でつくられ、もとは鮮やかな色だった

次に『源氏物語絵巻』を見るときは、顔ではなく、人と人との距離と、部屋を横切る斜めの線から見てください。表情のない顔が、急に何かを語り始めます。

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