デザイナーが選ぶジャケットデザインと解説【hideのアートワーク編】
最近めっきりCDジャケット発掘にハマってます。
この記事を書くようになってからは、邦楽ジャケットに興味が湧いてきました。掘れば掘るほど面白いデザインや歴史がいっぱい。
しばらくジャケット記事続けていきたいと思いますので、是非お付き合いください。
この季節になるとよく思い出すのが、1998年5月2日に急逝したX JAPANのhideのニュースです。
当時のHamajiは中学生で特別ファンではなかったものの、周りにはファンの友人がたくさんおり、ワイドショーで連日放送されていた葬儀で泣き崩れるファンの姿は、中学生ながら衝撃を受け、今でも深く記憶に残っております。
あれから20年。長い長い年月を経て、中学生だったHamajiも彼が亡くなった当時の年齢に近づきました。デザイナーになり、バンドのデザインやCDジャケットを手がけるようになって初めて、hideというアーティストの音楽、セルフプロデュース能力、人柄の魅力にどっぷりハマってしまいました。一言でいうと、彼、すごいんですよ、マジで。、、語彙力がなさすぎて悔しいです。
調べていくうちに、何度も「hideって絶対未来行ったことあったんじゃ?」という不思議な感覚に襲われました。それくらい今見ても新しく、当時では考えられないほど未来を予見していたアーティストだと思います。てことで、テーマはhideのアートワークについて。今回も独断と偏見満載でhideのかっこいいアートワークをご紹介いたします。
hide (本名:松本 秀人) 1964年12月13日 – 1998年5月2日
日本のミュージシャン、ギタリスト、歌手、プロデューサー。神奈川県横須賀市出身。1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動。1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー。 1993年より、hide名義でソロ活動も開始し、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立。1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日に急逝。(wikipediaより)
1st single「EYES LOVE YOU」2nd single「50%&50%」1993年
こちらがソロ名義で2枚同時リリースされたシングル。懐かしき短冊ジャケットの8cm CDです。左・EYES LOVE YOUで、右・50%&50%。写真ではわかりませんが、こちらのジャケットは3D仕様となっており、この2枚を並べて下にある目のロゴを合わせると瓶の中のhideが浮き出てくるという仕掛けが施されております。こちらはhideの発案。様々な情報を辿っていくうちに浮かび上がってくるのは彼のこういった隅々まで行き届いた遊び心。ファンを楽しませようという心遣いが伝わってきますね。
緑と赤は補色同士で、記憶に残りやすい組み合わせです。目をモチーフとしているロゴも印象的で、毒が強いビジュアルも、当時のCDショップで目を引くデザインだったのではないでしょうか。
1st album「HIDE YOUR FACE」1994年
こちらが記念すべき1stアルバムです。個人的に一番かっこいいと思ったジャケット。
H.R.GIGERと亀山哲也
ブックレットのクレジットを見ると、
VISUAL CONCEPT…hide + TETSUYA KAMEYAMA
ART DEIRECTION & C.G.ART WORK…TETSUYA KAMEYAMA
ALBUM JACKET ART CREATED BY H.R.GIGER
と記されています。こちらのジャケットを飾っている仮面は映画『エイリアン』などの美術制作で有名なスイス人の画家でありデザイナー、H.R.GIGER(H.R.ギーガー)氏によるもの。当初、彼にジャケットの仮面制作を依頼し了解を得ていたそうですが、hideはギーガー氏の個展の作品『Watchguardian, head V』を気に入りこちらを使用することに。
hideが仮面に自分の目を合成したいと希望し承諾を得たそうです。自分の作品に手を加えさせないというギーガー氏が認めたとてもめずらしい作品とも言われております。このジャケットも初回盤は仮面の部分が立体的になっているというhideらしい仕掛けが。アートディレクションは亀山哲也氏。有名なアートディレクターかと思っていたのですが、ブックレットを読み進めていくと、
HAIR & MAKE-UP …TETSUYA’S PHILOSOPHY OPTION という表記。
おそらく、メインはメイクアップアーティストとして活躍されていたようです。彼はhideの写真集「HIDE 無言激」でもタッグを組んでおります。この写真集はhideによるセルフプロデュース作品。hideの表現したいことを亀山氏と、hideの写真を撮り続けていたフォトグラファー菅野秀夫氏がコラボして創りあげたもので、花魁、仏陀、サイボーグなど、様々なhideの世界観が表現されています。
