岡本太郎の代表作「太陽の塔」完全レビュー
Hamajiが影響を受けたアーティストの中でも、真のイケメンだなーと思うのが「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎です。すみません、イケメンというチープな言葉を使ってしまいましたが、それはなにも表面的なことだけではございません。生き方や考え方、発言や、立ち振る舞い、全てです。
すでに1本書いちゃっておりますが、本記事でも太陽の塔の解説と絡めつつ岡本太郎について深掘りしていきたいと思います。
岡本太郎の代表作「太陽の塔」と「大阪万博」
岡本太郎といえば、記憶に紐づいたように思い出されるのが代表作の「太陽の塔」でしょう。太陽の塔は1970年に大阪府吹田市で開催された日本万博博覧会のテーマ館の1部として建造されました。
通称「大阪万博」のシンボルとなった高さ70メートルの巨大オブジェ。岡本太郎の代表作として同時期に制作された「明日の神話」(2008年10月から東京都の渋谷マークシティの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路に恒久設置)と双璧をなす作品です。
建築家・丹下健三と岡本太郎のエピソードと憶測
当時の万博の建築をめぐる話が面白いのでご紹介します。
万博の建築プロデューサーは広島平和記念公園や東京都庁舎の建築でも有名な丹下健三。すでに建設が始まっていた万博のメインとなるお祭り広場。
その後、岡本太郎が屋内の展示物を担当する展示プロデューサーとしてアサインされました。彼は就任したとたんから万博のテーマであった人類の進歩と調和に反発。
「人類は進歩していますか?縄文土器を見ても、ラスコーの壁画を見ても、現代の人間があんなの作れますか?技術や生産の面では進歩しているかもしれない。だが人間としては、むしろ退歩していると言ってもいい。
調和も、みんな相手の様子を見て、お互いに六分ぐらいのところで頭を下げあって、なれあうのが調和だと思っている。そんな調和は卑しい。
フェアーに己を主張し、ぱつんぱつんとぶつかりあって、徹底的に闘って、その結果、互いを認め合ったところに成り立つ均衝なら許せるけれど、いま普通に考えられているい調和なんて、僕は大反対だ。」
すんごいプロデューサー選んじゃいましたよね。笑 そして、塔以前に設計が完成していた丹下氏の大屋根の模型を見るなり「70mだな」と呟き、穴の空いた大屋根から顔を出す太陽の塔を設計。
そこで怒っちゃったのが建築プロデューサーの丹下氏、、というエピソードがネット上には溢れています。
そりゃあ丹下氏にしてみれば、自分がすでに思い描いていた空や雲が透けてみえるような透明感のある大屋根にいきなり穴開けてこんなインパクトが強すぎる塔の提案されちゃったのですからいい気分はしない気がします。
絶対認めないと岡本太郎が持ち込んだ太陽の塔の模型を叩き壊してしまったという話や、塔の建設が決まり、塔の周囲を大屋根で囲いなるべく目立たないような形で建設が進んだことに対して岡本太郎が大激怒して丹下氏と取っ組み合いのケンカになったなど。いろんなエピソードがありました。
しかし、パートナーである岡本敏子さんの著書には、
「彼は信念をもって喧嘩を売っているのだから、反論があれば、待ってましたとジャブを繰り出すつもり。ところが意外なことに、陰ではこそこそと言っていたらしいが表立って立ち向かってくる人も現れず、言いたい放題、やりたいままにテーマ館(太陽の塔)を創りあげた。」
とあったので、実際のところはわかりませんね。1つ言えるのは、とにかく岡本太郎は1ミリたりとも妥協しない。台風みたいに周りをどんどん巻き込む勢いのある男性だったのだと思います。
メディアに流れている発言や作品の激しさのわりには、実際そばにいた人や生前仲が良かった人たちからの評判は、「とても穏やかで優しくておちゃめな人」と。
完成した大阪万博当時の太陽の塔の写真がこちら。屋根に囲まれて、早く出せよと言わんばかりに睨みつけてるこの感じ。笑
激怒したという建築プロデューサーの丹下氏は実際はどうだったのでしょうか?揉めたというのは事実かどうかはわかりませんが、こんなふうに正面からぶつかってきた相手がいるって最終的には人生のいいスパイスになったんじゃないかなと思います。
