デザイナーが辛くなったら一度辞めてみるという選択
こちらの記事でも書きましたが、最近は若いデザイナーやデザイン業界未経験の方の役に立つような記事を書きたいと思いながら色々模索しています。
Hamajiが意識しているのは、「過去の自分に向けて書く」ということ。今でこそ人生とても楽しくなりましたが、20代前半は毎日辛くて挫折ばかりの日々でした。ネットで「デザイナー」と検索すると、「辛い」「やめたい」「徹夜」などのワードが次々と出てきます。
当時の自分もやり場がなさすぎてぶっちゃけるとyahoo知恵袋に相談したことも1度だけではございません。笑 こんな経験がある自分だからこそ、少しでも見てる人が楽になることを書ける気がするのです。
今回のテーマは、「辛くなったら1度デザイナーをやめてみれば?」というススメ。
これは実際辛すぎてデザイナーを辞めて、2年間がっつりデザインの世界から離れた生活を送っていた過去の自分の経験をお伝えしたいと思います。
Hamajiは将来絶対デザイナーになると高2くらいの時点ですでに決めていたので、そのまままっすぐ努力して、美大に進んで卒業して、なんの迷いもなく東京に出てデザイン会社の門を叩きました。
正直、台本どおりの経路をたどってました。行きたかった会社から採用の電話がかかってきたときは周りにいた家族と飛び跳ねて喜んだ記憶がいまだに残ってます。夢が叶った瞬間。もう本当に最高で、この会社でHamajiは有名デザイナーへの道を歩んでいくんだなと信じて疑いませんでした。
意気揚々と上京し、初めての出社日。会社の場所もTHE 都会という立地で、田んぼに囲まれて育ったHamajiからしてみたらそこはドラマのような夢の世界のわけですよ。しかし入社日、朝会社に着くと出社していた人は事務の女性1人のみ。あれ?早く着きすぎたかな?と思いましたが、違いました。昨日みんな徹夜だったので、出社は午後になるとのこと。
なるほど、これがデザイン会社かと入社1日目からビビりました。そして入社3日目で初めての徹夜。その日を皮切りに、そんな日々があたり前になってきて徹夜、もしくは帰れても深夜でタクシーみたいな毎日でした。
最初の業務としては切抜きや画像探しをひたすらやっていた気がします。たまにデザインの仕事を頼まれても、経験が浅すぎて一つ作るのにもとてつもない時間がかかってしまい怒られてばかりでした。当時の自分にあったのはやる気と若さだけだったので、追いていかれないようについていくのがやっとだった気がします。
とまあそんなギリギリの生活を続けていると、本来の目的や夢みたいなものが次第に薄れてくるんですよね。
「あれ?私のやりたかったことってなんだっけ?」
「デザイナーって何?」
みたいな。Hamajiは絵を描いたりものづくりが昔から大好きだったので、好き好きパワーだけでそれまで突っ走ってきたような感じでした。
一流のデザイナーになるには、ロジカルな考え方も必要だし、判断力、プレゼン力などなど。プロの現場に身をおいてはじめて、ものづくりが大好きなのでデザイナーになりましたーなんて呑気に言ってられる状況ではないことに気づきました。
「デザイナーって思ってたのと違う」
これに気づくと1回目のやめたいウェーブがやってくるので、早い人はここで脱落するでしょう。Hamajiはそこはなんとか持ちこたえて、次のステップに進みました。
幸い、Hamajiが入社した会社は、どんどん挑戦させてくれるやり方だったので、入社1年経過してからはわりと大きな仕事にメインで入らせてもらいました。
AD(アートディレクター)1人、デザイナー1人、コピーライター1人。だいたい3人体制で1つの仕事をまわしていくという感じ。当時のHamajiのポジションはもちろんデザイナーでございます。
ADの指示にしたがって仕事を進めてました。最初はこの方式で仕事を進めるのが楽しくて、なんだかやっと1人前のデザイナーとして認められたような気分でいました。忙しくても、メジャーな仕事をやってるという自信は当時の自分には大きなものだったし、もっと大きな仕事をして早く認められたいと思ってました。
しかし、関われる範囲が大きくなればなるほど、徹夜や休日出勤の数も比例して増えていきます。入社して2年が過ぎた頃は、ほんと休みがなくて常に仕事のことばかり考えているような状態でした。
当時は友人とルームシェアしていたのですが、一緒に住んでるのに毎日残業だったり、徹夜だったりで顔を合わせる日は週に1、2回程度。一緒に上京してきた友人たちもグラフィックデザイナーでしたが、その中でも自分の仕事量は異常なんじゃないかと思うようになりました。
