マーラーはなぜ9番目の交響曲に番号をつけなかったのか?『大地の歌』と「第九の呪い」

グスタフ・マーラー(1907年、モーリッツ・ネーアー撮影)。この年、彼はウィーンの宮廷歌劇場を去り、長女を亡くした
グスタフ・マーラー(1907年、モーリッツ・ネーアー撮影)。この年、彼はウィーンの宮廷歌劇場を去り、長女を亡くした

「第九」といえば、ベートーヴェン。年末の日本で、知らない人はいない曲です。

では、そのベートーヴェンが交響曲を9曲書いたところで亡くなったことが、のちの作曲家たちを怖がらせた、という話はご存じでしょうか。

交響曲を9曲書くと、作曲家は死ぬ。

クラシックの世界で「第九の呪い」と呼ばれる、半分冗談のような言い伝えです。そして、この言い伝えをいちばん本気で恐れたとされるのが、グスタフ・マーラーでした。

先に白状しておくと、私はこの話を初めて聞いたとき、よくできた後付けの伝説だろうと思いました。調べていくうちに、その考えは少しずつ揺らいでいきます。

9曲書いて死ぬ——ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク

まず、「呪い」の根拠とされる顔ぶれを並べてみます。

ベートーヴェンは、交響曲第9番『合唱付き』を書き上げたあと、第10番に手をつけながら、1827年に亡くなりました。

19世紀後半のオーストリアの作曲家ブルックナーは、第9番の作曲中に亡くなり、最後の楽章を書き終えることができませんでした。

チェコのドヴォルザークも、交響曲は第9番『新世界より』が最後になりました。シューベルトも、数え方によっては9曲です。

偶然と言ってしまえば、それまでです。

交響曲を何十曲も書いた作曲家はいくらでもいますし、20世紀にはショスタコーヴィチが15曲を書き上げています。ただ、19世紀のドイツ語圏では、ベートーヴェンの9曲は「交響曲という山の頂上」のような存在でした。その数に届いた者は、そこで力尽きる。そう感じさせるだけの重みが、9という数字にはありました。

1907年、マーラーは3つのものを失った

マーラーは、作曲家である前に、当代一の指揮者でした。

1897年から10年間、ウィーンの宮廷歌劇場(今のウィーン国立歌劇場)の音楽監督を務め、厳しいリハーサルで舞台を一新した人です。作曲は、劇場が休みになる夏のあいだ、湖や山の近くの小屋にこもって行いました。

1907年、彼の人生に立て続けに不幸が訪れます。

まず、反発の多かった歌劇場の監督職を辞めることになりました。その夏、4歳の長女マリアが病気で亡くなります。そして直後に、マーラー自身が心臓の病を告げられました。

仕事と、娘と、健康。わずか数か月のあいだに、3つのものを失ったことになります。

このとき、彼はすでに交響曲を8曲書き上げていました。次に書く交響曲は、9番目になる。

番号のない交響曲『大地の歌』——李白の詩をドイツ語で歌う

梁楷『李白吟行図』南宋時代、東京国立博物館。『大地の歌』の歌詞のもとになった詩の多くは、唐の詩人・李白の作とされる
梁楷『李白吟行図』南宋時代、東京国立博物館。『大地の歌』の歌詞のもとになった詩の多くは、唐の詩人・李白の作とされる

1907年、一冊の詩集がドイツで出版されました。ハンス・ベトゲの『中国の笛』。李白をはじめとする唐の詩人たちの詩を、ドイツ語で自由に書き直した本です。

マーラーは、この詩集に深く心を動かされます。

酒を飲み、春を嘆き、若さの美しさに見とれ、友との別れを惜しむ。1000年以上前の中国の詩人たちが歌った、人生のはかなさ。それは、すべてを失いかけていたこの時期のマーラーの心に、そのまま重なりました。

1908年から翌年にかけて、彼はこの詩集から7つの詩を選び、テノールとアルト(またはバリトン)の歌手とオーケストラのための作品を書き上げます。それが『大地の歌』です。