正面から本気でぶつかってきてくれる相手って、実際なかなかいないですよね。天国では意外に超親友になってるんじゃないでしょうか。
万博後の「太陽の塔」
万博の各パビリオンは閉幕とともに撤去されるのが原則です。大阪万博も例外ではなく、憲法で「6ヶ月以内に撤去しなければならない」と定められてました。それでもこの塔は残ったんですよね。数あるパビリオンの中で唯一。
1970年8月、万博閉幕直前。なぜか「検討対象外」として撤去計画から外されました。その後1971年3月には「お祭り広場は1年間存置したのちに撤去する」と方針が確認されました。塔を取り囲んでいた丹下氏が設計した大屋根と、太陽の塔は1年延命してから取り壊すというイレギュラーな扱いに。
しかしさらに1年が経過しても太陽の塔は撤去されず。その後もいろんな取り決めが発足されましたが、ズルズルと撤去されることなく残り続けるという奇妙な事態。そして1975年1月、長かった存置問題は終止符を打ち、施設処理委員会が太陽の塔の永久保存を決めました。
存置理由は撤去反対の署名運動があったり、保存を願う声が多かったことと、作者である岡本太郎が保存を訴えたこと。技術的問題がないこと。しかし、残念ながら塔を取り囲んでいた丹下氏設計の大屋根は撤去が決まりました。
21世紀少年「ともだちの塔」と「太陽の塔」
こちらも面白かったのでご紹介。浦沢直樹氏の大ヒット漫画、21世紀少年でも「ともだちの塔」として出てきます。
2008年、映画化された際の完成披露イベントでは約8000万をかけて太陽の塔、約700キロのバルーンと約300キロの「ともだち」マークを装飾して、劇中に登場する「ともだちの塔」に改装。75発の花火と特別映像の演出を施し、約1000人の観客の前でお披露目されてます。
太陽の塔は約70メートル。ただでさえ迫力があるのでこれは生で見たらすごかったと思います。原作者の浦沢さんも「泣きそうです。なぜ『20世紀少年』がこういう話になったかというと、それは僕が大阪万博に来られなかったから。(この感動で)もう一本漫画が作れそうです。」と大感激だったそうです。
2018年、48年ぶりとなる「太陽の塔」内部公開
太陽の塔自体は、近年でも観光客が後を絶たない大阪の観光スポットとなりましたが、塔の内部は万博後非公開とされており、何度か限定公開されたのですが、ついに2018年3月19日、耐震修復工事が完了し48年ぶりに内部公開される運びになりました。
前置き話がながーくなってしまいましたが、先月Hamaji、この太陽の塔の内部見学に行ってきたのです。笑 Hamajiにとっては初の太陽の塔。長年行きたかった念願の地でもありました。
しかしこの内部公開は、普通に行って見られるわけではございません。1組15人づつの少人数制と30分ほどの時間制となっており、事前予約必須。「太陽の塔」入館予約サイトがあるので、こちらでチケットを予約しておきましょう。4ヶ月先まで予約できますが、土日祝日は人気で埋まりやすくなっているため、1ヶ月前には予約したほうがいいと思います。
万博記念公園
さてさて、チケットも取っていよいよ当日。最寄駅は大阪モノレールの「万博記念公園駅」です。
駅を出ると、すぐに飛び込んできたこの景色。「うわ、でかっ!」が最初の感想でした。笑
ちなみに公園の逆側はショッピングモールなどの巨大複合施設があります。
こちらが万博記念公園の中央口。太陽の塔内部のチケットとは別で、自然文化園へのチケット(大人250円、小中学生70円)の購入も必要なので、こちらは注意してください。
そしてついに、念願の太陽の塔とご対面。
わかっちゃいたけど、迫力すごい。思った以上に大きくて、すんごい顔してて。「むんっ!」って声が今にも聞こえてきそう。この日の大阪は5月とは思えぬ猛暑日で気温34度。最高の太陽の塔日和です。
外の売店ではヴィレッジヴァンガードのようなお土産屋さんがあり、太陽の塔や岡本太郎関連の本やグッズがたくさん売ってます。
広い記念公園をぐるーっとまわって太陽の塔の裏側へ。後ろから見る太陽の塔もまたインパクト大。背中にタトゥー背負ってるみたい。
太陽の塔の4つの顔と生命の樹