亀山氏の作品集「美粧画廊」にもhideの作品が収録されているようです。
亀山さんはhide関連のインタビュー等で「哲ちゃん」という愛称でたまに登場しており、プライベートでも仲がよくとても信頼されていた方だったのだと思いました。
脱線癖がございまして、話はだいぶ逸れてしまいましたが、、。ジャケットのマスクから片目だけ出ているhideの目が強烈で、HIDE YOUR FACEというタイトルからのこのビジュアルでコンセプトも明快。見事な世界観を創り出したギーガー氏や亀山氏はもちろん、ビジュアルコンセプトから全てに関わっているhideのブレないセンスには脱帽です。3rdシングルのDICEも、こちらのジャケットとリンクしたデザインです。
5th single「MISERY」1996年
こちらのシングルは1996年に発売されたもので、難病を患ったhideのファンである少女、貴志真由子さんとの交流によって作られた曲だそうです。歌詞が素敵。メロディーもポップで、聴きやすいです。MVがまたいいんですよ、、。
はい、イントロからやられました。
音楽レーベルLEMONedとt.o.L
卵が割れているポップなアートワークはhideが立ち上げた音楽レーベルLEMONed(レモネード)にて、共同プロデュースやアートディレクションを担当したアートユニットt.o.L(trees of Life)のKuno.Mさんが手がけたもの。
LEMONed(レモネード)…LEMON(スラングで不良品を意味する)にed(過去形)を付けた、 「元不良品」という意味をもつ「LEMONed」。 音楽、グラフィック、アート、ファッション、ヘアサロン。 いろんなコワくてかわいいものやひとたちを集めて、 hideが「LEMONed」と名づけたブランド。
(公式サイトより)
t.o.Lとhideの出会いは、t.o.Lの楽曲(楽曲制作も手がけているそう)、「oneday for maria」のMVを偶然見たhideが、彼女たちに会いたいと希望し、赤坂のスタジオで会ったのが最初だそうです。その際にhideは自身の楽曲である「BACTEREA」のMVを彼女たちに見せ、「新しいレーベルをつくる。不良品のコレクションをしたい。いっしょにやりませんか?」と声を掛けたという。、、こんなん言われたらHamaji、、即答ですよ、言い終える前にやらせてくださいいい!!からの土下座ですよ。
こうしてhideの壮大なプロジェクトに魅力を感じた彼女たちは『LEMONed』の立ち上げに参加することになったわけです。
t.o.Lはhideの没後も03年に監督、脚本、音楽をすべて担当したアニメーション映画『TAMALA2010 a punk cat in space』がカナダファンタジア映画祭審査員部門最優秀アニメ賞受賞し、その他CF・広告やPVなど幅広い分野で活躍中です。先日4月28日に発売されたI.N.A(hide with Spread Beaver)の著書「君のいない世界~hideと過ごした2486日間の軌跡~」のデザインも手がけております。
フォトグラファー 志村宏
MISERYのジャケットに戻りますが、フォトグラファーは広告カメラマンの志村宏氏。PARCOや三菱自動車などの大手クライアント、hideをはじめX JAPAN、chirolynなどのアーティスト写真、PV制作を担当していた方です。現在は沖縄でウエディングフォトを撮っているそう!なんと豪華なウエディングフォト、、!
Webサイト→ http://yui-wedding.com/photo/staff/
2nd album「PSYENCE」1996年
「PSYENCE」とは「PSYCHO(精神病)」と「SCIENCE(科学)」をたした、hideがつくった造語です。感心してしまうのがこの言葉作りの上手さ。「LEMONed」にしても、hideが生み出した「PSYBORG ROCK(サイボーグロック)」という新ジャンルの名前も。とてもキャッチーだし、コンセプトが明快でわかりやすい。彼はきっとコピーライターでも成功していたはず、とHamajiは踏んでおります。
こちらのジャケットも初回盤はピンク、グリーン、イエローの3種類から色を選べると言う仕掛けが。最初はフェイク・ファーを貼ったものにしようとしていたそうですが、さすがに予算の都合で断念したそうです。今はCDの仕掛け等は当たり前にありますが、当時こういった仕掛けを積極的に取り入れたさきがけの存在だったのではないでしょうか。握手券で目当てでCDを何十枚も買うより、こういった仕掛けにワクワクしながらCDを開封したいなあと思ってしまいます。
フォトグラファー 菅野秀夫