形は6つの楽章からなる、まぎれもない交響曲でした。マーラー自身も、楽譜に「交響曲」と書いています。

それなのに、番号はつけなかった。

妻アルマの回想によれば、マーラーは9という番号を避けるために、この曲を「第9番」と呼ばなかったといいます。番号のない交響曲を間にはさめば、次に書く曲は「第9番」でも、本当は10曲目になる。運命の目をくらますような、子どもじみた、けれど切実なやり方でした。

アルマの回想には、話を劇的にしすぎる傾向があるとも言われます。ただ、9番目にあたる交響曲が番号のない『大地の歌』になったことは、事実として残っています。

結局、9番は書かれた——トーブラッハの作曲小屋で

イタリア北部トーブラッハ(ドッビアーコ)近郊に残るマーラーの作曲小屋。『大地の歌』、交響曲第9番、未完の第10番がここで書かれた(Photo: Saskiasanter / CC BY-SA 4.0)
イタリア北部トーブラッハ(ドッビアーコ)近郊に残るマーラーの作曲小屋。『大地の歌』、交響曲第9番、未完の第10番がここで書かれた(Photo: Saskiasanter / CC BY-SA 4.0)

1908年から3年続けて、マーラーは夏をアルプスの村トーブラッハ(今のイタリア領ドッビアーコ)で過ごしました。

森の縁に建つ小さな木の小屋。上の写真の小屋で、彼は『大地の歌』を書き、続けて交響曲第9番を書き上げます。番号の上では、ついに「9」に手をかけたことになる。

アルマの回想では、マーラーは「これは本当は第10番だ」と冗談まじりに語ったともいわれます。

第9番の最後の楽章は、弦楽器だけで、長い長い時間をかけて静かになっていきます。最後のページには、「死に絶えるように」という意味の指示が書き込まれています。

その翌年、マーラーは第10番に取りかかりました。

けれども、完成させることはできませんでした。1911年5月、マーラーは病に倒れ、50歳で亡くなります。『大地の歌』も第9番も、彼は自分の指揮で初演を聴くことなく世を去りました。2曲は、弟子の指揮者ブルーノ・ワルターの手で、彼の死後に初演されています。

呪いは本当にあったのか

結果だけを見れば、マーラーも「第9番まで書いて、第10番の途中で死んだ作曲家」の一人になりました。

ただ、数え方を変えれば、彼は番号のない1曲を含めて10曲の交響曲を書き上げています。呪いを避けたとも言えるし、呪いに捕まったとも言える。どちらに見えるかは、聴く人しだいです。

正直に言うと、私には、マーラー本人がどこまで本気で呪いを信じていたのか、まだわかりません。

ただ、『大地の歌』の最後の楽章「告別」を聴くと、少なくとも彼が自分の残り時間を強く意識していたことだけは、疑えない気がします。30分近くかけて、歌は「永遠に」という意味の言葉を何度もくり返しながら、少しずつ遠ざかっていく。終わったあと、しばらく何もする気になれない曲です。

よくある質問

Q. 『大地の歌』は何分くらいの曲ですか?
全6楽章で、演奏によりますが1時間ほどです。最後の「告別」だけで30分近くあります。初めてなら、短く明るい第1楽章か第3楽章から聴き、最後に「告別」を通して聴くのがおすすめです。

Q. マーラーの交響曲で、最初に聴くならどれがいいですか?
旋律がわかりやすく、50分ほどで聴ける交響曲第1番『巨人』がよく勧められます。映画『ベニスに死す』で使われた交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」も、10分ほどの入口になります。

まとめ

  • 「第九の呪い」は、ベートーヴェンやブルックナーらが9番目の交響曲を最後に亡くなったことから生まれた言い伝え
  • 1907年、マーラーは歌劇場の職と長女と健康を相次いで失った
  • 9番目の交響曲にあたる『大地の歌』には、番号がつけられなかった。妻アルマはそれを呪いを避けるためだったと回想している
  • その後マーラーは第9番を書き上げたが、第10番は未完のまま、1911年に50歳で亡くなった

呪いが本物だったのかどうか、答えは出ないままです。ただ、番号をつけなかった一曲が、彼の書いたもののなかでいちばん静かに、いちばん長く、別れを歌っている。そのことだけは、聴けば誰にでもわかります。

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