2回目のやめたいウェーブが静かに押し寄せてきてました。異常だとは思いつつも、すでにその状況に慣れきっていたため、こんなの新人だから当たり前、先輩たちは忙しくても頑張ってるんだからやらなきゃいけない。という謎の洗脳状態にありました。
日本特有の頑張ることの美学ですね。しかし無理して続けてると、必ずボロが出てきます。その頃にはすでにデザインが楽しいという感情は一切なくなってました。ほんとただの業務だと思ってたし、会社から出たらデザインのことなんて一切考えたくないというような状態。
自主制作なんてもってのほかで、ちょっとでも休めるなら他のことをしたい、デザインから離れたい。そんな感じでした。そうこうしているうちに、日々の徹夜やストレスが限界をむかえ、体調を崩し仕事に行けなくなるという状態に。
しばらく休んで自分と向き合って考えて、これはもう限界だという結論にたどり着きました。復帰してすぐに退職届を提出し、入社からきっぱり2年。Hamajiは会社を退職しました。
退職届を提出してから辞めるまでの期間は3ヶ月ありましたが、もちろんその3ヶ月も変わらず忙しい日々で、その後どうしようとか具体的なことは全く考えていませんでした。辞めると決まってからはやはり上司たちはこぞって将来のことを心配して色々助言してくれます。
「何のために辞めるのか?」「この先どうするのか?」
「実務経験2年で、次の会社を見つけるのには苦労する」
「デザイン会社はどこに行っても忙しい」
もちろん心配して色々助言してくれたというのはわかってるのですが、これが結構苦痛でした。次のデザイン会社に行って同じように働くっていう熱意はもはやなかったし、自分は一体何がしたいんだろう?それすらはっきりわからなくなってました。
高2からデザイナーになる夢を追いかけてきて、それまで一度も他の道なんて考えたことがなかったので、ほんと空っぽ状態。結局次の道も決まらないまま退職の日を迎えました。
やめた日のことを今だに鮮明に覚えてるのですが、開放感というよりも、挫折感が半端なかったような気がします。夢を叶えてデザイナーになったけど、たった2年で挫折しました。みたいな。一緒に上京してきた友人たちはちゃんと続けて頑張ってたので、耐えきれなかった自分が本当に情けなかったです。
という感じで先々のことをなーんにも考えずにやめたHamajiに残ったのは半年くらいは暮らせるであろう貯金と積み立てていた退職金のみ。とりあえず一度ルームシェアも解消して引っ越して、新しい土地で新たな生活をスタートさせました。
その頃にはデザイナーに復帰するという選択肢はなかったので、自分はなにがやりたいのか、どんな仕事が合ってるのか新しい道を求人誌を見ながら探し始めました。
やりたいことがそれまで明確すぎた自分にとって、やりたいことがないという事態は初めてのことでした。デザイナーを辞めてからHamajiが次に選んだ職は、、、ライフガード。笑
いやほんと、今考えてもなんでやねんとツッコミを入れたくなるのですが、ちょうど募集してたんですよね。区民プールの監視員みたいな感じです。水泳は得意だったので、あっさり採用。
デザイナーとは180度違う生活です。朝8時くらいから勤務して、泳ぎの練習、救助の訓練、プールの監視や水質調査。夜5時には家に帰れるというめちゃくちゃ健康な日々でした。謎に救助の資格も色々取得しました。笑 半年くらい真面目に働きましたが、これで生きていくの?と聞かれるとうんとは言えませんでした。
デザイナーで毎日徹夜してたため体力が有り余っていたのか、ライフガードと並行して夜の時間帯は居酒屋のバイトを始めてみました。その居酒屋はアットホームな秋田料理屋でおかみさんが秋田出身の方だったので、Hamajiが秋田出身ということだけで雇ってくれました。
ライフガードは泳ぐことがメインで人と話すということはあまりなかったのですが、居酒屋での接客は毎日いろんなお客さんとお話しする機会があったので、ほんと楽しかったです。ああ、自分は人と話したり、接客が向いているのかも。と思いました。
ライフガード、居酒屋、その次に試してみたのが派遣です。派遣といっても、デザイナー派遣じゃないですよ?夜の居酒屋のバイトと並行して、昼間はいろんな派遣の仕事をはじめてみました。
工場系だと、物流がメインでamazonやzozotownで注文された商品をピックアップして発送する作業、商品の検品をひたすらやる作業など、物流以外だとごみ処理場でのゴミの仕分け、家電量販店でのデモンストレーター、スーパーで試食販売、データ入力などの事務などなど。
時給が安いものから高いものまで、とにかく片っ端からやってみました。そんな生活を2年間がっつり。その期間一度もデザインに触れる機会はありませんでした。