アートディレクションははMISERYと同じくt.o.Lで、フォトグラファーはMISERYの志村氏とhideの多くの写真を撮影した菅野秀夫氏と田中和子氏。菅野氏と田中氏は、菅野氏が主宰するフォトスタジオCAPS所属のフォトグラファーです。おそらく、ジャケットの写真は広告カメラマンでもあった志村さんが担当し、中面のhide本人の写真は菅野氏と田中氏が担当されたと推測します。缶と謎のオブジェで構成された”実験”を感じさせるビジュアル。オレンジやイエロー、ピンクのhideらしいカラーが目を引きますね。
CAPS webサイト → http://www.caps-photo.com/index1.php
菅野さんは今もよく使用されているhideの代表的な写真を撮影した方です。最初に紹介した写真集「HIDE 無言激」やその後発売された「hide」の撮影も手がけております。長い間hideを撮影されていた方なので、今回調べた際もいろんな記事で彼の名前を目にしました。hideは「松本秀人」と、「hide」をしっかり分けており、撮影になるとスイッチが入ったように「hide」になるそう。
菅野氏も「一流のモデルが備えているものを彼は持っている。」と。Hamajiもデザイナーなので撮影に立ち会うことがありますが、この”スイッチ”を持っているモデルやアーティストはやはり一流だと感じます。一瞬で場の空気を変えてしまうし自分の魅せ方をよく知っている。hideの現場、見てみたかったなあ。とてもワクワクしそうですよね。
有名なこちらの写真は、今見てもほんと新しい、、!初めてこの写真を見たときHamajiは無知すぎたので、現代の技術を駆使して、CGで作り出したものだと勝手に思い込んでおりました。
かっこいい、、!!蜷川美花とかまだ出てくる前なのに、完全に未来先取り。2014年に発売された 「子 ギャル」の初回限定版ジャケットでも使用されております。
1st single(hide with Spread Beaver)「ROCKET DIVE」1998年
1997年12月31日のラストライブをもってX JAPANは解散。その翌日の1998年1月1日、hide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載し、同年1月28日にこちらの1st シングルROCKET DIVEを発売。ファンを悲しませないためのこの行動力の速さ。神対応ってこういうことをいうんじゃないでしょうか?
こちらのジャケットも、アートディレクションt.o.L × フォトグラファー菅野秀夫氏。Hamajiはジャケットで使用されているフォントをよく覚えていて、デザインを始めた当初、勝手にRocket Dive Fontと名付けよく使用してました。笑 リサイクルマークのような、キャッチーなロゴデザインもかっこいいですね。hideは音楽も、デザインも、ビジュアルも、、全てがキャッチー。
映像ディレクター 丹修一
MVのディレクターは丹修一氏。イエモン、ミスチル、GLAYなど、数多くの有名アーティストのMVを手がけておりました。hide作品だとこの後のピンクスパイダーも彼の作品。現在もバリバリ活躍中でございます。
丹修一 webサイト →https://sep.co.jp/
当時の歌番組などで毎日のように目にしていたこの映像、、今見ても全く古さを感じません。
2nd single(hide with Spread Beaver)「ピンクスパイダー」1998年
hideの急逝のすぐ後に発売された2ndシングル。オリコン・日本レコード協会の集計共に100万枚を超えるヒットとなり、hideとしては、初であり唯一のミリオンセラーシングルとなりました。
アートディレクションはこちらもt.o.L。hideの生前のアイデアで、初回盤のジャケットにはチョコレートと包み紙が分離するようになっており、中には蜘蛛のイラストが隠れているという仕掛けが施されております。
あの初回盤「ピンクスパイダー」のジャケットっていうのは、ちょっと変わった仕様になってまして。 ていうか、子供だましな仕様になってましてですね。 「ピンクスパイダー」ってチョコレートのパッケージになってんですけども、 ま、でもそんなに自慢することじゃないことに、今気がつきました(笑) 何か、どのへんがすごいかっての今説明しようかなって思ったら、 あ、全然すごくないんじゃんとかって(笑)。 でも、これがロックンロールな気がするんだけどな、俺は。 この洒落にニヤリと笑って頂けるか、 くっだらねえって怒られちゃうかっていうのが、 けっこうロックかロックじゃない狭間かなぁって思うんですけど。
( ヒデのオールナイトニッポンR 1998.04.10 より )
このイントロ聞くと血が沸騰してうおおおっとなっちゃうのはHamajiだけでしょうか?かっこいいですね、ほんと。
MVのディレクターはRocket Dive同様、丹修一氏。撮影はブラピ主演の映画「セブン」の撮影でも使用された、アレキサンドリア・ホテルの廃墟で行われました。現地のコーディネイターから、「注射器とかが降ってくるので気をつけてください」と言われたそう。笑 怖すぎ。SPACE SHOWER Music Video AwardsのBEST VIDEO OF THE YEARを受賞した作品です。