ちなみに太陽の塔には4つの顔があるとされています。これを解説すると、頂部の「黄金の顔」は未来を、正面の「太陽の顔」は現在を、背面の「黒い太陽」過去を象徴しています。一般的に見られるのは3つの顔ですが、塔の内部地下には第4の顔と言われる「地底の太陽」が。
この「地底の太陽」は万博終了後に兵庫県に無償譲渡されたのですが、その後展示公開されることがないまま行方不明となり今もなお見つかってません。
現在公開されているものは、当時の資料から復元されたものが展示されているよう。全長約11メートルの巨大な展示物が行方不明とか、、結構奇妙な話ですよね。
そして内部には鉄鋼製で造られた高さ約41メートルの「生命の樹」があります。「生命の樹」は岡本太郎の思想を体現するものであり、みずみずしく躍動する「生命のエネルギー」を表現したものです。
内部見学では、この地底の太陽や生命の樹が見られるということでとても楽しみでした。予約時間が来て、いよいよ塔の内部へ。
散々盛り上げちゃいましたが、塔内の撮影写真は商業利用不可となっておりますので、残念ながら公開できず、、。なので是非こちらの動画で内部の様子をご覧ください。
太陽の塔オフィシャルサイトでも塔内の写真や、万博当時の写真が見れます。
塔内の個人的な感想としては、神聖で、宇宙にいるような不思議な感覚になりました。人がたくさん集まる万博だったのに、人感が全くない。そこにあったのはとても原始的で今まで見たどんな芸術作品とも異なる空間。
万博のテーマだった人類の進歩と調和。当時の他のパビリオンは、人類の宇宙への第一歩を突きつけたアメリカ館の「月の石」や、人工衛星や宇宙船を吊るして宇宙大国をアピールしたソ連館など、会場全体が進歩や未来、テクノロジー、エレクトロニックを象徴していたと言います。
そのど真ん中に、屋根を突き抜けるようにして現れた太陽の塔。
Hamajiの父も当時万博を見に行ったそうですが、「とにかく一日中色々歩きまわって行列にも並んだけど、一番記憶に残ってるのは太陽の塔だ」と未だに言います。まあそりゃそうよね、こんな塔見たら記憶にこびりついて離れないよなーと思いました。
「万国博の仕事を引き受ける時、私はベラボーなものをつくると宣言した。右を見たり、左を見たり、人の思惑を気にして無難なものをつくってもちっとも面白くない。
みんながびっくりして、なんだこれは!顔をしかめたり、また逆に楽しくなって、にこにこしてしまうような、そういうものを作りたかった。」
結果、50年近く経過した今もなお、この場に立ち続け、太陽の塔を訪れる人は後を絶ちません。やはり惹かれるものがあるのでしょうか?
この日、暑い暑い日差しが照りつける中でも、太陽の塔は太陽に向かって毅然と佇んでおり、この景色を見れただけでも来た意味あったなと思いました。パワースポットってこういう場所のこというのかも。自然とエネルギーがみなぎってくる感じ。
「太陽の塔の下に立ってごらんなさい。突き抜ける塔の上に、空が広がる。空とは宇宙です。」
岡本太郎
小学生の時に初めて読んだ岡本敏子の著書で強烈に残っているのが
「大切なのは意志だ。多くの人は状況や、周囲の思惑や、時の流れ、風潮、そんなものの方に重心を置いて、肝心の自分がふわふわっと浮いてしまっている。だから眼がきょろきょろして、自信が定まらないのだ。そんなんでいくら情報を集めても、作戦を立てたり、戦術を練っても、芯のない蚊柱のようなもの。
貫かれている意志さえあれば、そういうものはいつでも後からついてくる。こさせることが出来る。
不思議に、強烈な意志には宇宙が呼応する、こんなことを言うと神がかりに思われてしまうが、これはただ事実を言っているだけであって、願望でもないし、霊威を強調しているものでもない。ただ、そうなのだ。」
強烈な意志には宇宙が呼応するという現象。これは本当にあるんじゃないかなと思います。岡本太郎を一番近くで見て来た彼女は、宇宙が呼応するほど強い意志を岡本太郎から感じ取っていたのかもしれません。
奇跡とかいう謎の次元の出来事って、そういう時に起こったりするのかもしれませんね。なので強い意志を持って生きることはとても重要なことだなと思います。
いかがでしたでしょうか?個人的解釈も多いのですが、少しでも伝わればと思います。太陽の塔、是非行ってパワーもらって来てください。
では。