いろんな仕事を試してみて、それなりに楽しかったし、プライベートの時間も充実してました。普通ならやりたいことが見つかっていい頃だったのかもしれませんが、Hamajiの場合どこかでデザイナーへの未練みたいなものを消せずにいました。
デザイナーの友人達は着々と経験を重ね成長している。外にでて電車に乗ると、中吊り広告が目に入ってきて今こんなフォントが流行ってるのかーだとか、スーパーに行って買い物してても新しいパッケージやポスターを見てはこのデザインいいなと思ったり。もう、未練タラタラ。これやっぱやりたいことってデザインじゃん。という事実に薄々気づきはじめていました。
決定打となったのは、3.11の地震の日。あの日、Hamajiは派遣で埼玉の印刷工場に勤務してました。教科書やテストの丁合をひたすらやるという作業内容。地震発生時、正直本当に死ぬかもという恐怖が全身を駆け巡りました。
それと同時に、自分は一体なにやってるんだという思いがこみあげてきました。デザインやるために上京して、本来なら印刷工場にお願いする側だったはずなのに、今自分は人が作った印刷物をひたすら丁合してる。このまま絶対死ねない、と思いました。
やりたいことを再確認するまで、2年もの歳月を費やしてしまったわけですが、一切後悔はありません。理由は、デザイナーとして自分が働いている間、世の中ではこんな風にいろんな時間が流れているということを体験できたから。
そして、接客をやったおかげで、苦手だったクライアントとの関係の築き方もわかったし、人が嫌がるような仕事も毎日やってくれている人達がいるから自分の生活が成り立っているということを知ることもできました。
Hamajiの場合デザインでしたが、こんなふうに色々試してみると、自分が何が得意なのかということも次第にわかってくるので、新しい道が見つかるという可能性も高いと思います。
デザイナーをやめて今後何がしたいか全く決めていないという方は、とりあえずでもいいので色々試してみてください。
Hamajiが実際に登録していたタウンワークは登録しておけばとりあえず何かしらの働き先は確実に見つかります。コアなところでいうとランスタッドや、フルキャストアドバンスあたりでしょうか。
この2社は工場系の派遣の仕事が多く、前日に翌日の単発の仕事を探したりということもできました。単発の高時給にオススメなのはパワープロジェクトという会社。ここはイベントの受付や、試験会場の監視員など、英語ができる人は英語対応の仕事も紹介してくれたり、結構面白いと思います。
そんなこんなで、3.11の翌日からHamajiの生活は一変しました。翌日からそれまで開くこともなくなっていたMacを起動して、ポートフォリオ作り。求人を探して行きたい会社を探しては応募しまくりました。
当然、2年のブランクがあったため書類で落ちたり、面接でもどうして前の会社を辞めたのか聞かれまくったし、それがマイナスポイントになっていたのは確かです。
しかしあえてそこは2年ブランクがあったからこそ今やりたいことがはっきりわかったんだということを正直に話して自分の強みとしてアピールし続けました。そしてなんとか1社採用通知がきて2年ぶりの現場復帰。まあその2社目が最大のブラックだったのは他の記事にも書きましたが。笑
でも、その時はどんなに辛くてもデザイナーをやめるという選択肢は無くなっていました。それはやはり1度やめて他の道を経験したからだと思います。
忙しかったけど、デザインに対する意欲は増すばかりで、会社でやるデザインがつまんないなら自分でおもしろいこと見つければいいと思ってました。そんな時にちょうどバンドのCDジャケットを作る機会があり仕事と並行して自主制作を始めるようになりました。
ほかにも、色々自主制作を始めるようになりそっちがほんと楽しくなってきました。仕事より自主制作の時間を確保したいとはじめたのが派遣デザイナーです。派遣を始めてからは作りたいものを作れる時間が増えてきて人生がとても楽しくなってきました。陶芸をはじめて、デザフェスの出展を始めたり。
デザイナーに復帰してから、デザイナーを辞めたいと思ったことは一度もありません。もちろん、真っ直ぐデザイナー道を極めている人たちもいるし、デザイナーを辞めて他の道を歩んでいる人たちも大勢いると思います。
しかしHamajiのような例もおりますので、デザイナー辞めたことに後悔があるって方は、もう一度始めてみるというのも全然ありだと思います。人生迷ったり立ち止まる時間も必要ですからね。それぞれに合った道が必ず見つかるので、周りの声に惑わされずに自分が本当にやりたいことを見つけてください。
「デザイナー」「辛い」「やめたい」「徹夜」で検索した人たちの気分が少しでも晴れてくれれば嬉しいです。
では。