2006年にはRIZEがカバーシングルを発表
RIZEの発案により、2006年にピンクスパイダーのカバーシングルが発売されました。プロデューサーに、hide with Spread Beaverのメンバーでもありhideの共同プロデューサーであったI.N.A氏を迎え、PVも丹修一氏、ジャケットデザインもオリジナル同様t.o.Lが担当。当時のスタッフが再集結して作り上げたカバーシングルです。ジャケットもしっかりリメイクされており、ピンクになっていてかわいい。
3rd single(hide with Spread Beaver)「EVER FREE」1998年
hideの急逝から約半月。I.N.Aを中心に、残されたhide with Spread Beaverのメンバー、レコード会社の協力でリリースされた3rdシングルです。
「ROCKET DIVE」「ピンク スパイダー」「ever free」に渡るまでの一連の楽曲を3部作の繋がった楽曲として制作しており、「ROCKET DIVE」には「若いうちは失敗を恐れずにどんどん世界へ飛び出して行こう」というメッセージが込められており、「ピンク スパイダー」には「でも飛び出した世の中はそんなに甘くはない」という「失敗と挫折」を歌った曲であり、「ever free」には「それでも人生は何度だってやり直せる、可能性を信じて生きて行こう」というメッセージが込められた楽曲であると生前語っていた。
(wikipediaより)
シングルで個人的に一番好きなジャケットです。シド&ナンシーの「その後」がコンセプトになっているこちらのジャケット写真は、老人老婆がスキンヘッドでキスをしている姿がハート型に見えますね。実はこちらにもhideらしい仕掛けが。右側のおじいちゃんをペロッとめくると、おばあちゃんは札束にキスをしようとしているという。なんとも遊び心のある仕掛け。
hideが生前、老人老婆をジャケットに使用したいと考えており、スキンヘッドにキスだと面白くない?というアイデアがあったそう。しかし、日本人はなかなか丸刈りOKのモデルが見つからず、、そりゃそうですよね。笑 そこで、アメリカの老人老婆のモデルを起用するという流れに。
オーディションでは髪の毛をセットしてきていたおばあちゃんが、撮影の日にはしっかり丸刈りで登場。男前。そこにマジックでフェイクのタトウーを描いて撮影をしたそうです。こちらのアートディレクションもt.o.Lで、フォトグラファーは志村宏氏。
3rd album「JA,ZOO」1998年
hideの死後に発売された3rdアルバム。共同プロデューサーのI.N.Aを中心にSpread BeaverのメンバーとPATAの協力により完成されたアルバムです。hideのソロワークとしてはシングル・アルバム含め最大の売り上げとなったそうです。こちらも、初回限定盤は、透明のプラケースにジャケットがステッカーの特殊仕様。
タイトルは「日本人(Japanese)」と、収録曲の仮タイトルに動物の名前が多かったので「動物園(Zoo)」の2つのキーワードを合わせた造語である。ジャケットのデザインやタイトルの読みを”ヤ・ズー”としたのは『ガリバー旅行記』の「ヤフー(yahoo)」(人間に似た愚かな動物)に由来する。収録曲数の10、収録時間の58分28秒は「平成10年5月2日」を表す。これはI.N.A の『平成10年5月2日を忘れないでほしい』という願いが込められている。
(wikipediaより)
アートディレクター 信藤三雄
こちらのアートディレクションはミスチルやMISIAやSMAPなど多くの有名アーティストのCDジャケットを手がける信藤三雄氏。彼はCDジャケット好きの間ではかなり有名です。
1986年、ピチカート・ファイヴのジャケットデザインを皮切りに、彼らのほとんどのアートディレクションを担当。フリッパーズ・ギター、オリジナル・ラヴなどのいわゆる「渋谷系」にカテゴライズされたCDジャケットを数多く手がけ当時のCDジャケットの大きな流れを作った人物と評されています。1990年以降は映像作家として、多くのMVもディレクションしてます。hide作品だと「HURRY GO ROUND」「A STORY」「TELL ME」のアートワークも信藤氏。
信藤三雄 webサイト →http://www.snd320.net/
こちらも初回限定盤は、透明のプラケースに檻が印刷されていて、さらにジャケット全体がシールになっており剥がすと全く別のビジュアルが出てくるという特殊仕様。ジャケットのシールを剥がした部分のデザインも3パターンくらいあったそうです。しかしシールを剥がすと元に戻せなくなってしまうという意見もありました。笑
(zilch)「3・2・1」1998年
zilchとは、最初にちらっとyoutubeのリンクを貼りましたが、、
元キリング・ジョークのポール・レイヴンと元プロフェッショナルズのレイ・マクヴェイを迎え、ニューヨークで結成されたhide率いるロックバンド。ロックンロール、パンク、ヘヴィメタル、グランジ、オルタナティヴ、インダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形の非常に前衛的なロックを目指していた。完成されたアルバム『3・2・1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。
(wikipediaより)
レコーディング期間は、1996年~1997年の2年間にわたり行われ、すでに完成しておりましたが、hide曰く「大人の事情」により発売が遅れていたそうです。そしてhideの死後に発売となったアルバムです。あのマリリン・マンソンが「前座でいいからやらせてくれ、その代わりアメリカを周る時は一緒にやろう」と言ったバンド。
映像作家 Dean・Karr
こちらのElectric Cucumberという楽曲のMVは当時新進気鋭の映像作家Dean・Karr(ディーン・カー)と共に制作。当時からディーンは“MTVから最も愛された監督”と評されておりました。フォトグラファーとしても活躍。zilchのアルバムのクレジットを見ると、PHOTOSの欄に彼の名前があったので、おそらく写真も担当していたんだと思われます。
売れっ子だったディーンにMVを依頼したいアーティストであふれていた当時、彼は「撮影から編集に至るまで約1カ月もその楽曲を何度も聴くはめになるから、よっぽど気に入った曲じゃないと請け負えない」というポリシーがあり、デヴィッド・ボウイの新曲の依頼を断ったばかりだったそうです。そんな時に、アメリカでは誰も聞いたことがない名前のアーティスト(zilch)の仕事を受けたということで、そのニュースは瞬く間に広がったそう。すっごい話ですよね。笑
MVは、ちょっと怖いけど、、。ディーンはそのほかにもX Japan、Marilyn Manson、Velvet Revolver、Kornなど数多くの海外アーティストのMVをやアートワークを手がけております。
アートディレクター サカグチケン
その後もzilchはシングル2枚、アルバムを1枚リリースしており、そのアートディレクションを手がけたのはhideの友人でもあった、アートディレクターのサカグチケン氏。
彼は、1999年に発売されたオムニバストリビュート・アルバム・hide TRIBUTE SPIRITS、2002年に発売された未発表新曲2曲を含むシングル・ベストアルバム・JUNK STORYなどのアートディレクションも手がけております。
hideの他にも、BUCK-TICK、LUNA SEA、MUCCなどのアートワークを担当。サカグチ氏のブログにhideの話が出てきたり、hideの生前のブログにサカグチ氏の話が出てきたりしていたので、良い関係だったのだと思います。
ということで、、かなり長くなってしまいましたが、、調べていくうちに、あれもこれもが止まりませんでした。笑 X JAPANまでいっちゃいたかったのですがさすがに長くなりすぎるので、ここまでにしたいと思います。
没後20周年ということで、いろんなニュースや記事でhideの名を目にして、知れば知るほどのめり込んでしまいました。こんなアーティストって他にいないなあ、と。
hideを見ていてすごいと感じたのは、彼は様々な目線で物事を見ていたということ。少年の目線、大人の目線、ファンの目線、日本の目線、世界の目線、過去の目線、未来の目線。「いろんな目線から」なんていうのは簡単ですが、実際全てを行動に変えるのはとても難しいことです。それを全ての目線から想像し、考え、行動に移したのがhideというアーティストすごみだとHamajiは勝手に思いました。もちろん、とても大変だったとは思うのですが、、映像やインタビュー見ててもすっごく楽しそうなんですよね。そのワクワクが、こっちにまで伝わってきてしまう。
あの時代にインターネットをいち早く取り入れ、ブログを書いたり、ファンと繋がったり、ファッションやヘアスタイルも今見ても古さを全く感じません。今、当たり前になっていることを当時のhideは予測していた。その先見力も普通じゃないと思います。ファンはもちろん、バンドメンバー、周りのスタッフ、彼が発掘した後輩アーティストなどなど、、彼に関わった全ての人たちがhideのファンだったのではないでしょうか。
ドキュメンタリー番組で、映像ディレクターの丹修一氏が語っていたhideに言われたという「クリエイティブは自由じゃないといけない。」これは、Hamajiにもドッカーンと響きました。クリエイティブを「仕事」としか考えられなくならないように。自由と、楽しむことを忘れないように。hideの言葉通り、彼の音楽はいつも自由を感じさせてくれます。没後20周年、今も変わらずこんなに愛されているアーティストはなかなかいないですね。
若い人たちにもっともっとhideの音楽を聴いてほしいです。没後も当時のスタッフを中心に様々なプロジェクトが行われております。今後も、まだまだ空から何かやってくれそうな気がして、ワクワクしてしまいます。
では。